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【掌編小説】復員兵の女房

今年最初の夢は、不思議な物語でした。

広い庭に門扉がついた、しかし家自体は大変小さな住宅を取得しました。家内と二人暮らし。恐らく娘はもう、独立しているのでしょう。ところが新居で寝たのは一晩限り、私は戦争に徴収されてしまいます。戦場での出来事は見なかったのか忘れているのか、全く記憶にありません。次のシーンは5年後、私が再び地元に生きて帰る所から始まります。

戦場で共に戦い、先に帰還していた戦友と再会します。
「おー!生きていたか!」
「おー!どうしてた?元気かー!」
「終戦になってから戦犯として捕まってなあ、たった今釈放された所さ」
指を指す先に、見知らぬ刑務所があります。さしずめ“巣鴨プリズン”といった所でしょう。するとまた日本は負けたのか?それとも私がタイムスリップでもしているのでしょうか?

戦友と別れ、必死に我が家を目指します。新築してたった一晩しか過ごせなかった我が家へ、早足で向かいます。
「まだ残っているといいが」
辺りは焼け野原から、だんだん被害が少ない地域に入ります。街並みも見覚えのある、懐かしいものに変わってきました。
あった!
“うちの”門扉です。新築する時に特に選んだ好みのものです。良かった!走って近づき門扉に手を掛けようとして、私は愕然とします。

家が、ありません。
正確に言うと、立て直しの最中です。基礎工事が終わり、これから一階部分に取り掛かろうかと言う段階です。はっとしてもう一度門扉を見ると、私が手書きした表札は無く、代わりに知らない名字の立派な表札が掛かっています。
“かみさんは、どこへ行ってしまったんだ”
呆然と工事中の家を見ていると、近所の主婦達でしょう、通りすがりに噂をしている声が耳に入ります。
「ここの奥さんよねぇ、お気の毒に」
「ご主人も戦地から戻らなくって、暮らし向きも大変だったようよ」
「それでも旦那さんが戻って来た時に判りやすいようにって、このすぐ裏に引っ越して待ってるんでしょう?ホントにお気の毒よねぇ」

私は考える暇もなく、全力で駆け出しました。
この裏?この区画の中にいるのか?私は帰って来たんだ、無事に生きて戻り、この通り大した怪我もなく、君の所へ戻って来たのだ。家もなく、いや、家なんざ無くったって構やしない。待ち人がいると思えばこそ必死に生きた私だ。その噂の人が家内であって欲しい。もう私はこんなに近くに、今、ここにいるのだ。

小さな区画の事とて、すぐに真裏にたどり着きます。二階建ての古い小さなアパート、一階は大家さんが住んでいるようです。とすると、この手摺りも危うい外階段を登った、玄関も雨ざらしのあの二階のいずれかでしょうか。しかし表札も見えず、特定もできません。
立ち尽くす事、暫時。一つのドアが開いて、客らしき人が出てきました。そしてその後ろから見送りに出てきた顔は...。

間違いありません。やつれてはいますが、家内です。私は錆びた鉄製の外階段を駆け上がり、客も無視して家内の名を呼び、掻き抱きます。
よくぞ待っていてくれた。どんなに辛かったろう。涙が次々湧いては流れ、やがて耐え切れず嗚咽となり、人目も気にせずわんわん泣きました。



私のあまりの手放しの泣きっぷりにミニチュアダックスの愛犬が驚き、音でもするんじゃないかと言うくらいの激しさで尻尾を振り、寝ている私の顔をベロベロと舐め回します。遂に目を覚ました私は、それでもまだ泣いています。家内も娘も、私の寝言ならぬ“寝泣き”に安眠を破られ、何事かと顔を覗かせています。
「いや、ちょっと、戦争の夢見てさ」
泣き腫らした目で、照れ隠しに苦笑するしかなかった今年の初夢でした。

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