一年くらい前
「〇〇な人必見」 〇〇に当てはまらない時はそんな広告に目耳をとめることはなかったのに、当てはまるようになった途端に心から注意を引かれるんだ。 意外と単純なものね。 近所にある美味しいケーキ屋さんの箱が視界に入る。 ここは近所にあるコンビニの駐輪場。 前カゴに残されたケーキの箱。 この街の住民も存外信用されたものだな。 そのケーキが家庭に入った時の非日常的な違和感を想像すると、その箱をどうこうしようと考える前に、あれこれ考えるという行為ことすら憚られる気がして、その場を後にし
頑張れる糧、自意識のある対象はないけれど、きっとどこかにあるのだろう。 そういうものが当たり前の存在だった場合の、失った時になってから気づくことが多いこと、どうにかならないのか。 寒さもより冬らしくなってきて、食欲と睡眠欲が冬モードになってきたから、毎日を過ごすだけで精一杯。 かといって頑張れる糧も見つからないまま、冬を終えるのも癪。 せめて日々温かい空間に身を潜めていようか。
ベランダから身を乗り出すと日中の外が非常に眩しく感じられて、思わず照明スイッチを探した。 冬らしい太陽光になってきたね。 気づけばもう12月で、昼の散歩も楽しめる季節になっていた。 今日は月の折り返し地点だね。 寒さに負けず、時には自分に甘く、楽しく今年を終えられますように。
可愛くアレンジされた制服を着ていた女の子3人組。 きっと某テーマパークから帰るところだったんだろう。 その内の一人の女の子がちゃんと泣いていた。 泣いている女の子を真正面から体ごと支える女の子と、斜め右から手を伸ばす女の子。 時折「明日取りに行こう」などの会話が耳に入る。 泣いている女の子は大事なものを失くしてしまったのだろうか。 それは辛い。楽しい思い出から一変して涙が出てきてしまうのも理解できる。 その子を支える女の子2人も、これまた泣ける。 若い女の子ながらも人を
ふう、下手にスケジュールを埋めたせいでこんな時間にお腹が空いてしまった。 今日はよく眠れそうだけど、寝る前にもやることが山積みだ。 ご飯食べてお風呂入って、歯磨いてトイレ行って。 ただの生活習慣でも妥協点を見つけないと。いつまで経っても寝られないものね。
人の心理なんてそれぞれで違うんだから、一般論に当てはめてクヨクヨ考えを巡らすのはナンセンスかな? 当てはめがナンセンスとまではいかないとも、一般論は参考にすらもなり得ないのかな? でもじゃあ一般とはなんだ? 私もあなたも一般のうちだよね? どれがなにだろう???
今日をスケジュール通りに終えるなら、家に帰ってから一息つかずに出かけないといけないのだけど、 あと数分後の私はタスクの完遂と一息二息、どちらを取るのだろう。 緊急性がないだけ悩むな。 今日は頭と目をフル回転させたから、できれば体もフル回転させるべく、これから自転車でも漕いだ方がいいところなんだけど。 さっき私、一睡と一お腹グゥをしたよね。 じゃあ色々終えて、なんか結構いけそうじゃん。 さっき自分に与えた飴を取り返すため、体に鞭打っていこうかな。 いいぞ、この調子。
耳が痛いからかいつも使っているヘッドホンをつけたくないな〜と思ってるところかれこれ1時間。 結局、原因はきっとこのヘッドホンなんだろうな、に帰着してこのまま特に何もせず寝ることになりそう。 早く治らないかなぁ〜〜
寝過ごしたため乗り換えたい駅で降りられず、目の前の不本意な一つ先の駅で降りた。 今ある駅から引き返すことも億劫に感じられ、歩いて帰るという選択を取る。 歩いた心地のしない真っ暗闇を、この土地に見合わない格好で歩くことになるが、まあそんな日があってもいいか、とたかを括る。 実際どうってことのないことだった。 が、寝過ごすことなくまっすぐ帰っていたこと想像し比較すると、はるかに冷たいことをしたんだなと、わざわざ冬にやらなくても良かったんじゃないかと思えた。 どれもこれも時の運
今まで使っていたダンベル。 より重いダンベルに持ち替えてみると、そりゃ当たり前だけど重くって、重いものの存在に真新しく驚く。 重いものって進んで持つものではないし、重過ぎると持ち上がらないから、「重い」を知れないし、かなり曖昧な存在な気がするの。 しかもダンベルの重さは均一だから、より驚く。 こんなにも正しく地面に引き寄せられているんだなって。 重さが均一じゃない個体より疲れないなって。 疲れない重力に羨ましく思うこともできる。 いいなあ、ダンベル。
どれだけ立ち止まったとしてもお腹は空くし眠くなる。 ということは前に進んでいることでもあるから、実質立ち止まっていないことになる。 理屈っぽいけど、そうでもしてこう考えなきゃお先真っ暗、変わり映えのない未来のまま。 わかっているようないないような、わからせにいっているような。 変わり映えのない未来なんて、まったく、未来というのに、なんてわかりやすいものなんだ。 そんなんじゃあっという間に遠くへ理想が逃げてしまうよ。 うだうだ言っている暇はあんまりない方がいいと思うよ。
私はこのくらいの量しか持てない。 大事なもの・そうじゃないものがいくつか入り混じっている中、本当はあれもこれも全部を持って見せびらかしたいところだけどそう簡単にはいかない。 かと言って文明の利器を使ってコストや容量を気にしたくない。 このくらいの中で満喫しないといけない。
随分ゆっくり歩くように変化したと思う。 乗りたかった電車に乗れなくても、渡れなかった横断歩道があっても後悔はしない。 むしろ今までは後悔していたんだと、再認識。 生き急いでいたのか、早く家に帰りたいだけなんだか。 だけどどうも一歩が重くなっている変化もまた同じく感じられる。 足が重いのか、これが正しい歩き方だったのか。 最近は特に歩くのが楽しくて。同じ景色だから退屈だと思わないし、ちょっと遠いなとも思わないし、 とにかく歩いているだけで楽しいんだ。 なぜだろう。そういえば正
夏真っ盛り8月下旬の鍋開きから、私の秋は始まった。 体感的にはつい最近まで夏だったような気もしなくもないが、まあ実際季節の変わり目はそこまではっきりとしたものではないであろうと思い込んで。 私の定めたこの2ヶ月間の秋は思いの外激動だった。 見事に体調を崩し、季節の変わり目を薄々と感じていた9月初旬。 半袖を着て日焼け止めを塗って病院へ行くのと、自分のこの病人具合が個人的にはミスマッチに感じられて、世の中はまだまだ夏なんだと思った。 10月に入っても夏の格好をしている自分が
発声し足りないから知り合いとのご飯会後に一人カラオケに行く。 みんなとおしゃべりしているとどんどん満足と感じる上限が引き上げられちゃうから、「物足りない!」という不満感が強まっていくんだ。 どれに対しても「物足りない!」って思えるのは元気な証。 今日もたくさん寝ようっと。