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本阿弥光悦の大宇宙  東京国立博物館

2024年に入り早くも3回目の東京国立博物館。それは2024年最初の特別展になる本阿弥光悦の大宇宙
多くの外国人観光客が目につく最近のトーハクです。ややビビりながら平成館に行ってみると、激コミという事はなく落ち着いて見学できました(外国の方は本館観覧がメインか)。
トーハクへは年パス(1年間:¥2,500)を利用しています。年パスは東京だけでなく京都、奈良、九州4館での総合文化展(平常展)が観覧可能です。特別展については東京以外の3館には割引料金の設定があるのですが、トーハクだけが除外されていて改善してほしいポイントです。友の会(上位の年パス¥7,000)には特別展の観覧券が3回分ついてきますが利用はトーハクのみ、以前は年6回分が4館で利用可でしたが(使い勝手もコストパフォーマンスも高過ぎて見直された?)。とはいえ国立博物館4館に年間で3回以上行くなら、年パスを手に入れない理由はありません。券売機前の行列に並ぶ必要もありません。


開館150周年ポストは継続中




本阿弥光悦の大宇宙 チラシ A3二つ折りパターンもあり
1月16日-3月10日 東京国立博物館


当然のように入手した図録。コラムや論考が盛り沢山。web上の記事を読むより紙面で読む方が頭に残る気がします。

本阿弥光悦の大宇宙 図録
編集:東京国立博物館、NHK、
NHKプロモーション、東京新聞
発行:NHK、NHKプロモーション、東京新聞
2024年 約250ページ


本阿弥光悦という人


本阿弥光悦ほんあみ こうえつ (1558-1637)
光悦は自分の拙い文章力の問題もありますが、簡単には説明できないマルチクリエイター。アートプロデューサーとかアートディレクター、シンプルにアーティストと今風の呼び方は多様。違いはよく分かりません。
寛永の三筆(光悦と近衛信尹このえのぶただ:1565-1614と松花堂昭乗しょうかどうしょうじょう:1582-1639)と認められる書家であり、国宝や重文の茶碗を作った陶芸家。また漆工芸を手掛ければこちらも国宝(舟橋蒔絵硯箱)。さらには出版事業も手掛けたりと芸術のカテゴリーを自由に行き来する人。二刀流どころではない才能。俵屋宗達たわらやそうたつ(?-1643)と共に琳派の祖とされています。
自ら手を動かしても超一流のスキル、職人衆を率いての仕事でも超一流。でも謎の多い人らしい。


光悦の故郷、京都の本法寺・光悦寺に興味のある方はこちらを。
この記事のタイトル画像は光悦寺の茶室・本阿弥庵です。


天才観測してみましょう


展示室は映像の部屋を除いて撮影不可です。

入口にはビリケンさんそっくりの光悦さん坐像。本阿弥光甫(光悦の孫:1601-1682)作と伝わります。続く肖像画は神坂雪佳かみさかせっか(1866-1942)筆で賛は富岡鉄斎とみおかてっさい(1837-1924)、神坂雪佳も琳派の系譜の人。

そして家系図が2種。本阿弥家の先祖は菅原氏とされています。天神さま 菅原道真すがわらみちざねの一族です。光悦の父・光二は片岡家から本阿弥家へ養子に入りますが、展示されている片岡家の系図を見てみると片岡 八郎 常春を元祖として宇多天皇後胤佐々木京極氏と書かれています。系図には経歴も記されています。漢文なので正確には読みとれませんが、常春は源義経みなもとよしつねの下で活躍した鎌倉時代の人だと(かなり要約)。
常春から9代省略され記された子孫が多賀高忠たがたかただ(1425-1486)と室町幕府の中心にいた人です。その父は京極高数きょうごくたかかず(?-1441)。それで佐々木京極氏とされているのでしょうか。京極氏は数か国の守護職を務めた名門武家で、婆娑羅バサラ大名の佐々木道誉ささきどうよ(1296-1306)がよく知られています。末裔は江戸時代には讃岐丸亀のお殿様に。

