大井駿

28歳 | 音楽家 (指揮、ピアノ、古楽器) 高校卒業して日本を飛び出し、ヨーロッパで…

大井駿

28歳 | 音楽家 (指揮、ピアノ、古楽器) 高校卒業して日本を飛び出し、ヨーロッパで音楽探しを続けて9年目。 パリ、ザルツブルクにて指揮科・ピアノ科を卒業。 現在はドイツとオーストリア間の国境を跨いで指揮・ピアノ・古楽の三科を研究。 好きなことを書いています。

マガジン

  • 恐竜から宇宙へ、宇宙から音楽へ

  • ハイドン

  • ボクが見た音楽の世界

    ボクが音楽に興味を持ってから現在に至るまで。

最近の記事

ボクが見た音楽の世界 (8)

こうしてボクは、ザルツブルクのモーツァルテウム大学でピアノ科と指揮科に在籍しながら、国境を超えたミュンヘンの音楽大学で古楽を勉強し始めた。 ここでやってきたのが、あの憎むべき疫病である。 しかし考えてみてほしい。 我々が住んでいる地球は、決して人間だけのものではないのだ。 都会にいたって、街を彩る植物がそこら中にあるし、夏はうざったい虫に悩まされる。 遡れば、地球上をうろうろしていたのは、体長が何十メートルもある恐竜だったり、さらに昔は、30cmはあったであろうトンボ(メガ

    • 104の点を結ぶ ~ハイドンの交響曲分布~

      この記事ではハイドンの交響曲の分布と特徴について記述します。 まず動機として、「ハイドンの交響曲って、もっと演奏されていいんじゃない…?」という疑問(もとい想い)から来ています。というほどに、ハイドンの交響曲には魅力があるのです!彼の人生や音楽について、特に交響曲の概要については過去の記事(リンクです↓)をご参照ください。 ですが、まぁ104曲もあれば、説明なしでは訳わからないですよね...どれも演奏機会が少なければどれから聴いたらいいかも分からないですし。笑 こち亀だっ

      • ハイドンという体験

        フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)。オーストリアの田舎町で生まれ育ったこの男の魅力は一体何か。 まず彼の人生について軽く触れてみましょう。 こちら、ハイドンさんの御尊顔でございます。 年表(ザーッと)1732年にローラウ(現在のオーストリアの最東端)で生まれ、少年聖歌隊に入るも友達の髪の毛を切ったり...と色々やらかします。結構なガキでした。その後屋根裏部屋での8年間のニート期間を経て、 1757年(25歳)からモルツィン伯爵の元で宮廷楽長、いわゆる作曲し

        • ハイドンと「弟子」

          今年2020年は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)が生まれて250周年だということで、クラシック業界はベートーヴェンにまつわるイベントで賑わっています。 そんなベートーヴェンやモーツァルト(1756-91)にいつも影を潜めてしまいがちで、演奏機会もさほど多くない、同じ時代の作曲家フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)。短期間ではありましたが、ハイドンはベートーヴェンの先生だったのです。ベートーヴェンの先生は一体ベートーヴェンに何を教えた

        ボクが見た音楽の世界 (8)

        マガジン

        • 恐竜から宇宙へ、宇宙から音楽へ
          2本
        • ハイドン
          3本
        • ボクが見た音楽の世界
          7本

        記事

          コーヒー中毒 〜カフェ・ツィンマーマンの例

          おぉ!コーヒー...甘すぎる、 1000回のキスより甘いし、 マスカットワインよりもうんと柔らかい... コーヒー、コーヒー、コーヒーがなきゃ無理、 コーヒーがないんなら何もしない! Ei! wie schmeckt der Coffee süße, Lieblicher als tausend Küsse, Milder als Muskatenwein. Coffee, Coffee, Coffee muß ich haben, Und wenn jemand mich

          コーヒー中毒 〜カフェ・ツィンマーマンの例

          ブラームス:交響曲第3番 0.「逆説の魔法」

          交響曲第3番が出来るまで...ブラームスにとって3曲目となる交響曲第3番は彼が50歳の時に作曲されました。 21年の歳月をかけて作曲された交響曲第1番 作品68は1876年に初演され、 翌1877年にはほんの4ヶ月で交響曲第2番 作品72を書き上げました。 それから約6年経った1883年、ドイツのフランクフルト近郊ヴィースバーデンに夏の間住居を借り、そこで書かれたのが交響曲第3番 作品90です。 ヴィースバーデン(Wiesbaden)は名前の通り、温泉(Bad/Baden=

          ブラームス:交響曲第3番 0.「逆説の魔法」

          ボクが見た音楽の世界 (7)

          2015年、刺激的なピアノ科と指揮科の一年目を終えた。 それから様々なことがあったが、最も関心を持った事柄がある。 古楽である。 古楽というと、なんだかマイナーで古い曲ばかりを演奏して、なんでも速いテンポで弾いているイメージはないだろうか。 ボクにはあった。 しかし、それを覆してくれたのが、やはり指揮科のブルーノ・ヴァイル先生とラインハルト・ゲーベル先生だった。 ヴァイル氏は古楽的な演奏を得意としており、シューベルトの交響曲にCDブックレートには、用いられた全ての楽器

          ボクが見た音楽の世界 (7)

          恐竜から宇宙へ、宇宙から音楽へ (2)

          小学生の頃から好きだった恐竜だが、自ら化石を掘りに行くほどハマった。 さて、巨大な恐竜たちが突然この世から消えた。 不思議だ。 もちろん誰も知る由のないことだが、おそらく隕石が原因で(多分)絶滅した。 その証拠として、メキシコのユカタン半島に「チクシュルーブ・クレーター」という大きなクレーター(隕石痕)があるのだ。 ここに大きな隕石が衝突し、地球上の塵が空を覆い、日光が入らなくなったことにより生態系が崩れた、と言われている。もちろん詳しいことはまだ分からない。 恐竜をは

