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【通勤電車の詩 vol.100 完】踏切よ、さらば

ぼくが通勤に使っている鉄道が高架になった。
何年かかっただろう、ずいぶん長いこと工事をやっていた。
そのせいで踏切がなくなった。
他の鉄道でも踏切が減っているのだろうか。

踏切が降りてしまえば、予定外に足止めされて時間を浪費する。
それに悲しい事故が起きるリスクも大きくなる。
確かに踏切はないに越したことはない。
誰にとっても踏切がなくなることはいいことだ。

踏切があっていいことって、どんなことがあるだろうか?
いろいろ考えてみるけど、これと言って思い浮かばない。

ただ踏切で足止めされていた人や自動車が、電車が行き過ぎて、遮断棒が上がって一斉に動き出すあの瞬間が好きだ。
意味はない、ただ何となく。

だからって残して欲しいとまでは思わないけど。


本日で「通勤電車の詩」100話、完走~!
3か月ほどにわたり、サラリーマンが通勤電車でふと思うこと「通勤電車の詩」を読んでいただきありがとうございました。
連載は一旦終了となりますが、またそのうちに…
ああ、蛍の光🎵が頭の中で鳴っております🥲
感謝!

yuriparsley


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