短編小説 沙羅 (夏椿)
短編小説 沙羅 (夏椿)
沙羅、シャラノキの花言葉は「愛らしさ」。 花は朝咲いてその日のうちに落ちる、平家物語では「はかなさの象徴」で登場。
関東地方のとある都市の住宅街にポツンと一軒、ソープランドがある。
8畳程度の部屋にバスタブとシャワー、マット、ベッドとテーブルがある。
3階建ての鉄筋コンクリートのビル。2階の6部屋が接客室で、3階は昔、嬢達の寮だったそうだ。
「たっくん、いらっしゃい。」
「おう、これ土産だ。」
「何?、、、あ、笹かまだ。食べる?」
「いや、俺は良い。沙羅が後で食べなさい。」
「えへへへ~、、、日本酒、美味しいんだよねこの時期。」
「飲みすぎるなよ。」
「は~い。今日は90分だよね。お風呂とマットの準備するから待ってて。」
「あいよ。」
いつもの会話で始まる出張帰りの午後。
ここに通い始めて8年が経つ。ほぼ毎週、やって来る。
午後3時からの90分がいつものコース。これでマット洗いとベッドの2回で大満足となる。
たまに120分を指定すると、これにスケベ椅子での洗体とバスタブでの潜望鏡がプラスされる。
3回戦の時に予約する。
いつも指名する娘は沙羅、29歳になる。(らしい、、、死んだ娘と同い年だと話してた)
顔はエキゾチックな顔立ち。
可愛らしい丸顔で彫りが深く目が大きい。ふくよかな体に大きな胸とお尻。赤い髪と薄い陰毛。
セクシー女優に天晴乃愛と言う子が居るが、よく似ている。
なんといっても明るい、よく笑う、凄く気を遣う。
会えば、元気を貰える。
10年前に妻と娘を交通事故で亡くし、背負っていた責任が一瞬で無くなってしまったと言う虚脱感や、これからの人生の道標の代わりに、
【この子たちの応援でもしてみるか、、、太客になるか、金蔓でも良いから。】と思ったのだった。
この店の存在は知っていた。
この街に家を建て、親子3人で暮し始め、毎日通勤で通る道から見る建物だった。
【こんなところに風俗店、、、、住宅街の中にポツンと一軒屋】いつか見たユーチューブ動画の様な印象だった。
一度行ってみたいとは思うものの、住宅ローンに子供の教育費を考えると、自分の小遣いではとても行けない。
諦めていたんだ。多分、もうすぐ店閉めちゃうだろうな、、、と、何の根拠もなく思っていた。
ところが妻と娘が亡くなると、家のローンが完済出来るし教育資金も不要になった。
酒も煙草もギャンブルも夜遊びもしない俺は、自由な小金持ちになっていたんだ。
二人の3回忌法要をお寺で執り行い、料理屋で会食した後、徒歩で帰宅する夕方、店の前を通った時に沙羅を見たのだった。
丁度タクシーが俺の目の前でお店に入り口に停まり女の子が一人降りてきた。
店から白髪の年配の男性と美人な熟女が出て、その子を迎えていた。
「姉さんっ!来ちゃいました。支配人、よろしくお願いしますっ!」と挨拶した声が、元気で明るくて可愛らしい声で思わず俺は立ち止まり、その人達を見入っていた。
するとこちらを見ていた熟女が俺に気が付き軽く微笑み会釈してきた。
それに気づいた女の子が振り返り、「こんにちはっ! よろしくお願いしますっ!」と明るく挨拶してくれた。しかもとびっきりの笑顔で。
びっくりした俺は反射的に会釈し、「いらっしゃい。よろしく。」と返した。
「ハイっ、頑張ります。」とまた、女の子は返してくれた。
一度も足を運んだ事の無いお店に対し俺は「よろしく。」と言った事が恥ずかしくなり、ある決意が心に湧き上がった。
【よし、、、明日、行こう。このお店に。】
「今日はアパートへ案内するからそこでゆっくり休んで。明日から頼んだよ。」と男性の声。
「私んちの近くだから安心して。」と熟女の声。
俺は店のいる口にある料金表を確認した。
”60分 ¥18,000 90分 ¥24,000 120分 ¥ 30,000 入浴料込み”
俺の若い頃、店頭には入浴料しか出ておらずサービス料は中で聞いたものだったが、今は総額表示になったのかとその時思った。
店や地域によったのかもしれない。別にどうでも良い事だとほくそ笑んでしまった。
翌日俺は昼過ぎにお店へ電話した。
「昨日見かけた元気な子、今日出てる? 夕方3時からでも大丈夫かな?」
『ああ、沙羅ちゃんね。居ますよ、3時から、、、何分ですか?」
「120分で、、、」
『お名前をどうぞ』
「…木村拓也で、、、」
『はい、木村さんね。お待ちしています。』
