羽化

 セミの羽化を見たことがある。

 高校2年生の夏休みだったと思う。部活のあと、当時付き合っていた同じバスケット部の彼女と美術館に行った。閉館間際に駆け足で観て回り、美術館の庭を歩いていると、彼女が急に立ち止まった。振り返ると「ほら、みて」というふうに、木を指さしている。

 彼女の指の先を見ると、セミが羽化する最中だった。茶色い殻から薄い緑色の羽がのぞいている。

 その無防備すぎる様子に圧倒されて、ずっと目が離せなかった。やがて閉館時間になったのか、守衛らしき人が近づいてきた。彼女は、羽化のことを自分の手柄のように嬉しそうに告げた。守衛さんは「普通は夜か朝方しか見られないんだけどね」と穏やかに言った。

「じゃあ、ラッキーですね。きっといいことありますね」と、なぜか声を潜めて話す彼女を、なんだかおめでたいような、誇らしいような、愛おしいような気持ちで眺めていた。

 観た絵のことは、まったく思い出せない。

#あの夏に乾杯

そんなそんな。