なぜ人は生きるの?(その4)

noteを書き始めて2年が経ちました
いまだに思い出すのが辛くフラッシュバックすることもあります
けれど「人間は忘れる動物」といわれるように辛い過去も時間と共に忘れたり美化されたりするものだと実感します
ある意味では幸せな事なのですが、やはり後々誰かの役に立てればという思いで書き始めたものなので忘れないうちに少しでも書き留めておきたいと思います

前回は「車は自由の羽根」と表現しました
昼の陽の光を嫌い、日没と共に夜の闇に居場所を求めて徘徊する僕にとっては車こそ唯一の移動手段でした

会社の上司には「人間は太陽とともに目覚めて働けば自然に夜は眠れるもんや。薬なんかに頼るからおかしくなるんや」と叱責されましたね
「それなら僕は人間ではないのでしょう」と喉まで出かかりましたが言葉を飲み込みました
眠りたくても眠れない辛さは体験した人にしかわからないでしょうから

車にお金をつぎ込むようになりました
もっと速く
もっと遠くへ

結婚当初からの約束で家計の遣り繰りは妻に全て任せていましたから、僕は必要な時に「お金くれない?」と無心するのみ
妻の今にも泣き出しそうな顔も見て見ぬふりをして更に夜の首都高へと向かいました


話は逸れますが僕には一人息子がいます
妻は結婚前からサルコイドーシスという難病を患っており、定期的に経過観察を続けています
この病気は原因が未だ不明で、妊娠すると症状が悪化し最悪のケースでは死に至る前例があるそうです
そのため結婚から5年経っても僕からは「子供がほしい」とは言いませんでした
けれど僕の病気を通して妻は「生きる望みを持ってほしいから子供をつくろう」と言ってくれたのです

妻は僕より6歳年上です
命がけで子供を産んでくれると言ってくれたけれど、年齢的に高齢出産でもありリスクが高いのが現実です
でも僕もまだ頑張らなければいけない
そういう状況でこの世に生を受けたのが息子なんです

力一杯の産声をあげて真っ赤な顔をして生まれてきた息子は、自分の命よりも大切な宝物です


そんな息子と妻がいてくれて幸せだと思うでしょう?
今なら僕自身もそう思えます

けれど当時は簡単に幸せとは言えませんでした
家族のために頑張ろう
そう決意して復職しました
会社側も部署異動という形でサポートしてくれました

でも心と身体がバラバラなんです
頑張ろうと思うほど身体が動かず遅刻の連続
「今日も出社できません」の電話ができないのです
明日こそ、明日こそと不眠の日が続き、最後はやはり電車に乗る事さえできなくなり再び休職に
そして休職可能日数を超えついに解雇となりました

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