キミは本当にまじめで素直ないい子だった
久しぶり。元気にしていますか?
ふと、月を見上げていたらキミの顔が浮かんだのでメールしています。
もうあれから5年経つのかと思うと、月日がたつのは早いなぁなんて月並みなことを考えています。(月の3段重ねなんて僕は言葉の魔術師だね)
当時の僕は、思い返してみれば恥ずかしいのですが、少女マンガのようなロマンチックな恋愛に憧れていたようなのです。
キミといると、普段の僕からは想像もできないような甘い言葉がいくらでも出てきました。
けれど、キミには、いや、キミにだけはそういうものは封印すべきでした。
キミはまじめで素直ないい子だったから、恋人たちならではの会話、「こいびとーく」(名前は僕が今考えました)にはちょっと馴染めなかったよね。
たとえば、そう、こんなこともありましたね。
ぼくが「ずっと一緒にいたい」という意味で「どこにも行かないでね」というと、キミはその日から半年ほど、家から一歩も出なくなりました。
キミのお母さんは心配していたけれど、恋におぼれていた当時の僕は、ただ、素直でかわいいな、と思っていました。
「こんな小さい虫、怖がるなよ」と言ったのも、怖がるキミがかわいくて言っただけだったのです。
だから、キミが1週間後に虫食パーティーに参加するなんて、夢にも思わなかった。それ以来、料理に虫が入ってやしないかとヒヤヒヤしていました。
記念日に「今日何の日だかわかる?」なんて軽はずみに聞いたのも失敗でした。
世界史が大好きなキミには、特に相性の悪い質問だった。
キミは、ぼくが「もういい」と言っても聞かず、何通りもの「5月20日」を過去から調べ上げてくれたから、結局その日は作業に追われて会う事も電話することもできませんでしたね。
笑った顔がすごく可愛かったから「ぼくのそばでずっと笑っていてね」と言ったら、次の瞬間、キミはもの凄い勢いで笑い転げたっけ。
僕の言った事がくさすぎたのかと、最初は一緒になって笑っていたけれど、ほぼ息継ぎなしの5分間の笑いはキミを呼吸困難に追いやり、まもなくして救急車で搬送されましたね。
身を削ってまで言う事を聞いてくれるなんて、生涯キミを愛そうとあの日は思ったものです。
でも別れてしまった。
それもつまるところ、僕の責任なのです。
キミが寝癖寝巻すっぴんメガネという世捨て人スタイルで過ごし始めたのも、テレビのリモコンを足の指で操作しだしたのも、戸をおしりで閉めるようになったのも、今思えば、「僕は彼氏なんだから、僕の前では自然体でいてね」と言ったからですね。
そう、キミは僕の言葉を忠実に守り、面倒くさがりな性分を全面に押し出しただけ。
「自然体」について、僕に想像力がだいぶ足りていなかったのが原因だったのです。
でもあれから5年。今ではそんなことも懐かしいですね。
それで、僕がいま言いたいことはただ一つ。
「もう、すべて取り下げます」ということ。
今まで僕が話した全てを、なかったことにしてほしいのです。
僕はちゃんと分かっているよ。
当時、「結婚して」なんて大それたこと言えないから、ぼくは思わず「僕のパンツを毎日洗ってね」なんて変化球を投げてしまった。
そのせいでキミは別れた今でも、僕のパンツだけを回収してていねいに洗ってポストに投函してくれていますよね。
合鍵もないのにどうやって回収してるかだとか、やたらと柔らか仕上げだとか、「パンツ便」って名前がチープでおもしろいとか、そういうことにはもう一切触れません。
もう、いいのです。
君には「別の誰かと」幸せになってもらいたいのです。
「またね」なんていうと、「また」の可能性を追求しだすだろうから、これで最後のメールにします。
今までありがとう。さようなら
――――という、宛先間違いメールが来て、どうしたらよいものか迷ってる。
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