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統合失調症とわたし ⑤

高校を卒業し、最高にいい条件だった会社を辞めた私。

その頃から、気づかぬうちに少しずつ少しずつ、私は破滅に向かってゆっくりと歩いていきました。

最高にいい条件だった3Kの工場を辞めそしてゴルフの練習場でのバイト生活を始めて一番初めに思い、痛感したのが「工場のバイト、辞めなければよかった…!!」でした。

ゴルフ場のバイトはかなりきついもので早朝からの時間帯である早番と、そして遅番と呼ばれる夜11時までの二つのローテーションで回ってゆく目まぐるしいまでの忙しさ。

工場のバイトでは、規則正しい生活が出来、適度に身体も動かせてストレスもさほど受けることなく寧ろのびのびと楽しい日々でした。

けれど、ゴルフをやる方にはちょっと失礼に当たるかもしれませんが、お客様が結構傲慢な方が多くて。その扱いに苦労するし、休みも不定期で早番になったり遅番になったり。ごはんもロクにまともなものも食べず働き、正直きつかったです。

人って嫌だと思うことの基準が一人一人違うと思うのですが、私はこのバイトを選んだのは不正解でした。選択を間違えたんです。嫌だと思うことが、とにかくこのバイトには多すぎて。それがものすごいストレスでした。

若さから、なんとかギリギリの状態を保って勤めていましたが元々、精神病気持ちの私です。不規則な生活に馴染めるわけもなく、そのバイトはどうだろうか…一年持たなかったと思います。

一緒に働いてた同僚も、楽しい人は多かったですがそれは私を引き留める理由にはならず、後ろを振り向きもせずゴルフの練習場を後にしました。

それでも、一応その頃はまだ普通の人が送る生活というか娯楽は出来てました。友達に誘われてクラブに行って夜中中遊び回ったり、夜中にドライブに行ってはしゃいだり。買い物を楽しんだり。

お金が手に入ったので、それも散々使い放題でしたが…(家に生活費はちゃんと入れてましたけど)。

そんな毎日を送り、時々薬のお世話になりながらなんとか過ごしておりました。

そして次のバイト先に選んだのは、冬の時期だったので近所の菓子工場でのバイト募集の案内を見て、時給が良かったのでそこに決めました。この時期は、正月用の菓子を作るので人手が足りなくなるそうです。

たった一ヶ月のバイトです。

が、そのバイトがまた命とりでした。

とにかくきつい!!私の後からバイトで入ってきた人が午前中で辞めるくらいにはきつい仕事で、そこでもまた私は選択間違いをしたわけです。

言ってみれば、楽な仕事はないということです。それは重々承知の上でしたが、その頃から起立性貧血の薬を飲む量が格段に増え、毎日に疲れ、日に日に元気が無くなり、その年の仕事納めは菓子工場で終わりを告げました。

私だけがつらいわけではないのは分かっているつもりですし、働いている人皆、それぞれ悩みと疲れを抱えて毎日を必死に生きてます。私もその中の一人でした。

今でも、自分が特別につらい思いをしたとは思ってません。当り前のことです、仕事というものがつらいのは。けれど、元の土台がガタガタで少しのダメージでも大ダメージに変わってしまう。

少し話題から逸れますが、私は寒いのがすごく苦手でして。寒いというだけで、寒さに当たるだけでも今では調子が悪くなり薬を多めに飲まなければならなかったりして寒さは大敵なのですが、その菓子工場はとにかく寒くて。その寒さが堪えて堪えて。生菓子を扱うので暖房は禁物。なので工場作業内はとにかく寒いのです。それが、一番のストレスだったのかあ…と、ストレスの要因の一つとしては充分な要因ではありました。

そしてゴルフ練習場のバイトから菓子工場のバイトを渡り歩いた私は、選択を幾度も間違えながら知らぬうちに自分を追い詰めつつ、ゴルフ練習場で溜めたストレス、そして止めの菓子工場で溜めたストレスを抱え、なんとも病的な新年を迎えました。

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