2018年の短歌

2018年に作った(というかツイートした)短歌です。1月からの時系列なので、ほんのり季節感や時節感もありながら、お楽しみいただければ。

つらいのは何もしてないことよりも何かしなければという気持ち

やらいでか 僕はこれしかできないしこれは僕しかできないことだ

朝からの雨は上がった なぜ「元を正せば」なんて責めたのだろう

終わらせてしまいたい日に飲んでいるマイスリーが日に1つ減る

残された者になるのを前提に猫との日々を楽しんでいる

カーリング女子はメダルを獲得し僕は二月を失っていた

泣くならば蚊の鳴くような声でなくあの咲くような声でなければ

好きというよりはきょうまで一匹も嫌いな猫に会ってないだけ

左右ならまだしもいつも問題は品の上下でみにくいニュース

エイプリルフールの決意表明は嘘になっても気に病まず済む

マメはダメ 嘘にも手間をいとわない 「面倒くさい」は平和の言葉

中吊りの高い合格率を見て受からなかった誰かを思う

中学で習ったようなことばかり言う政治家を支持しています

「おめでたいひとでしたね」と苦笑いされる故人になれますように

Hey Siri、OK Google、アレクサ 朝までたがいに長所を褒めて

嘘みたいだけどあなたが口にするだけですべてが嘘みたいです

美しくなくていいから 恥ずかしくない国ならば充分だから

サッカーでボールを持って走っちゃう人を称えるような政治だ
サッカーでボールを持って走らない人を嘲るような政治だ

もういない猫の名前を呼んじゃって開かない箱を自分で開ける

消去法ばかりに頼る 正解が選択肢にない気がしながらも

「振られた」と受け身で言うと悲しみが濁る気がして「別れた」と言う

「この辺で、まあいいか」って思ったり「まあいいのか?」と思ったりする

目にすると心の中で唱えちゃう (「エモい」が定着しませんように)

うちの猫に悩みがなさそうならそれは僕に悩みがないからである

現実は(そこから逃避したあとの愉悦のためにあえて)厳しい

平成も終わる今さらザ・ブルーハーツが僕にとても苦しい

猫のよいところは常に僕よりも高く保たれている体温

「めんどくさい」「ややめんどくさい」「みなかったことに」の箱に仕分けする僕

「生きるのが下手」と言われて猫の手をたくさん借りてまだ生きている

プライドは傷つけられることでだけ在り処がわかるものではないの?

我が家すらジョブズが死んでも回ってる 僕が死んでも世界は回る

届くべき人に届けばいいのにな 書くもの全部そう思ってる

絶望は身を委ねるとそんなには居心地悪くないのが地獄

僕だって「知り合いかも」に表示され「誰?」と舌打ちされてるだろう

「背に腹は代えられない」と言いながらあなたがあなたを失っていく

作り続けなければ いま死んだならこれを「遺作」と呼ばれてしまう

涙腺が信用できない年齢で泣ければよいってものでもないが

冥福は祈らないでね 僕の死をそのツイートで軽くしないで

いつの日か千葉雄大と瀬戸康史を見分けられる日が来ますように

おじさんが椅子を回して座ってるロマンスカーが運ぶ雑音

「がんだれ」と入力すれば「厂」と変換できると知る素晴らしさ

冬が寒くてほんとうによかったと思わないまままた冬が来る

いい音のする楽園のような場所 子猫が水を飲んでるだけで

気をつけて 我慢に我慢を重ねるともう戻せない色に塗られる

「出ないよりいいよ」と粗相をした猫に(あるいは自分に)言い聞かせてる

そんなそんな。