多分昨日の支配人だ。予約は出来た。あの子に会いに行こう。何年振りだろう、このドキドキと上手くイカなかったら恥ずかしいかもと言う不安。
3時に店を訪れた。客は俺一人だった。待合で紙コップのコーラを貰った。美味かった。
5分くらいして昨日の子がカーテンから出てきた。
「いらっしゃいませっ。沙羅です、よろしくお願いしますっ。」
うん、、この子だ。昨日の子だ。化粧が昨日とほとんど変わらない。毛羽くない。口紅もピンクかオレンジかというくらいだ。
【やっぱり可愛いわ。】
それからの俺は毎週欠かさず、沙羅の元へと通った。いつも120分でもなく、90分の時もあった。
沙羅ちゃんがどうしても出勤出来ない時は、あの女王様に接客して貰った事も有る。マットプレイの神と言われていると聞いたが、俺自身は良く分からないが確かに俺自身に負担は感じなかった。
それよりも纏わりつくような口とあそこは、テクニックなのか持って生まれたものなのか見当は付かない。
でも俺は、沙羅ちゃんが出勤していれば沙羅ちゃんを指名した。
お店に在籍している他の子も、『たまには指名してくださいよ~。』とカーテンから顔を出され言われるが、「ごめんごめん。俺、沙羅ちゃんでないと駄目みたいだから。もう歳でさ。」と笑っている。
沙羅ちゃんも生理の時でも無理して出てきている。そんな時は正直に、
『たっくん、今日わたし生理。海綿入れてるから手マンは許してね。あとクンニは着いちゃうから我慢ね。その代わりに頑張るから。』
身体は辛いだろうに沙羅ちゃんは俺の上で、飛び回ってくれる。
沙羅ちゃんの元へ通い始めて半年くらいの頃から、お互いの身の上話を少しするようになった。
俺には妻と娘がいて、それが3年ほど前に事故で死んだ事。
今でも妻を愛してる事。娘も愛してる事。これから先、誰も愛せそうにない事を話した。もちろん沙羅ちゃんも愛せないと。
「でもこうして毎週、沙羅ちゃんに会いに来るのは訳があるんだ。
今でも心のすべては妻と娘で埋まってる。妻とのエッチで、、、小さい頃の娘とのお風呂で、、、肌と肌が触れ合う。それは何物にも代え難い物なんだ。
二人が死んだ事でそこにも隙間が沢山出来たけど、、、でも俺は一人の男なんだ。射精しないと生きていけない男なんだ。しかも、肌と肌が触れ合う事で、隙間が全部埋まるんだ。
今それは、沙羅ちゃんでないと駄目みたい。」
そう言った時、沙羅ちゃんは優しくキスしてくれた。目は涙目だった気がする。
沙羅ちゃんの事も聞いた。
お父さんはカナダ人と日本人のハーフで、お母さんは4つの国とのミックス、ハイブリッドだという。アラブとインドとスペインとベトナムらしい。
でもこの日本で生まれて育ったから日本人だよ。ちゃんとお正月には初詣で神社行くし、パパとママの葬式はお寺でして貰ったし、クリスマスはツリーの下からプレゼント貰ったし。と笑う。
そうだね、典型的な日本人だね。と言ってあげる。
次いで小耳に挟んだ話もした。
大昔から、この日本にはありとあらゆるところから人が来ていたんだ。
南の島から、東南アジアから、遠いアフリカやエジプト、イランイラク辺りから、ヨーロッパからシベリアから、アメリカ大陸からも来てたかもしれないし、ここから向こうに渡って行ったらしいよ。
すぐ隣の大陸とか半島とから来た人が多かったから、今の人はみんな良く似てるんだ。でもたまに、一人だけ顔つきが違う子も生まれるんだよ。それが大昔にやってきた遠い国の人の名残だよ。
例えば、平井堅とか阿部寛とか名倉潤とか、、、そうそう秋田美人って言うのはね、日本海の向う側に住んでた人があの辺りに移り住んだからっていう人もいるよ。
周りとちょっと違う、ハーフみたいとか外国人みたいとかって言うのは、結局羨ましんだよ。僻みだね、妬みだね。
沙羅ちゃんはそれを聞いてとても喜んでくれた。
ハーフみたい、外人みたいって良くいじられてた。段々いやな気持になってったけど、僻みや妬みならしょうがないよね~、誰しもあるもんね~、と。
沙羅ちゃんの両親は雑貨の輸入や卸しをする会社をしていたそうだ。
それが中学校を出るころ上手く行かなくなり倒産。多額の借金があったそうだ。
両親は自殺し、その保険金で借金の多くは返せたらしいが、闇金融相手の借金は残ってしまったそうだ。
御祖母さんの所で高校へ通っていた時に、複数の闇金融の人達が訪ねて来て困ったそうだ。
治安が悪くなったと近所の人から責め立てられ、罵られ、心労で御祖母さんは急に亡くなられた。
