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Cafe SARI . 13 「雨の日の信頼」

あ、今日は福の神、来るかな?

朝から何度となく近くに鳴り響く雷、時々滝のように激しく降るゲリラ豪雨。亜熱帯かと思うような蒸し暑い日が十日以上続いた後の今日の雷雨は、ある意味恵みの雨だと沙璃は思った。こう何日も40度近い猛暑日が続くと、この雨で少しは中休みができると安堵するのだった。

そして朝から雨が降るこんな日は、決まって店には閑古鳥が鳴く。でも沙璃は少しも落ち込まない。それどころか少しワクワクするのだ。それは少し期待にも似た気持ちで、きっと“あの人“が来てくれるに違いないという一種の賭けにも似た楽しみがあるからだ。

時計を見ながら考える。何時ごろ来るかな。今夜は何を作ろうかな。福の神が好きなもの。エンジェルのお気に召すものは何だろうかと。

先日仕入れたチリのカベルネ・ソーヴィニヨンは、今朝一度抜栓して香りを確かめた。甘さの中にしっかりとした重さを感じる。よし、今夜はこれでいこう。
空気に触れてタンニンの渋みなどの角が取れるよう、毎朝その日に出すワインを開けて香りを確かめ、再度栓をしてお店が始まると同時にワインセラーに入れて冷やしておけばお客さんが来る頃にはちょうど良い温度で提供できる。

夏バテ気味な胃腸に優しい料理をと、蒸し鶏のサラダを作る。
鶏ムネ肉に白ワインと岩塩を振り、フライパンで蒸して余熱が取れたら肉を裂いておく。別に茹でたアスパラとブロッコリー、そして黒オリーブを合わせ、オリーブバージンオイル、レモン汁、塩、黒胡椒、乾燥ニンニクとバジルをかけてさっくりと混ぜる。とてもシンプルだが、飽きのこない味は食欲のないこの季節には食べやすくて喜ばれるのだ。


BGMはいつものビル・エヴァンス。雨の日には一層その魅力が増す。どれだけ繰り返しても全く飽きないどころか、こんな雨の降る夜は尚更聴きたくなるのだから不思議だ。沙璃の人生に欠かせないもの、ワインとビルのピアノ。それは今まで幾度となく寂しい夜に沙璃の心に寄り添ってくれた。そしていつも変わらず沙璃を癒してくれた。


ワインセラーに冷やしておいたカベルネ・ソーヴィニヨンが適度な温度になった頃、おもむろにドアが開いた。
思いは的中。やはりエンジェルは現れた。

「いらっしゃい」
「ひさしぶり」
「ほんと。最近何してたの?」

他愛のない会話。
直哉とはいつもこんな風に始まる。
お客の無い雨の日に決まって来てくれる Cafe SARI の福の神。そして沙璃にとっての心の拠り所のような数少ない信頼のおけるエンジェル。

人を信頼するには何かしらの条件がある。それは数をこなした対話の末に構築される関係性かもしれないし、これまでの人生をカムアウトしたのちに出来上がる特別な存在かもしれない。しかし時として人は無条件の信頼というものを唐突に得られる時がある。それは言葉にはしにくい感覚的なもので、例えば“フィーリング”とか“ヴァイブス”などと称される。お互いに感じ合うことで成り立つそれは、だからこそ言葉にはしにくく、する必要もないものなのだ。そのことをお互いが了承していないと成り立たないというもの。だからこそ成り立つもの。

「どう?」
「うん、おいしい」
「でしょ?きっと気にいると思った」

沙璃の勧めたワインをいつもおいしいと喜んでくれる直哉。それだけで沙璃は直哉に承認されていると実感する。そしてそんな“雨男“に沙璃自身もいつの間にかすっかり信頼を寄せていることに安堵するのだった。

スピーカーからはビルの「Here’s That Rainy Day」が流れている。“なんていう日だ“ という意味合いの曲は沙璃にとっては嬉しい雨の日として心の中で転換される。


「沙璃さんさぁ。人に裏切られたって思ったことある?」
直哉が尋ねる。

そっか。何か辛いことがあったんだな。沙璃は直哉の心にスッと近づくように言葉を返した。
「はい。何度か」

一瞬、直哉は驚いた顔をした。
沙璃があまりにも素直に答えを出したので、想定していなかったその言葉に面食らったようだ。

裏切られた経験。もちろんある。なぜそんなことになったのか。いくら考えても沙璃にはわからなかった。信じていた人にある日突然突きつけられた裏切り。それはあまりにも唐突で、あまりにも想定外の出来事。そこには沙璃の一方通行の思い込みがあった。一方通行の期待があった。だから裏切られたと思ったのだけれど、後々よく考えたらそれは沙璃自身には全く関係のないことだった。

「人に最大限の愛情を持って接して、それでも裏切られたって思ったことある?」
直哉は再度問うた。
「はい、何度か」

好きだから期待するし、好きだから落ち込む。しかしそれは自分の中での勝手な言い分だと思えば全ては諦めがつく。そしてなぜ裏切られたのかを考えたところで、答えなどない。それは相手の中での問題できっと沙璃の存在自体とは違う次元のことなのだ。裏切られたのは自分ではない。相手の中の問題が表層に現れて来ただけのことだ。二人は信頼など持ち合わせてはいなかったのだ。最初から。そう思えばとても楽になった。遠い記憶の出来事。

だから直哉にも軽く捉えてほしかった。それは直哉自身の問題ではないと。起こることには必ず理由があり、そして意味がある。後になって思えば、当然のことだと気づくだろう。そして自分には何の影響もないことだと、自然と受け入れ、そして流してくれたらいいなと思った。

少しの時間、二人は黙っていた。それぞれに思うことを考える時間。こんな沈黙の時間をお互いに気づかうことなく持てるのも、きっと信頼の上にこそ成り立つ安心のひとときなのだと沙璃は嬉しく思うのだった。

「もう一杯、同じものを」
「はい。今日は、なんかありました?」
「ううん。なんにもないよ」
「そうですか。それは良かったですね。いい日ですね」
「そうだね」
「私ももう一杯いただいてもいいですか?」
「もちろん」

ようやく直哉に僅かな笑みが戻る。
そう、今日はいい日。雨の降る日はいい日に決まってる。だってほら、エンジェルが来てくれるから。

Here’s That Rainy Day


砂男さんの小説に感謝を込めて✨

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