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幼少期の虐待と鬱病

内容

今回は、12歳の小学校卒業(2004-2017)までを綴ろうと思う。

途中から他人に見せるべきではない人外的な内容になるので有料にする。

今のところ自分の人生に悔いは1つもない私であるが、こうして振り返ってみると、自分の過去はとても人には言えない、言ってはいけないとても罪の多い人生だったと思う。


最初の記憶

自分の最初の記憶、時系がわからない断片的な記憶はたくさんあるのだが、1つのストーリーとして一部始終を鮮明に覚えているのは3歳である。

のちに詳しく述べるが、私は8歳で自分に倫理観がないことを自覚する。
今から述べる最初の記憶は3歳の自分であるが、この時点ですでにその片鱗が出ているため正直もうここから有料にしたいところではある。

察しのいい人は気づいているのであろうか。
私が記事の有料化にこだわるのは、すべてコレに起因する。
だが自分だったら絶対に、こんなよくわからんやつのnoteを買ってまで読もうと思わない。
果たして購読してくれる人はいるのだろうか。

と、ここで1つ私が思うのは、犯罪者の行動心理、特に殺人について研究している人にとっては、私のnoteは何か役に立つかもしれない、ということである。


3歳

年少になる前(2-3歳)、私は相性の悪い幼稚園に通っていた。

先生と相性が悪かった記憶がある。

そしてクラスメイトとも。

忍たま乱太郎に出てくる、食堂のおばちゃんみたいなでかい同級生の女と仲が悪く、今で言えばいじめ、当時の自分の感覚では嫌がらせを受けていた。
おもちゃを貸してくれないとか、勝手に使っていたおもちゃを取られるとか、そういう子供あるあるなしょうもないやつ。

それゆえ嫌いではあったのだが、嫌がらせを受けていること自体は別に嫌ではなかったのだろう。
しばらくやられたい放題やられていた。
我ながら意味がわからない。

しかしある時、今までやられていた分をやり返す。
思えばこれは今の自分に繋がる全ての始まりだったのかもしれない。

幼稚園であったが、年少にも満たない年齢の子達はお昼寝の時間があった。
私は元々お昼寝が嫌いで、お昼寝なしで一日活動できる子だったので、布団の中でずっと起きていた。
そしてこのお昼寝の時間に仕返しを実行することにした。

ここに関しては今でも鮮明に記憶がある。

嫌がらせをしてきた子のことをAとする。
お昼寝は足と足が向かい合う形で布団がひかれ、私とAはペアだった。

昼寝中は小窓がついた部屋のドアが閉められ、先生たちは隣の部屋でたまに小窓から私たちの様子をみたりしながらも、主に休憩、昼食、連絡帳を書いたりなどしていた。
仕返しには絶好の機会であると考えた。
みんなが寝たタイミングで私は頭と足を逆にし、Aの足の下に私の足、という状態から、Aの足の下に私の顔という状態にした。
そして布団を頭まで被ってAの足の親指を本気で噛んだ。

私は本気で、噛みちぎる勢いで噛み、寝ていたAは即目覚め大泣き。
私が元の体勢に戻るのを前に、泣き声を聞いた先生たちが部屋に入ってきて、私は部屋から出された。
Aの足の親指が黒紫に変色していたのを覚えている。
この直後Aがどうなったのかは知らないが、私はとにかく怒られた。
当たり前だ。

この後のことは特におもしろくないので飛ばそうと思う。

そういや余談なのだが、この時私は人間を噛むことに快楽を覚えたのだろうか、小1にもなって近所の1つ年上の女の子の腕を噛む。
心底頭がおかしいと思う。


4歳

私は年少になる頃に転園した。
転園した園は大当たりで、今でもこの幼稚園でできた友達とはよく遊ぶ。

さて4歳
私の人生の最盛期は4歳であったと思う。
5歳から虐待が始まるからである。

自分が4歳の頃、世間ではお受験がブームだったように思う。
真偽はわからないが、少なくとも私の母は教育熱心になり、私は4歳の頃には小2までの学習内容を習得していた。園長先生に覚えた九九を披露し褒めてもらっているシーンが記憶にある。

ただかなりいたずら好きだったので、文字の読み書きができるようになった代償として、父は、「父のガラケーで父の取引先の人と思われる連絡先片っ端からメールを送る」といういたずらの被害者になった。

この出来事を機に、私は4歳のクリスマスに自分のガラケーを手にいれる。
スマホは小2、
家族が機械に疎くて、家族で初めてスマホを手にしたのは私だった。
自分の携帯持っても連絡取れる人は身内だけだったから、ずっとパックマンと黄色い鳥の化け物みたいなのを育てるゲームやってたけど。

ちなみにサンタの存在は小6まで本気で信じていた。
ありえない。
あまりにもピュアすぎる。


5歳から小1

ここから母による虐待が始まる。
夫婦喧嘩が絶えない家で、父は母をよく、文字通りボコボコにしていた。
おそらく母にとって私は、全ての吐口だったのだろう。

子供がいる方には是非覚えておいてほしいのだが、何歳であっても子供にとって両親の喧嘩は重い。
それがたとえただの言い合いだったとしても、暴力を伴うものであれば無論、間違いなく子供の性格、精神の発達に悪影響を及ぼす。
最悪なので、もしやってしまっているならやめなさい。
できないなら死ね。
そんなお前らは人を育てる側ではなく、教育され直されるべき人間だ。

私の小学校時代を語るにあたって、一番大事なのは小2なので、5歳から小1はこれで終わろうと思う。



私の19年間の人生で、私がもっとも語りたいのは今、19歳の一年間である。
早く書きたくて仕方がない。
しかし時系列をぐちゃぐちゃにしたくないし、順を追って書かないと意味がないので、今うずうずしながら執筆している。
そもそも18歳まで詳細に書いたところで、読んでくれる人が全くいないなんてこともありえるわけだし、不確実だから。
既に端折って書いているが、ここから18歳までも少し端折ろうと思う。
もし私の人生で気になることがあればコメントでもしてほしい。
必要であれば詳細に述べるし、質問があれば身バレしない程度で答えようと思う。



小2

それでは今回のメイン、虐待と鬱病について。

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