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「誰よりも高く跳べる自信がある」

日曜日。快晴。おうちから出ない休日なので本当ならじっくりお風呂に浸かりたいところなんですが、さすがに昨日の今日なので長風呂する気になれずにこれを書いています。昨夜の地震は大丈夫でしたか。わたしは揺れで目を覚ましましたが、スマホの緊急地震速報も来てないしすぐにおさまるだろうとぼんやりしているうちに、揺れる時間がやたら長いのが気になって身体を起こしたところで止まった感じでした。体感では1分以上は揺れたと思うんだけど実際どうだったんだろう。
寝付けなかった事もあって、覚醒の深夜のつづきのように頭がぼうっとしているので休日がありがたいです。太陽光が燦燦と降り注いでいる真昼なのに体内時計はいまだ真夜中なので落ち着かない気持ち。寝る場所の真横に本棚を置いている今の部屋のレイアウトをどうにかした方がいいのかな。でも頭が働かないな。こうしてつらつら綴る事が暖機運転の代わりになればいい。



シュークリームはカスタードクリームを食べるためのおやつだと聞いた事があるのですが、それで言うならわたしにとって豆腐丼と中華粥は小口切りにした小ねぎをたくさん食べるためのものです。小ねぎおいしい。思えば祖母がよく作ってくれたお味噌汁を食べる時も、小ねぎを鷲掴みにしてお椀に入れて食べていたものでした。母もお味噌汁作ってくれたはずなのに、振り返ったら祖母が作ったものの方が印象に残っています。不思議と、と書こうと思ったけど便利な言葉に甘えずにちゃんと考えるぞ。きっといつも同じ味で同じ具材だった事が影響しているんだと思います。でもそれもそれで不思議だ。祖母のものとは違うとはいえ、母もいつも同じ味噌を使っていたはずなんだけどな。



恋が愛へと変化する事が不可逆的な進化である事実はわたし自身認めるところなんですが、恋ならではの高揚に身を曝す事で、愛によって生じる穏やかな心の動きを日常の一部だと感じられるぐらい身近なものに出来ていたんだなと実感しました。最近。比較する中で見えてきた風景というか。高揚は恋の効能で特権なのだな、という歓心を伴う経験だったので悪くないです。空腹感の消失と、心臓のあたりに体温より気持ち高めの熱がこもる状態が同時に発生している事を自己分析しながら、この感覚ひっさしぶりだなぁ……と息を吐いたりして。いつまでも続くものじゃない事を経験的に知っているので、夢中である間はまっすぐ見つめる事に全力を注ごうと思います。



北村薫・宮部みゆき編『とっておき名短篇』(ちくま文庫)というアンソロジーを読みました。
幽霊より怪奇現象より人間の狂気が一番怖いよな、、、という後味を伴う短篇たち。初読の作家の小説を読むと普段出会わない文体に触れられるので、それもまたアンソロジーならではの読書だと思えて悪くないです。中でも戸板康二深沢七郎岡田睦の小説は、本書を手に取らなければ一生出会わないままだっただろう作品だった。選者の審美眼にも感謝です。