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不妊治療終了

11月4日に胚移植を行い、11月18日にその結果が出ました。

結果は陰性でした。

これに伴い、私の不妊治療は今回の治療をもって終了です。

2回めの胚移植にあたっての方針は下記の記事の通り。

今回の胚移植の担当医はいつも診てくださってる先生で。
ちょっと気持ちがほっとしたところで施術。

施術後に胚移植直後の子宮内の写真をもらってから帰宅となりました。
当日の、内膜は 7.7mm。
排卵周期胚移植だった前回とは異なる、ホルモン補充周期だったからなのか、厚みが少々足りないような……だったのですが、大丈夫だったから施術したと思うのでここは良好な結果を信じるしかないでしょう、という感じでした。

帰宅後は、前回は特にやらなかった、ジンクスにも頼ってみたり。
胚移植当日はマックフライポテトと……あと、トツキトオカもインストールしてみたりとか。
あとは、判定日までの間に、ワタリガニのパスタ食べてみたり。
さすがにメニュー提供の店は探せなかったので、パスタソースと缶詰入手して作ってみたり。
(缶詰もパスタソースであっても、どこでもあるわけでもなかったです。よく見かけたのはズワイガニ。だから、入手できたのは本当にたまたまでした)
あとは、パイナップル食べたり、ホットミルクを飲んだりしました。
(胚移植前説もあったけれど、まぁ一応ってことで)

途中、結婚記念日のお祝いでポッキー食べたりケーキ食べたりしつつ。
そんな感じで、2週間経過した、11月18日の判定日。

移植から判定日までは、お腹がちょっと気持ち悪い感じ?とかはあったけれど、特に何か症状が出ることはありませんでした。

というか……私の場合、過去の妊娠も、特につわりの症状とかなかった方だったのですね。
過去の妊娠時の唯一の症状が基礎体温だったのですが……これは今回薬飲んでる影響だったりするので、全然当てにならず。
(私の場合、ホルモン剤の効きがいいのか、薬飲むとずっと基礎体温高いままなのです)

判断材料はやっぱり妊娠検査薬のみなんだな……と思いながらの、判定日通院となりました。
そして結果はすでに書いた通り。

前の患者さんの診察が終わった後、いつもなら数分で診察室に通されるところを、今回は結構な時間待たされたので……ああ、駄目だったのなと思っていたら、本当にその通りでした。
多分、先生もどんな言葉をかけていいのかを迷ってたんじゃないかなと思います。

駄目だったという事実は、もうそれを認める以外の方法はないのですけれど。
ほんのり辛そうな先生の様子が印象的でした。

……以前に稽留流産の診断をした時や、前回の胚移植がだめだった結果をお話してくだった時に見たのと同じ。
カルテの表示された画面を見つめてしばらく沈黙する様子は、私には辛そうに見えたのです。

毎日毎日、数え切れないほどの人たちの診察をするのだから、そんな感情を抱いていたら身が持たないから、実際はそんなことはないのかもしれないのですけれど。
でも、医者からしても、患者の望む結果がでないことは辛いんじゃないのかなって思います。
だって、病気や怪我だったら完治させるために。不妊治療だったら、命を授けるために。医者は日々研究し、現時点でその患者にできる、最善を尽くすのだから。

そして。
今までだったら次の方針の話をするところですが、今回違うのは「これで終わり」ということで。
それを静かに伝えたところ。
先生はカルテ画面を眺めて、最初に治療を行った日から順番に示し、一つ一つ振り返って話をしてくれました。

継続治療はしないことは決めていたので、結果が駄目だったら5分もしないうちに話が終わるんだろうなと思っていたのですが、本当に、ゆっくりとした言葉で。
多分、これは最後だからこそ、私の心に寄り添うように話をしてくれたんだろうなと思います。

先生「確かに、どこで止めるかというところではありますよね。……この先は、治療をすることはできるけれど、どうしても運によるところが出てきますから」

もう一度、ご夫婦で話し合ってくださいね。
そして、不妊治療ではなくても、婦人科系で困ったことや気になることがあれば、相談してくださいね。
そう、そっと言葉を紡いでくださった先生に礼を伝えて、診察室を出て。

会計を終えて、次回の予約についての記載も連絡もない、真っ白な診察カードを受け取って。
それで、私の不妊治療は終わりです。

送り迎えで付き添ってくれた母親に伝えて、自宅で仕事をしていた旦那に伝えて。
色々話をして。
泣いたのは、夜寝る時、布団の中でひっそりと。

悲しかったのは、「次」がないこと。
不妊治療中って、結果が駄目でも「次」を思うことでどうにか気持ちを奮い立たせることができる。
でも、そういう「次」を無くしてしまうと……これからどうしようかと考えてしまいます。

最後にすることはずっと決めていたし、これを覆すことはありません。
来年は43歳なのですから。
生まれてきた子供をしっかりと育てていけるかというところまで踏まえて考えると、積極的に手を伸ばすことはもうできません。

養子は求めません。
養子をお迎えすることができる方は、しっかりとした覚悟と、たくさんの愛情を持っている方々だと思っています。
私には、意気地がないのです。
ご縁をいただいて自らのお腹に宿った子供を育てる覚悟は決められますが、養子をお預かりし育てる覚悟までは決められないのです。

だから、私が選べるのは子供を諦める道。
大好きで尊敬する、大切な旦那と、2匹の猫たちと一緒に生きていく道です。

悩んだり落ち込んだりしたことの多かった不妊治療期間ではありました。
仕事を止めなければよかったのかと、今更ちらっと過ぎったりはしたのですが。

けれど、仕事を止めていなければもっと後悔したでしょう。
あの当時……流産後は、仕事を続けられる気力も体力も、ついでに言えば、会社の有給休暇だって残ってなかったから。
もし仕事を続けていたら、満足な通院の時間も取れず、周囲に気兼ねしながら中途半端な不妊治療をしていたでしょう。
そうして、「あの時仕事を止めていれば」とずっとずっと悔いていたに違いないのです。

そして。
仕事を止めて不妊治療に専念していなかったら、絶対に得られなかったもの。
白にゃんこを保護したことや、ライターへの挑戦体験。
そして、noteでいただいたたくさんのご縁。
これらは、今もとても大切で、これからも大切にしていきたいものです。

最後に、改めて。
ここまで読んでくださって、そして、様々見守ってくださった皆様に感謝を。
ありがとうございます。

今後もnote上では活動は続けるので、引き続きご縁ある方はよろしくおねがいしますね。

私の不妊治療はここまでですが。
現在も不妊治療を続けられている皆様にご縁がありますように……!

(重たい話ばかりでも仕方がないので、にゃんこ写真も載せておきます)

画像1

(↑文字通りのキャットタワー)

画像2

(↑黒にゃんこ、毛づくろいしてるはずなのに耳を食べるようにしか見えない)

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