          恐竜から宇宙へ、宇宙から音楽へ (2)

          恐竜から宇宙へ、宇宙から音楽へ (1)

          6500万年前がどのくらい昔のことだか、想像がつくだろうか。 西暦でさえもまだ2019年だ。そんな2019年ももうすぐ終わる。 たった20年ほど前のことだが、ボクは恐竜が好きだった。 大昔に巨大な爬虫類が同じ地球上をノソノソ歩き回っていたなんて、ロマンだ。 恐竜は三畳紀中期から白亜紀後期まで生息していた。(2億年ちょい前〜6500万年前) ちなみに好きだった恐竜は、オヴィラプトルという恐竜だった。 恐竜が好きだった人なら「へ?何で?」と思うかもしれない。 オヴィラプトル

          恐竜から宇宙へ、宇宙から音楽へ (1)

          初めての言語への興味

          小学校の頃、恐竜がとても好きだった。 この頃の少年は割とハマりやすいものだと思う。 6500万年前までこんなにデカい生き物が同じ地球上を支配していたなんて、実にロマンだ。 デカいとはどのくらいか。 骨は一部しか見つかっていないが、例えばアルゼンチノサウルスという白亜紀後期の恐竜は全長が35mほどある。 想像もできないような過去が実際に存在したことにとんでもなく魅力を感じてしまい、そこから貪るように図鑑を眺めた。群馬の中里村までも化石を掘りに行った。 海外のものも併せて恐

          初めての言語への興味

          コーヒー豆は必ず60粒。

          コーヒーが大好きで、行きつけの居酒屋では4時間ほど入り浸って葉巻を吹かしながら新聞を読み、たまに居合わせた友人とはチェスを楽しんだ愉快な男がいた。 そんな彼の大好きなコーヒーに関する逸話がある。 一杯60粒。 しかし測った際に数え間違えてしまった時は、 自らもう一度、一粒ずつ数えていた。 お客さんが来ていた際は特に注意を払って数えた。 -Anton Schindler, Biographie von Ludwig van Beethoven, 1840 こだわりが強い。

          コーヒー豆は必ず60粒。

          ボクが見た音楽の世界 (6)

          初めての指揮を終えた22歳のボクは、課題だったプッチーニの「ラ・ボエーム」の勉強に明け暮れていた。 パリを舞台にした、冬のお話だ。 めちゃくちゃいい話というわけではないが、音楽は素晴らしい。 まるで映画音楽のようだ。 歌詞には、 "San Michele (フランス語だとSaint-Michel。セーヌ川に架かる橋の名前、及びその一帯。クスクスがおいしい店があり、よく行った。)"や、 "Quartier Latin (カルチェ・ラタン、ラテン地区。品のある&頭の良い人が多い

          ボクが見た音楽の世界 (6)

          ボクが見た音楽の世界 (5)

          「来月のコンサート、振ってみないか?」 2015年12月、指揮を始めてまだ3ヶ月弱だった。 モーツァルト週間(Mozartwoche) モーツァルト週間は、1956年から毎年ザルツブルクで行われている音楽祭。 モーツァルトの誕生日である1月27日の前後約2日間行われる。 毎年モーツァルト週間では指揮科クラスにコンサートが一つ割り当てられ、指揮科の生徒で曲を振り分けするのだが、そこでボクは魔笛序曲を指揮させてもらえることになった。 しかもコンサートの日はモーツァルトの誕生

          ボクが見た音楽の世界 (5)

          ボクが見た音楽の世界 (4)

          さて、オーストリア・ザルツブルクでの生活が始まった。 2014年、21歳。 ザルツブルク・モーツァルテウム大学というところに入学したのだが、 それまで東京とパリでしか生活の経験がなかったボクには小さな街だった。 勉強に専念するには最適な場所だった。 入試は2014年6月だった。 ピアノ科の入試を受けた直後、結果表を見る。 普通入試の願書には自分の希望教授を書く欄があり、何名かの名前を書いて提出する。(書かなくても可) しかし、自分の名前の横の担当教授欄に知らない名前がある。

          ボクが見た音楽の世界 (4)

          ボクが見た音楽の世界 (3)

          結局高校を卒業するまで、もう一度ヨーロッパへ行きたいという気持ちが消えるせることはなかった。むしろ、彼らが生活していたヨーロッパで生活したいと思うようになっていた。慰めに、青山のゲーテ・インスティトゥート(ドイツ語学校)へ週2で通った。 限界まで張られた弓から放たれた矢の如く、2012年に高校を卒業してからそのままヨーロッパへ行った。 行き先はパリ。 「ウィーンじゃないんかい」 たしかにそう思う。 しかしいろんなことに興味が湧き過ぎていたボクは、年齢制限(〜21歳)があ

          ボクが見た音楽の世界 (3)

          ボクが見た音楽の世界 (2)

          「そんなに好きなら、ヨーロッパに行って本物を見てらっしゃい」 中学1年生の時に親から言われた言葉だ。 たしかに音楽は好きだったけど、本物かぁ...確かに見てみたい。 まだ13歳のボクにそんな言葉を投げかけるなんて、気が狂っている息子を見て親も呆れたのかもしれない。 旅行代理店を通じてオーストリアのウィーンへ2週間、結局一人で行くことになった。 小児科医の祖父は長年カルテをドイツ語で書いてきたこともあり、鳥取の祖父母の家にはドイツ語の本があった。祖父母からはそのうちの一冊

          ボクが見た音楽の世界 (2)