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統合失調症とわたし ⑦

人間、誰しもレッドゾーンが存在していてそこを超えてしまうと、感覚がなくなる。疲れていたとしても『疲れた』と認識出来ているうちはレッド―ゾーンには突っ込んでいなく、その感覚がなくなった時が本当に危ない時。

そうなると、感覚がすべて麻痺されて疲れも何も感じなくなる。そこが、自分のレッドゾーンだと知らなければならない。気づいて、ケアしてあげなくてはならない。しかし、気づかせてくれないのがまさしくレッドゾーン。『入っては、いけないところ』ということです。

私はそれを、新しく働き始めた運送会社のバイトで知りました。

事務でのバイトをしたことがない私。事務の制服があることすら知らされておらず、当日スニーカーで出勤してきた私は事務服にスニーカー。本当にあれは恥ずかしかった…!!

私の勤務先は、父の会社の隣にある支社ではなく、父の働く部署に出張という形で運送会社の事務机が並んでいる場所、そこが私の主な仕事場でした。主なというか、そこでしか働けませんでしたが。

なんでも、正社員で働いていた男性社員が辞めるとのことで、私という名前が持ち上がり私はその男性社員について仕事を覚えることになりました。

彼は、もう辞めてしまうからなのか、仕事を教える気があるのかないのかとにかく掴みどころのない人物で、主にパソコンを使っての仕事だったのですが、父の勤める工場内にヘルメットを被って、その時の状況がどうなっているのか確かめに行かなくてはならないような、そんな仕事だったのですがヘルメットの支給をお願いしても通らず、私はとにかく机に座って教えられたことをやってました。

その男性社員のやる気というのは、主に雑談ばかりでした。雑談にやる気を咲かせ、本当に教えて欲しいことは教えてもらえず困るばかりでした。けれど、その雑談に乗ってしまった私にももちろん、非はあります。雑談ばかりして、簡単な仕事。くらいにしか思っていませんでした。

しかし、この運送会社の仕事に就くようになってから、あれだけ悩まされていた下痢がピタッと止まったのです。身体も、思うように動く。なにをしても、身体にダメージがまったく来ない。

私はこの身体の状況を、『今の仕事に就いて、安心したんだ』と考えました。が、今から思えば運送会社にバイトとして入ってから、いつからかは分かりません。が、ある時一気に達してはいけない区域、レッドゾーンへ飛び込んだんだと思います。

男性社員が辞め、そして未だ仕事を覚えきれなかった私は将来社長になるという男性社員の方から指導を受けつつ仕事をこなしていました。しかし、この男性…人を見下すのが大のお気に入りらしくひどくいびられながら、仕事を覚えていたのですが、その社員は大嫌いでしたが実は、この会社には一人、とても仲良くしてくださった社員Nさんという女性社員さんがいてくれて、その人はかなり気さくな人で、すごく仲良くしてもらっていたのを覚えています。ご飯を食べに行ったり、家に寄ってもらって一緒にテレビ見たり。

優しく頼れるお姉さん的な存在の彼女に甘えつつ、私は独り立ちして仕事をこなすようになりました。

けれど、そのレッドゾーンを通過した私に疲労は見えず、いくら夜更かししても次の日には元気になっている。一日働いているにもかかわらず、Nさんとプールに行って肩こり対策の運動をしたり。おなかの具合もいい。

すべてが上手くいっていると思ってました。そして、この時がずっと続くとも、信じてました。

このまま上手くいって、就職して…一人前になって。

そんな夢を見つつ、仕事に励みそしてNさんと遊び呆けつつ日々は過ぎていきました。

そして、会社は正月休みに入り、気が抜けたのか休みに入るなり何日も高熱にうなされ、無理やり家族と年越しそばを食べに店に行き、そのまままたベッドへ戻ってという病人としてその年を越してゆきました。風邪でもないそれに首を傾げながら、熱にうなされ年を越した私。

そして、ついに崩壊が始まりました。本物の、もう戻って来られない場所へと行ってしまったその日はやって来ました。

実は、非常にお喋りだった辞めていった男性社員と雑談に話を咲かせていた私はどうやら、父の会社の人間に疎まれていたらしく、それを父から聞いた時、ひどくショックを受けまして。

それが、引き金になりました。

私の勤めていた会社は運送会社なので荷物を父の勤める工場内でどれくらい、そして何を運んだのかをパソコンに入力し、そしてその伝票に間違いがないかどうかを調べてもらうために伝票を間借りしている父の勤める会社の人たちの机に置いておかなければならないのですが、そこで異変は起こりました。

伝票を持ち、そしていざ父の勤める会社の陣地へ入る、っ…といったところでふと、足が動かないことに気づきました。おかしい、おかしい。足が動かない。早く伝票を配らなければならないのに、何故だか足が動いてくれない。どうしても動かない。

怖い。

そんな感情が芽生え、それは一気に私の心に穴を空け思わず泣き出しそうになるのを堪え、その伝票はNさんに頼んで配ってもらい、その日はなんとか終わりました。

が、父の同僚に疎まれている。嫌われている。

そう考えると、どうしても怖くて会社に出勤できなくて。その異変はどんどんと心に広がり、食欲は減退し言葉数も少なくなり。毎日泣いてばかりの日々。何故か涙が出てくるんです。意味が無くとも泣けてくる。

そういった、心の変調が何なのか気づけず、とうとう会社へ出勤することが困難になり……そこで私はふと気づいたのです。

これは、心の病気なのでは…?私はなにか、患っているのかもしれない。そう感じ、心療内科へ行くことに決めました。

これはよく聞く話なのですが、病人さんで自分を病人だと認めたくない人が大勢いるとそういうことは聞きますが、私の場合は病院でも何でもいいから通って、何か薬でももらって早く楽になりたい。楽になれるのなら、病院でも何でも行く!という気持ちから、自ら進んで心療内科に行くことを決めました。

会社に休むと連絡をして、出かけた先が心療内科。しかし、今だから思うことですが、心療内科というのは、ストレスで眠れないだとか、少し気分が落ち込むだとか、未だ傷の浅い、軽い精神疾患の方が受診するところで、もう私の場合は完全に手遅れだったんだと思います。

レッドゾーンへ突っ込みそして、欲望のまま走り続けた私の心や身体は、思ったよりもダメージを受け、そしてボロボロになっていた。そのことに気づかないのがまさしくレッドゾーン。気づいた時には、もう手遅れでした。一気に襲い掛かってくる、深い心の闇、ひどい疲れ。倦怠感。その他諸々の、心に圧し掛かってくるような、ものすごい罪悪感や訳の分からないけれど、ひどく心を搔き乱す感情の数々。

頭がおかしくなりそうでした。いえ、おかしかったのですが。おかしいからこうなったに過ぎないのですが。

それほどまでに、レッドゾーンに食い込むというのは恐ろしいことなのだと知ったのは本当にすぐのことでした。

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