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統合失調症とわたし ⑩

とうとうこうやって体験記を書き始めて十話目になりました。そこで、今回は特別編というか『リストカット』について書こうかと思います。

『リストカット』または『リスカ』。

私の両腕には、数えきれないほどのリストカットで作った傷があります。大きいものから小さなもの。腱が切れたのか、凹んでしまった手の甲の傷。

人によって理由は様々だと思います。けれど、一番よく聞く理由として上げられるのが

『生きているということを実感できるから』

ということをよく耳にしますが、私にとってリストカットとはまたそれとは違う理由でした。全く違うと言ってもいいほどに。

私には二つ上に兄がいるのですが、兄は外にしかベクトルが向かない人で、自分でも大きな音はきらいだと言っているのに気に入らないことがあるとすぐに物に当たり、大きな音を出して私を怯えさせました。

そんな兄を、私は心から軽蔑し、そして「ああはなるもんか。ああなったら終わりだ」そんなことを思っていたわけですが…。

この体験記の⑨までに書いた、イライラや訳の分からない喪失感、そして気分の落ち込み。これらすべてをどこにぶつけていいか分からず、けれどもどこかで発散しなければ壊れてしまう。

それほどまでに追い詰められていた私は、絶好の当たり場所を見つけました。誰にも迷惑をかけず、私だけが満足できて私独りだけで解決できる場所、方法。

それは、私自身の身体でした。

次にアップする体験記で書こうと思ってましたが、プチリストカットは経験済みの私です。そんな私がリストカットという方法で心の中に溜まっている澱みたいなものを発散するには絶好の方法。

『生きている実感』

そんなもの、感じなくていい。寧ろ感じたくない。

それよりも、私は私を罰したい。こういうことになったのもすべて自分が悪いから。落ち込むのも、イライラするのも、すべて自分が悪い。悪いものは罰しなければならない。

そう言った考えに憑りつかれ、私はひたすら腕を刻みました。

痛いか、痛くないかで言ったらどちらもです。痛いのですが、その痛みが心の傷をいやしてくれるような気分にさえなったものです。

そういうことが明らかになってくるとますますリストカットをする回数は悪化し、ほぼ毎日、両腕ともざくざくと刻んでました。

これは後々、出会う先生に言われた言葉なのですが、私がリストカットをする理由と、何故外に向けて発散しないのかという理由を問われた時、「兄のようになりたくないんです、絶対に。だから、自分の身体で発散してるんです」とこう答えた記憶があります。

すると、先生は「それは、外にベクトルが向くか内にベクトルが向くかの違いで、お母さんは悲しんでいるよ」とこう返ってきました。

その時私は、すごくその言葉が胸にストンと落ちてきて頷けたのですが母については『?』でした。

実際、母は私がいくら腕を刻んでも怒りませんでしたし、泣きもしませんでした。嘆くことは一切せず、時折手当てなんかもしてくれましたし、不思議に思ったものです。

何故、止めないんだろう…?何故、怒らないんだろう…?何故、嘆かないんだろう…?

後々、母は私のリストカットについてこう語りました。

「なんでそんなことをするのかが分からなかった。どうして自分の腕を刻まなくちゃならないのか、その原因が分かれば、対処法が分かればと思って走り回っていたんだよ」

こう答えてくれました。

リストカット掲示板などにも通い、自分と同じ目をしてる人たちと共感したいという思いから、やり取りしたり、病んだ人が集う掲示板などにも行ったりしていました。

けれど、誰とも共感できなくて。

その時に結構見かけたのが自分を痛めつけることに悦びを感じる人が多いということでした。当り前のように掲示板に文字が浮かび上がり「今、クスリ溜めているんだー!」「え、私も!!」といったような。クスリを溜めるというのは、一気に飲んで苦しんでのたうち回って病院へ連れて行かれ吐かされることを意味するのです。

私は自分を痛めつけることに対して決して悦びを感じていたわけでもなく、当たり所を探していたら自分の身体があった。というわけで、全く共感できないまま、掲示板を離れました。

私の考えはいつもこうでした。

自分の身体なんだから、なにしたって私の勝手だ。

そういう考えの下に、何年も腕を刻み続け……。

今でも、時々やってしまうことがあります。本当にやってしまう時は今となっては稀なのですがそれでも、多分この先も変わらないのだろうと思っています。

自分の中の悪魔は、自分の手で消していくしかない。

私のこの考えは、一体いつになったら改まって、そしてリストカットも止められるのかは今のところは分かりません。

ただ、リストカット人口は少なくは無いというのが私の感想です。みんな誰しも闇を抱え、生きているんだなと、…それと折り合いをつけていくかは……誰しも方法が違い、その方法が間違っていたとしてもやはり、自分は自分でしか癒せないし、治せないんだなと私は思ってます。

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