ボクが見た音楽の世界 (8)

こうしてボクは、ザルツブルクのモーツァルテウム大学でピアノ科と指揮科に在籍しながら、国境を超えたミュンヘンの音楽大学で古楽を勉強し始めた。

ここでやってきたのが、あの憎むべき疫病である。
しかし考えてみてほしい。
我々が住んでいる地球は、決して人間だけのものではないのだ。
都会にいたって、街を彩る植物がそこら中にあるし、夏はうざったい虫に悩まされる。
遡れば、地球上をうろうろしていたのは、体長が何十メートルもある恐竜だったり、さらに昔は、30cmはあったであろうトンボ(メガネウラ)が飛んでいたのだ。

そして、人間の時代を見ても、どんな時代だってコレラやペストのような疫病に悩まされてきた。奈良の大仏だって、蔓延した疫病を鎮めるために造られた。モーツァルトも、天然痘に罹ってしまい、瀕死の息子を抱えた父親レオポルトが、チェコの辺境に自主隔離し、息子の治癒を毎日神に祈ったという記録さえある。

こうして、人間は疫病と共存してきた。
疫病が流行り始めた最初はもちろんびっくりしたが、このようなことがあるのは人間の歴史を見てきても明らかである。
自分にできることをや、その時にしかできないことに没頭した。

ヨーロッパと日本を何度も往復し、日本の空港では、海外から帰ってきた臭いモノ扱いをされつつも、2022年1月、無事にミュンヘン音大を満点で卒業した。

毎週3、4回は、ミュンヘンへ通った。片道2時間。
しかも、疫病のせいで、国境を跨ぐ際は、毎回書類を作成しなければならず、越境の目的、電車で座る席の番号やその他個人情報を書き込み、そしてパスポートのスキャンをアップロードしなければならなかった。

正直国境を超えてトリプルメジャーをしていて、何度も心が折れそうになった。しかし、音楽に触れる楽しさや尊さが、それを上回ったのだ。


ミュンヘン音大古楽科の卒業試験。
有志で奏者を募り、モーツァルトのピアノ協奏曲第14番を弾き振りした。

ミュンヘン音大古楽科の卒業試験は、ソロ45分、アンサンブル45分の、計90分のプログラムを構成が条件。
そこで、ソロ曲はシューマンのピアノソナタ第3番やベートーヴェンの幻想曲などを選び、アンサンブル作品にはC.P.E.バッハのフルートソナタ、この世に録音が存在しないエーベルルの作品(連弾のためのポロネーズ)、モーツァルトのピアノ協奏曲第14番などの作品を選んだ。

ミュンヘン音大古楽科(学部)を卒業したすぐ後の、6月。
今度は、ザルツブルク・モーツァルテウム大学指揮科(修士)の修了試験が待ち構えていた。

モーツァルテウムでは、ブルーノ・ヴァイル教授が退官し、新しい教授にイオン・マリン氏が来た。
全く違うアプローチの彼からは、全く新しい指揮法を学んだ。

修了試験で指揮したのは、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団。ザルツブルクが誇る名門オーケストラ。

「好きな曲を選んでいいよ」

先生からそう言われてボクが選んだのは、メンデルスゾーンの交響曲第4番。
メンデルスゾーンがイタリアを旅行した際に書かれた作品だが、明るくて、太陽が燦々と照っているような雰囲気だけではなく、ゲーテや、自らを育ててくれた師のツェルターの死への想いも詰まっている。

実は非常に深い作品なのだ。

試験では、満点よりも高い点数をもらって修了した。
満点以上をもらうのは、モーツァルテウムの指揮科ではかなり珍しいそう。
とても嬉しかったが、試験だけうまくいったって、それが終わりではない。
音楽家は、常に周りから鋭い目や耳をもって判断されるものである。毎回の演奏会が試験なのだろう。


演奏会形式の修了試験の様子。
実は試験の直前に、学部の生徒の卒業演奏会があり、
ボクは通奏低音を演奏させてもらった。

こうして、もはや向こう見ずなプランで始めたトリプルメジャーは、一つずつ終わりを迎えた…はずだった。

しかし、学べば学ぶほど、自分の無知を自覚するのである。
きっと食べれば食べるほど、お腹が空くような感じなのだろうか。
次は何を食べようか。すでにそんなことを考えていた。

(続く?)


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