(短編)動物園まで

 
 
 硝子張りの喫煙室は、どことなく見せ物小屋のような非日常感と煙が反射していく閉塞感がないまぜになってあまり好きではないが、そこまでしなくてはもう喫煙することも許されなくなっているご時世なのだから仕方がない。いやな世の中になったのかそもそも僕自身がいやな存在なのかについての議論はしたくない。しても仕方がない。
 僕はよく銘柄を変える。いつでも新しい煙草に挑戦したいからだ。同居人には不評なのがたまにきずである。
 まあ、つい数日前にその同居人にも出て行かれてしまったのだけれど。だから僕は長かった髪を切って、いかにも女子大生みたいな切り揃ったボブカットにしてみた。ロングだったのは彼が好きだと言っていたからなので別に未練も何もない。失恋した女が髪を切るのは自分のためであり、長い髪を振り乱して慎ましやかに気取る必要がなくなったからであって、傷心からでは断じてないのだ。まあ、ただ、おじさんに好かれそうな気はしてくるけれど。ただでさえ煙草を吸っていると声をかけられることがあるし。中年の性欲はとどまるところを知らないのだ、男も、女も。大学生でよかった。一生大学生でいたいというネバーランド症候群の人間が後を絶たないのもわかる。社会から無条件で助けられてはいる存在ではあるにしろ社会から恩恵を受けているという実感に乏しいから社会人になれば無条件でなにかしら社会に貢献しなくてはならないような気がしてきていてそれが息苦しいのだろうと思う。でも実際のところ人間は子孫を残すために生きているのだから、適当にセックスして子供でもなんでも作ればいいのだ。新たなる希望だろうがフォースの覚醒だろうが生み出せばいいし、復讐したければすればいい。人間に不可能なのはたとえば、網戸を上からくぐり抜けるとか西から太陽を昇らせるとかそういう物理的なことだけであって(けれどそれすらも概念的なバグを利用すれば不可能ではない)、精神的および観念的には本当は自由であるべきなのだ。僕がいまから服を脱ぎだして全裸で通りを歩いてもそれ自体は可能であるし、その結果全裸中年男性という身に余る性欲を纏った異形の怪物に襲われえらい目にあうのは明白だったとしてもそれ自体は許されている行為だ。本質的には殺人だってしてはいけないわけではない。刑法で犯罪に規定されているというだけの話であってたとえば僕が全裸中年男性の首を絞めて殺すことに関しては何人たりとも妨げるものはない。殺してからそれ相応の刑罰があるというだけで、その刑罰が非常に重いからまともな人間は殺人をしないだけであって、殺人を行うことそのものは制限されていない。どこで人を殺そうがどこで人を犯そうが自由なのだ。そしてそれは今に始まったことではない。中世だろうが昭和のヤクザの世界だろうが人間社会は基本原則すべからく事後対応だ。なぜかというと所詮これから起こることなど誰にも完全な予測が不可能であるからにほかならない。むしろ、起こる事象を完全に把握できてしまう技術を確立させてしまった後の社会の順応についてこれから考えなくてはいけないのではないかと思う。アメリカンスピリットを吸ってる甘ちゃんのくせに僕はそんな大それた思考を脳内に垂れ流し脳みその細胞たちが水俣病ならぬ渋谷病を引き起こしてどったんばったんおおさわぎするのを面白おかしく眺めるハメになる。アメスピはやめよう。女子大生が吸うもんじゃない。ニコチンが薄いしハイにもならない。煙草を吸う意味がない。
 さっき東急ハンズで買った、リボルバーの弾倉の両側に蓋をつけたような金属製の携帯灰皿に吸い殻を挿入する。反対側の蓋を開ければ込めた吸い殻をまとめて捨てられるという優れものだが、よくよく考えればポーチ型のと使い勝手はそんなに変わらない。値段はいくらか忘れた。万札を崩したくて買っただけだ。いざというときになれば、変質者を殴打する凶器にでもなるだろう。そんな場面が人生で訪れるかどうかはわからないが。
 そういえば、上野動物園までパンダを見に行こうとしていたことを思い出した。
 山手線に乗れば、さほど時間がかからずに着くだろう。むしろ駅から山手線に乗るまでがなかなか難しいくらいだ。
 立体的かつ現代的なダンジョンと化しているこの渋谷駅は、地上から地下からあらゆる連絡通路が犇めいておりしまいには連絡通路と連絡通路を結ぶ連絡通路のようなものまであるらしい。らしい、というのはあくまで僕は伝聞でしかそれを知らないからだ。歩き始めて、その複雑怪奇さ加減と、これを苦も無く歩きこなす現代人の叡智に感激するばかりでさっきからいっこうに足が進まない。さっきわけのわからない石像の前を通り、やたらに芋臭い集団が集まっていると思ったらそれがかの有名なハチ公像だった、なんていう笑い話にもならない小噺を思いついたが残念なことに披露する場がない。あれば爆笑と冷笑の雨嵐、会場は大荒れでさしずめモーゼの十戒のごとく静まり返るに違いない。もし一席落語をやるのなら会場はすみだトリフォニーホールがいい。名前がかっこいい。特に「トリフォニー」という部分が最高である。とはいえ錦糸町駅まで行かなくてはならないのが難点か。自動改札機が勢いよくしまってあわや股間を打たれる寸前だった男子高校生に幸あれ。
 滑り込んできた緑色の電車に飛び乗る。そういえば志賀直哉は山手線にぶつかってなんやかんやあってから「城の崎にて」を書いたらしいし、もし数秒前に戻れるなら、山手線にダイブしたらもしかすると小説の神様どころではなく新世界の神にでもなっているのかもしれない。でもそうだとしたら最低でも真っ黒に安い修正用の白ペンで横文字が書かれたあのノートを拾っていないとならないからなかなか難しい。
 次は原宿だというアナウンスが聞こえてきたとき、僕は乗る電車を間違えたのではないかと思った。だが冷静に考えれば外回りも内回りも大して変わらない、渋谷から上野へはちょうど反対側にあるのだ。だったら歩いて真ん中を突っ切り、江戸城の跡地で茶を嗜んでいる天皇陛下に「チッス」って軽くあいさつしながら皇宮警察隊に「不敬者め!」って怒鳴られ即銃殺されるような人生でもよかったような気がする。すし詰めの地下鉄東西線で毎日のようにバーコード頭の全裸中年男性に身体中をまさぐられるタイプの刑罰とどっちがマシかといえば不敬即銃殺のほうがいいに決まっている。教育勅語をもてはやす国会議員はそういった愚にもつかない国民の意思をきちんと汲んで仕事をしているわけである意味では職務に忠実で忠実で仕方がなく、バターの味を覚えてしまった犬と同じで病理的な何かに毒されているだけのかわいそうな種族なのである。みんなもっと憐れんでこ! レッツ生類憐み!
