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統合失調症とわたし ⑬

H先生はどうやら、薬が足りていないということが分かっていなかったみたいです。けれど、当時の私にはそれが分からなかった。まあ…知識も何もないのですべて医師の采配で処方というか対処が決まるわけですが。

H先生は話を親身に聞いてくれました。しかし、前回にも書きましたがこの病気には薬しか効いてくれません。

言ってみれば『薬がすべて』なんです。ハッキリ言ってしまえば。薬でしか良くはならない。

しかしそれが分からなかったH先生に、ある提案を持ちかけられました。というのも、対話というものに重きを置いていた先生に「遠い場所にあるんだけど話を聴いてもらえる先生がいるからそこへ行ってみたら?」…と。

多分、ですが…。そう悪く取りたくは無いのですが面倒になったんだと私は思ってます。私の愚痴が面倒になった。から、丸投げした。

紹介してもらったのは精神科医として開業しているわけでもなんでもなく、普段は整体の先生で一応心療内科医の免許らしきものは持っているとは言ってましたが怪しさこの上ない…。薬を処方してくれるわけでもなく、ただ話を聴くだけで四週間に一度の…診察とも呼べませんが診察で5000円ふんだくられるわけです。

その先生はK先生といって、どうでしょうか……一時間?一時間半……?そのくらい私の話を聴いて、それに対して答える。ただそれだけで5000円。車で一時間かけて通って、話を聴いてもらうだけで5000円。ボロい商売です。

あれなんですね、見も知らない他人の愚痴を聞くというのはそんなに高くつくものなんですね、というのはあれですね。ちょっと皮肉に近いか。

私がK先生から学んだものは、たったの二つでした。一年近く通って得たものは二つ。

一つは、私がリストカットをしてそのベクトルが内に向くか外に向くかの違いで母は悲しがっていると。

それともう一つはチョコレートの例えでした。K先生に質問されました。「三つチョコレートがあって、二つを食べてしまった。きみはどう思う?」という質問に私は「あと一つしかない」と答えました。先生は、そうじゃなくって「未だ一つ残ってるっていう考え方もあるんだよ」と、そう教わりました。そういうふうにプラスに考えることも必要だと。

けれど、一年近く通っていながら私が得たものはたったの二つ。

まあ…当り前ですよね。薬が足りていないのですから。それに、安定している今だって、誰だって日頃、愚痴りたい時だってあります。誰かにぶち撒けてさっぱりしたいと思うこととか。私は、それを5000円出して聴いてもらっていた。たったそれだけのことだったんです。

聴いてもらったその直後は、それは楽になります。が、病気そのものに直接、薬のように効くわけでもないのですからすぐに苦しくなります。その苦しさから逃れるように、K先生に話を聴いてもらいH先生のところで弱い薬を処方されながら日々を乗り切ってきたわけですが。

その頃、既に身体と心に更なる異変が起きており、食欲がめっきり落ちまして。なにを食べても味がしないというか…。これについては、調子の悪かった友人にも聴かれたのですが味が分からない、というよりも例えば「これは塩の味」「これはしょうゆの味」「これはみりんの味」と、舌の上で使われている様々な調味料の味だけが舌に残るというか。味気ないことこの上ない。

そんな調子のため、私の食欲はみるみるうちに減退し、ロクに食事も摂れていないことがさらなる不調を呼び、とうとう本格的に調子の悪くなってきた私は、よく風邪をひくようになりました。それもまた、調子を悪くする原因にもなり、それでもH先生は強い薬を処方せず、今度は違う病院でもないところを勧めてきました。

それは、私が年中、身体の強張りが取れないというので、そういうことに詳しい先生を紹介する…と。

しかし、これは後々分かったことですがうつ病然り、統合失調症然り身体が緊張により強張ることはよくある症状の一つで、薬でどうとでもなります。実際、私はいくつもの身体の強張りを解く薬を飲んで、なんとか乗り切ってます。というか、殆どの薬の効用に入ってるものなんです、精神薬の殆どに「身体の緊張を解きます」と。薬でどうとでもなったことなんです。

これは後日譚になりますがH先生は自分には精神科の医者は力量不足だと感じたのか、看板にはいつの間にか『心療内科』という文字が消えていました。

言い忘れてました。

H先生は精神科医ではなく『心療内科』の先生で、やはりちゃんとした病院を選ばなければならないなと思ったわけです。『心療内科』ではなく、精神科に掛からなければならなかった。

しかし、一番の元凶であるJ病院は『精神科』の看板を掲げていましたが、そもそもといえばJ病院でしっかりした強い薬を処方していただけていたら、状況はかなり違っていたと思うのです。

違っていたというか、言ってしまえば私にはそれだけの運しかなかったということなのだと思います。

同じ精神科という看板を掲げていても、今の先生Y先生は死にかけていた私を救ってくれました。一方、J病院の先生はその時の私の状態を判別できなくて弱い薬しか処方出来なかった。

以前も書きましたが、やはりいい医師と薬なんです。何度でも書きます。遠回りの理由は、医師の判断不足が呼び起こしたこと。そして、半分死にかけていた、いえ…死の淵に立たされていた私を救ったのもまた、同じ精神科医の医師なんです。

もしこの病気ですごく困っている方がいらっしゃったら、セカンドオピニオンでもなんでも利用して病院を変えてみることを勧めたいです。

私の場合は、母が動いてくれました。H先生に掛け合って、今通っているM病院に紹介状を書いてもらい、そしてY先生に出会い一命をとりとめました。

運、というものも大切です。けれど、自分で動いていい医師を探すという努力もまた、この病気には必要だと私は思います。

死のうと思う前に、死のうと思っていても未だ、死にたくないという気持ちが微塵でもあれば、今の病院や医師に疑問があればぜひセカンドオピニオンを利用して助かる命がそれであるなら、誰かがそれで楽になるなら私はぜひ勧めたいです。

話に戻りますね。

そして私はK先生と並行しながら、母と高速道路に乗って身体のこりを解すという先生のところへ通うことになりました。

何事にも無駄はないと思いたいので、一応なんていうのか身体の力の抜き方を教わってきましたが、それに対して代償が大きすぎました。

三つの病院を駆けまわった私の精神が、崩壊を迎えようとしていたのです。とうとう、本格的な崩壊です。寒い、冬のことでした。

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