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猫に委ねたくなるときもある

窓辺の陽だまりで私の足に全体重をかけ、全身で甘えてくる我が家の白黒猫、さん。
オス、推定4歳ぐらい。素直で甘えんぼの大きい猫。

ゴハンの気配を察し、私の足元を駆け抜け小走りで先導し、餌皿の前でちょこんと座って待つ。
夜は温かい暖房の前のふかふかベッドで眠る。

2020の夏、もう大人で野良だったさんを、うっかり餌付けして我が家に保護してから2年と少し。
さんは幸せそうに見える。

我が家の猫になり、室内飼いにしてから一度も外へ出ていない。
もう一匹の先住猫が脱走のチャンスに鵜の目鷹の目なのに比べて、なんという違いだろう。
「もう外の暮らしは嫌なんでし」と思っているのかもしれない。

けれど、身も世もなく甘えてくる時、ゴハンを今か今かと待つ姿を見る時、さんの完璧な丸い形の頭を撫でながら
「お前は本当にウチの子になってよかったのかい?」
と聞いてみたくなる時がある。

そしてふと考える。
この子を外に出してみたらどうなのだろう。

嬉々として野性を取り戻し、蝶や鳥を追いかけて生き生きとどこまでも走っていくのだろうか(ちょっと美化しすぎ)。
家に入ると窮屈に行動範囲が狭まることを知り、それを嫌がってもう入ってこないだろうか。
それともゴハンゴハンと、猫まっしぐらに駆け戻ってくるだろうか、私のもとにまた撫でられにすり寄ってくるだろうか。

まだ経験したことのないシチュエーション、私にはどうなるか、本当に確信がない。
もしさんが、もう家には入らなかったならば、それがさんの「答え」ということだ。

この子は夜の道で出会った別の子


去年さんが大きな病気をした時、うちで室内飼いにしたせいではないと言い切れるだろうか、さんはそう感じてはいないだろうか。
外で野生本来の生活をしていればそんなことはなかったと・・・・

いや、本人(本にゃん)はきっと
「え?ボキは今ゴハンを食べられてうれしいでしよ」
「今はあったかいところでゴロンできていい気分でし」
「さあボキを可愛がってください。撫でてくださいゴロゴロ言ってみせまし」
「あ、鳥がいるでし追いかけたいでし」

その場その場の気分が100%、含むところは全くないであろう。

けれど毎日ベランダに出て、もう死んで動かない小さな虫の死骸に駆け寄っては(虫を私が片付けないので)飽きずにそれで遊ぶ姿を見る時、窓越しの鳥に狩りの姿勢を見せる時、そしてビビりなので玄関のドアが開くときも本当にそっとだけれど興味深そうに近づいてくる時、この子は家の中で、本来の生き物としての生活と切り離された暮らしを強いられて本当に良かったのか、本当は外の暮らしが好きではないのか、我が家にはほんのちょっとご飯をもらうつもりで寄っただけだったかも、などと考えてしまう。

そっ…


さんがいなくなったら自分が悲しい。近所には猫に関する注意が書かれた市の看板が増えていく。
猫を外へ出すつもりはない。自分の都合で。
外飼いゆえの悲しい思いを引き受ける覚悟、ご近所と猫のトラブルになった時きちんと向き合う覚悟、そんなものは私にはない。
だから室内飼い。私はそれを選ぶ。
さんに選択権はない。

けれど時々、卑怯にも、自分で決めたことの是非を猫に委ねたくなってしまう。このまるい頭を撫でるとぎゅっとこみ上げる複雑な気持ちを持て余しながら。


このこがかわいいいとしいせつないかなしい



****

余談
もう一匹の、脱走に血道をあげる三毛猫まる女王に関しては、また別である。
生後3か月から我が家に棲息。以来10年、脱走しては必ず帰ってくる。


ああっ女王陛下!!

フンッ!
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