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不快の快/苦しいは気持ちいい


誰かを批判する意図はないし、全て内省だけど他の方も思い当たる部分があるんじゃないかな?とは思う。



最近思うこと。苦しいは気持ちいい。

これは、苦しさを免罪符にして愉快になっていいという意味ではない。文字通りというか、苦しさには一種気持ちよさが伴うと私は思う。

私が気持ちよさを感じるのは、
疲れているのに歩き続けている時
愚痴をバーッと吐いている時
ずっとスマホをいじっている時 など。

やめたいのにやめられない。喉の辺りが気持ち悪いし頭もぐるぐる、手も痛い、だけど何だか気持ちいい。抜け出せない沼をどこか楽しんでしまっている。




快を信じられないから、受け取ることが出来ないから不快にハマる。普段「快い」ことがないので中々「不快な快さ」から抜け出せない。

たぶん私なんかは「不快な快さ」を選ぶ癖がついている。それをやめようね、というお話。




いきるってむずかしいね、ハム太郎
そうなのだ だから楽しいのだ

(強制ポジティブ発言ハム太郎)

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