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日韓 学校給食考

“Thatcher, Thatcher, milk snatcher(サッチャーはミルク泥棒)”

かつてイギリスの「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャー首相。そのサッチャーが「ミルク泥棒」呼ばわりされたのは1971年。当時は教育相でした。手厚い社会保障政策で知られていたイギリスは財政難に直面し、大胆な政府予算削減と規制緩和へと舵を切る必要に迫られていました。その一環としてサッチャー教育相が手をつけたのが、学校における無償の牛乳配給でした。年齢に関係なく一律無料で牛乳を生徒たちに飲ませるのは予算がかかりすぎると判断し、7歳以上の配給を打ち切ったのです。

当然、子供たちや親は猛反発。校庭では"milk snatcher"の大合唱が響いたといいます。

このエピソードを紹介したのは、最近、日本で学校給食をめぐる話題が多いためです。バッドニュースが多いです。ですが、給食制度のあり方で試行錯誤しているのは日本だけではありません。


給食が、止まった

9月1日、全国規模で学校給食などを手がけてきた広島市の「ホーユー」が事業停止状態に陥りました。同社は22都府県で学校や警察学校、官公庁など約150施設で給食提供や食堂運営をしていて、その大半で事業を続けられなくなったのは大きなニュースになりました。会社によれば、新型コロナウイルス禍で利用者が減ったところに、原材料費と人件費の上昇が重なって経営が傾いたのです。結局、9月25日付けで裁判所による破産手続きが始まりました。負債額は16億8000万円にのぼるということです。

このニュースをめぐる一連の報道では「ホーユー」の経営者に批判的なトーンが目立ちます。確かに、事前の連絡なく給食を止めたのですから、褒められた対応ではありません。

ただ、問題のすべてを一企業に負わせては、これからも同じようなケースが発生しかねません。本質は、「公」による子供たちの食事のサポートと財政バランスとの兼ね合いをどう考えるかでしょう。「ホーユー」の場合、原材料費などの上昇を給食の単価に上乗せできないか、その交渉を自治体側と始めることができていたら、経営を立て直すメドも見えていたかもしれません。

学校給食の安定が重要なのは、家庭で十分に食べられない子供たちが決して少なくないためです。内閣府が2021年に発表した「子供の生活状況調査」によれば、毎日朝食を食べている子供が「一般層」では86.5%にのぼるものの、「準貧困層」ではその割合が80.5%に、「貧困層」では71.2%へと下がっています。「貧困層」の子供では「朝食を食べるのが週に1日か2日、あるいは殆ど食べない」が8.6%に達してしまっています。それぞれの層の定義は文末に記します。

韓国では給食は無償

韓国でも、学校給食を「公」の中でどう位置づけるのかは大きな政策課題となってきました。そして、出された結論は、全面的な無償化。憲法に「義務教育は無償」と記されていることが大きな根拠となり、2000年代に入って各自治体で給食無償化が広がりました。2010年には国全体で給食にかかる総経費のうち、保護者の負担割合は60.8%だったのが、そこから下がり続け、2020年には5.1%です。ごく一部の例外を除いて、給食は無償となったわけです。ソウル市は、2021年、国公立と私立を問わず、市内すべての小中高校(特殊学校含む)で給食を無償化しています。

ただ、当然ながら韓国でも原材料費などの高騰という難しい状況に直面しています。無償化を維持するためには、おかずの食材を安いものに置き換えていくといったやり繰りも始まっているそうです。

日本でも給食は無償化となるか

日本でも、少しずつではありますが、給食無償化を打ち出す自治体が増えています。最近ですと、例えば東京都府中市は10月から小中学校の給食を無償としました。とりあえずは2024年3月までとのことですが、それ以降も続ける方針だと伝えられています。
大阪府八尾市も、今年6月、これまで小学校でだけ全員に提供していた給食を、9月からは中学校でも全員提供とし、同時に無償化に踏み切りました。大松桂右市長は「子供を産み育てやすい環境をつくるため、本来は国がやるべき施策。しかし、そうした動きが見られないので、市としてしっかりやっていく」と述べたということです。
一方で、例えば北海道留萌市の教育委員会は、来年度から給食費の値上げを検討しているとのことです。理由は原材料費の高騰。自治体によって財政状況は様々なので、給食に関する考え方にも違いは出てきます。

自治体の自助努力に任せるのは限界があるでしょう。給食無償化を決めた八尾市長がいう「本来は国がやるべき施策」というのは大事な指摘です。日本の憲法でも、韓国と同様に、「義務教育は無償」とうたわれているのに、実際には小学生で1年間に11万円、中学生で18万円かかっていて、そのうち4万円以上は給食の保護者負担分との統計があります。岸田政権のいう「異次元の少子化対策」の叩き台にも、給食費の無償化は含まれています。隣国という「同次元」で給食無償化は定着しているわけです。日本でも同じことが実現できなければ、「異次元」という大仰なキャッチフレーズが泣くというものです。最終的にどうなるかは、政権の本気度を占う一つのチェックポイントだと思います。

最後にサッチャーの話に戻ります。のちに首相となっていた1990年、閣僚から小学校就学前の児童に対しても牛乳の無償配給を止めることが提案された際、サッチャーは「ひどい騒ぎになる。自分は経験した」と慌てて止めたそうです。イギリスのメディアは、彼女がかつて牛乳配給を止めたことを後悔していた表れだと分析しています。

(注)
「一般層」は世帯収入が全体の中央値(317.5万円)以上、「準貧困層」は中央値の2分の1(158.8万円)以上中央値未満、「貧困層」は中央値の2分の1未満

(参考文献)
跡見学園女子大学鳫咲子教授「教育無償化に向けて 韓国の親環境給食の無償化を踏まえて」跡見学園女子大学マネジメント学部紀要第34号2022年8月5日


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