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子どもたちの安全な居場所はどこへ?

乳児院をご存知ですか?

児童福祉法第三十七条では「乳児院は、乳児(保健上、安定した生活環境の確保その他の理由により特に必要のある場合には、幼児を含む。)を入院させて、これを養育し、あわせて退院した者について相談その他の援助を行うことを目的とする施設とする」と規定されています。病気や経済的な理由など、何らかの事情で親が子どもを育てることができない場合、その子どもたちは社会的養育として里親家庭や施設で育つことになります。施設の場合、主に3歳児未満は乳児院、その後は児童養護施設で自立するまで生活することに。「三つ子の魂百まで」ということわざもあるように、人格形成や性格に多大な影響を与えるといわれる重要な時期を施設で過ごすことになります。

熊本県内に乳児院は3施設あり、その中の一つ「熊本乳児院」で児童虐待が日常的に行われていたというショッキングなニュースが地元紙に報じられました。複数の同施設元職員の生々しい証言をもとにした報道で、具体的には
・口に粘着テープを貼る
・排泄後のおむつを顔につける
・絵本やバインダーで頭をたたく
・入浴中に顔めがけてお湯をかける
等が挙げられています。

その後、その施設を実習の場とした大学生や専門学校生が報告した文書には
・体が浮くほど腕を引っ張った
・かみついた子どもを後ろに突き飛ばした場面があった
等の記載があったことも報じられ、実習では書面をもとに学生と管理職が面談しており「管理職が知らないはずがない」と学生は証言しています。

こうした報道を受けて、熊本市は立ち入り調査を実施、関係者への聴取が進んでいます。
同施設は、過去にも子どもたちに対する「うるさいね」「おデブだね」という元職員の発言が心理的虐待と認定され、2022年3月に改善勧告を受けています。その後に今回の新たな証言が飛び出したということは、その調査が甘かったのか、事実を見過ごしてしまったのか、実態を把握し切れなかったのか、詳細はこれから明らかになるのでしょう。

熊本乳児院の前身である本荘乳児院は、第二次世界大戦中の1941年に不遇な乳児の救済を始めました。1947年には児童福祉法による乳児院としての認可を受け、1957年には現在の熊本乳児院と改称し、定員も20名から30名へと増員。長く社会的養護の必要な3歳までの子どもたちの保護と養育を続けてきました。2021年には熊本市からフォスタリング機関に指定され、里親の普及拡大の重要な役割も担っています。
そんな歴史があり、多くの幼い子どもたちの保護・養育を続けてきた熊本乳児院に一体何があったのか?

元職員の1人は「子どもたちを守ってあげられなかった後悔がずっとある」そう涙ながらに語ったとのこと。熊本乳児院は社会福祉法人が運営しており、「乳児院は高齢者施設や他の保育施設とは異なり、家族や保護者の出入りがほとんどないことから、外部の目にされされることは少なく、このような事態が生じやすい」という声も聞こえてきます。

『こうのとりのゆりかご』に預けられた子どもたちも、一定期間を乳児院で過ごす可能性があります。ゆりかごに預け入れられた子どもたちは、その後にどんな環境で育つのか、その部分にもっと目を向けなければならないと考えてきただけに、私にとって今回の報道は他人事ではありません。また、社会的養護の重要な役割を果たすはずの施設がこのような状況ということは、私たちの社会がこの程度だと厳しく認識する必要があるのでしょう。
このようなケースは、一方的な意見だけでは判断を誤る可能性があり、断定は避けなければならないのでしょうが、一日も早く子どもたちが安心して過ごせる場所に改善されることを願わざるを得ません。

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