2002年生まれのバリ島の甥っ子が亡くなった。

これは一年前に書いたものを今投稿します。

去年(2021年)の8月にバリ島の舅が他界し、そのころから貧血を訴えるようになった甥っ子。
貧血症状が酷くなり、医者で精密検査の結果、白血病だと。
抗がん剤治療を受けるかどうか、迷いに迷っていたのだが、年明けから治療を始めることになった。
二回目の抗がん剤治療の日の朝、具合が悪くなり、病院へ搬送されたが、そのまま帰らぬ人となってしまった。

この3月で二十歳。あまりにも早すぎる死に、親族みな、茫然としている。

甥は、主人の妹の息子になる。うちの長女の2歳上で、もちろん私は彼が生まれた時から知っている。
妹似できれいな顔をした赤ちゃんで、娘が小さい頃は、よく似ていた。

私自身には実の兄弟が居ないので、甥や姪を持ったのは、結婚してからだ。
義理ではあっても自分に兄弟姉妹や、甥や姪が出来たのは初の体験で、当初は色々戸惑いがあった。向こうも、外国人で言葉もよく通じないおばに対して、親しみが持てなかったに違いない。
しかし、時がたち、子供たちが成長するにつれて、屈託なく私のことを「mek(お母さん)や、mek nik(小さいお母さん)」と呼んでくれて、なんだかこそばゆい様な、ちょっぴり恥ずかしいような気持ちで、それでも嬉しく思ったものだ。自分には甥も姪も居ないから、そのような小さい人たちに叔母さん、って呼ばれるのが嬉しかった。

ここからは、2023年11月に書いている。一年半ぶりに日本に帰国している。
甥の火葬式は、去年の10月に終わった。火葬の時に、甥のポトン・ギギ(歯を削る儀式、成人の儀式)も行われた。
こんなに悲しいことがあるのかなあ、と、泣きながら見守り、そしてついに見送った。
バリで家庭を持って二十年以上が過ぎ、色んなことがあったが、今現在は概ね幸せだと思っている。
が、子供たちが自分より先に居なくなってしまうのではないか、という恐怖を、私はずっと抱えている。
それこそが、今の私の最大の恐れである。

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