展示は刀剣、本阿弥家の信仰、謡本と蒔絵、書、茶碗と続いていきます。


個人的には土の刀剣と表現された茶碗に最も興味が。

中でも時雨しぐれ(名古屋市博物館蔵、重要文化財)、雨雲あまぐも(三井記念美術館蔵、重要文化財)、村雲むらくも(楽美術館蔵)の黒楽茶碗の3碗。法隆寺館の展示のように各茶碗が独立して並んで展示されています。
3椀を直接比較するまでは、口縁がスパッとカットされた時雨が好みでした。実際に見比べると釉薬のかかり具合が時雨、雨雲、村雲の順に多くなるような変化が見られます。バランスの良さでは雨雲がキレイに見えます。
時雨はツヤ消しが過ぎたカンジで、やや枯れすぎた印象。森川如春庵の入手エピソードや口縁のシャープさにやや丸いフォルム(実際にお茶を飲む時にあの切れ具合はどんなカンジなんでしょう)には惹かれますが。


映像コーナーでの茶碗代表 村雲


映像コーナー 蒔絵代表 舟橋蒔絵硯箱:国宝 東京国立博物館蔵


トーハクの常設展でアーカイブしていた光悦作品を

加賀前田家臣 富治部左殿宛 書状 東京国立博物館蔵
父・光二のおつかいとして光悦が前田家の家臣に
「お届け物をお持ちしました。金沢に着きましたよ」と知らせ
「お殿様(前田利家)にお取次ぎください」という手紙。

蓮下絵百人一首和歌巻断簡 東京国立博物館蔵
下絵は俵屋宗達とされる。こちらは慈円の句 他の句も展示
蓮下絵百人一首のうち6割は関東大震災で焼失

伝小野東風筆 古今和歌集断簡
本阿弥切と呼ばれる光悦コレクションの1つ
小野道風は平安期の三跡の1人 光悦にとってもレジェンド

(参考)色紙三十六歌仙図屏風 東京国立博物館蔵
左隻、右隻それぞれ18枚 絵は光悦によるもの
書は光悦10枚、小堀遠州10枚、烏丸光広5枚
松花堂昭乗5枚、近衛信尹6枚
とされる
寛永の三筆そろい踏みの豪華キャスト


日蓮法華宗関連

特別展の切り口として本阿弥家と日蓮法華宗の関わりが取り上げられています。特別展で度肝を抜かれたのは、光悦揮毫のお寺の扁額でした。

デカすぎます。

門や建物の上方に掛かっているので通常は実感できませんが、目の前で感じられる迫力はこういう機会のみ。
光悦は本阿弥本家の相続の件で3代将軍徳川家光にお目見えするため、京都から江戸まで来ています。


法華経寺 三門:千葉県市川市
正中山(展示品のレプリカ)

法華経寺 法華堂
妙法花経寺(展示品のレプリカ)

法華経寺 祖師堂
(参考)祖師堂
図録の解説によれば、実際に掛かっているこの扁額は原品のようです

池上本門寺 総門:東京都大田区(展示品のレプリカ)
(参考)本法寺 本堂:京都市上京区

ちなみに法華経寺には光悦や本阿弥家の分骨墓があります。

光悦さんの分骨墓
お寺の檀家さんの墓が多くて見つけるのに苦労します
歴代住職のお墓群へ上がる階段下の脇あたりにあります


 


関東にも光悦の足跡は残っています。


トーハクでの光悦さんの大宇宙は、彼の恵まれた才能によって手掛けられたモノたちが見渡せます。それらは多彩過ぎて見飽きることがありません。行ったり来たりで3周ぐらいしたかと。ずーっと見てた所で分からないような気はしますが、光悦さんが見ようとしていたモノは何だったのでしょうか?


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