 話が変わるが、インターネットの海で料理研究家がテレビ番組であまりにもあんまりなナビゲーションの仕方をしていたのが賛否両論みたいなニュースの切れ端みたいなのを読んだのだが、あれほど毒にも薬にもならない読字中毒者のためにあるようなニュースを見たことがない。あの手合いの記事こそがウェブニュースの手本ともいうべきだろう。なんでもいいからとにかく文字を読みたいという人種はそれなりにいて、今までは新聞で我慢していたのだが、新聞は紙媒体で読むのが面倒だと考えられるようになりそれがもとでスマートフォンがスティーブ・ジョブズの頭脳をかち割って世界に顕現し今に至っているわけだが、つまるところこの中毒者のための一時的なプラセボという役割を果たしているのがネットニュースというやつで、とどのつまりこいつはスマートホン略してスマホから読めるというのが最大の売りなのだ。同じく小説投稿サイトが隆盛を極め始めたのも同じ理由で、渋谷に飽き足らず日本中を文字の洪水が覆いインスタントなテキストに酔いしれる一見新しいタイプの文化が徐々にワールドワイドウェッブを席巻しつつあるような気がしている、という妄想を常にしている。
 新宿で人がたくさん乗ってくるのだが、休日だというのにスーツ姿の人間の多いこと多いこと。大井町駅じゃないのに多い。どういうこっちゃ。休日にまで仕事をしなくてはならないなんて前世でどんな罰をやらかしてしまったのだろうか。きっと南海キャンディーズの山ちゃんそっくりの鬼に「お前! 懲役三万年な! 嘘つきの罪だから!」とかしょうもないことを言われその場のノリで罪が確定して地獄にぶちこまれるみたいな不遇な前世だったとするならば確かに少し悲しいしそれがもとで休日も働かなくてはならないのなら現生においても拳銃乱射の一件や二件起こしてもしょうがないように思う。実際には全く起きてないのだから、日本の治安は世界に誇るべきだし。というか逆にそこを誇らないでどうするのということを常に考えているがマスコミは報道しない。
 さて、戯言だらけの列車の旅も半分を過ぎた。そう、池袋を過ぎたのだ。もっとも半分というよりは十分の九に近いのであるが。
池袋ではフリフリの、服だけ見ればどこの国のお姫様よりもかわいらしい自傷乙女ならぬ自称乙女の一団が鴉のように甲高い声をまき散らしながら乗り込んできた。腐っているものに傷はつかない。つくのは傷じゃなくて腐敗臭だ。ああ、煙草が吸いたい。今の気分はマルボロ。だけれどあいにく同居人が持ち去ってしまった。あいつめ、次会ったら股間にアイスピックをぶっ刺してやるからな覚悟しろよ。何を隠そう同居人は目の前の人形のモノマネをしているモノマネ芸人みたいな女に首ったけで結婚するなどとのたまい始め、あまつさえ僕の身体の悪口ばかり並べて捨て台詞のように去っていった。どうして僕の周りにはこんな男しか寄ってこないのだろうか。まあ、寄せる努力をしていないからなのだろうけれど、それでも何か運命みたいな、アレがあるはずなのに、不思議である。
 賞味期限切れのアリスたちは、ポムポムプリンの成れの果てみたいな顔をして、半分は田端で、もう半分は鶯谷で降りて行った。誰も日暮里あるいは西日暮里で降りないのはつまり彼女たちがコスプレイヤーではないことに由来しているとみて間違いはないだろうと思う。
 ひどく疲れた。男だったらハルキムラカミでいうところのヤレシャセしてるところだが残念なことに僕は女性なのだ。
 次は上野と伝える乗務員の声もどこか枯れてしまっている。
 電車を降りて改札を降り、僕は動物園の方を向くだけ向いて駅前の喫茶店に入った。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!