たった一人になった沙羅ちゃんは、闇金融の一人に『返済するの待ってやるから、仕事するか?』と言われ、それに従ったという。
17歳で高校を中退し、西川口へ移り住み、闇金融の男性の所で生活しながら、デリヘルをはじめた。
その男性は優しく、他の金融会社との調整もしてくれて、一括で俺に1,000万返せばチャラにすると約束してくれた。
約4年で1,000万を返す事は出来た。約束通り、沙羅は自由の身となった。そしてその時に女王に出会い、その人について行くことにしたという。
「騙されたとか思ってないよ。自分勝手な事すると誰でも怒るし、出来る事素直にしてるとみんな優しくしてくれたし。って言うか生まれつき私、楽天的だし。脳天気って言う人もいるけどね。」
辛かった事も「昔話だからね。」と笑って話す沙羅ちゃんにどれだけ救われた事だろうか。
女として惚れたとまでは言えない。
妻として迎え入れたいとも思わない。
娘の代わりとかではない。
人として、好きになったのだ。
所有欲、独占欲の全く無い愛なんだろうと思う。
毎週通って8年が過ぎた。
俺の心の隙間は完全に埋まり、仕事も焦らず騒がず順調に熟している。
一人暮らしも板に付いた。料理は殆どしないが、外食も多くない。
日替わりおかずの宅配のメンバーになり、冷凍されたパックが2週間に一度届く。それが夕食となる。
月に1万円程度なので痛くも痒くもない。プラスチックごみが増えた程度だ。
「このお店、、、来年には閉めちゃうんだって。建物がボロでも、新しく建て直す事も許可が下りないんだって。」
「あ~、、、風営法かぁ~。何でもこの辺りって昔は牛や馬の市場があって、バクロウさんやそれを買いに来る農家や商いの人が沢山集まる場所だったんだって。
そんでもって、飲み屋から宿屋、遊郭とかがあった場所らしいんだ。夜鷹も沢山いたらしいよ。住宅街になったのはその後だ。」
「夜鷹?何それ?」
「今で言う ”立ちんぼ”だな。新宿大久保公園界隈にいるお姉さん達の昔の呼び名。
遊郭が箱ヘルとかソープで、置屋がデリヘル。飲み屋さんのお酌する姉さんは交渉次第のパパ活かな?、、、
で、普通の奥さんや手っ取り早く小銭稼ぎたい女の人が、通りの端や川端に立って、道行く男に声を掛けてたって事だよ。」
「へえ~、今と変わんないじゃん。昔から同じなんだね。」
「昔も今もこれからも、、、同じじゃないかね。エッチしたい男とお金が欲しい女の人が居る限りね。」
「うん、だから私も生きていけてる。無くなって欲しくないよ。」
「この店が無くなったらどうするの?行くところの宛はある?」
「A市に行けば何軒かあるからそこに行こうかなって、、、でもいずみねえさんはもう辞めるって。自分でお店したいんだって、お金もそこそこ貯まったって。」
「そこには行かないの?」
「こういう仕事じゃないらしいから、、、私はこれしか出来ないから、、、、」
悲しそうな顔をした沙羅。俺はその言葉を額面通りにその時受け取った。
翌月、沙羅が急に居なくなった。いわゆる 飛んだ。
元々1週間の休みを取り旅行に行くと言っていた。帰る予定を過ぎても帰ってこない。携帯も繋がらない。
支配人にも、いずみねえさんにも誰にも告げず、居なくなった。
いずみねえさんに聞くと、
「沙羅ちゃん、彼氏がいたのよ。もう10年くらいの間でさ、、、ここで稼いだお金、あらかた注ぎ込んでたらしいよ。聞いてみたけど、笑って誤魔化してた。
その彼氏は20歳以上年上で、飲食店をするとかエステサロンを始めるとか、、、芸能事務所始めたとか、ケツの座らない男だったみたいよ。
私、そんな男は止めときな、お金いくらあっても足りないよ。沙羅ちゃんから巻き上げられる間、取れるだけ取っちゃって平気な顔してんでしょ。クズだよ、そいつ。
そう言っても、、、、自分にはもう家族がいないし、あの人だけが家族みたいなもんだし、一緒には暮らしていないけど、、、、夫婦みたいなもんだし。って」
「そんな人いたんだ、、、彼氏の話や私生活の話なんかほとんど聞かなかったしなあ、、、」
翌週、沙羅の家族から支配人へ連絡があった。
正確には、工藤静香の父親から手紙が届いたそうだ。
「先日、娘はなくなりました。生前娘が大変お世話になったそうで、お礼申し上げます。
告別式は行っておりません。お骨は49日に納骨します。それ以降であれば、墓所へのお参りはご自由に行い下さい。
皆様方には娘に成り代わり、深く感謝申し上げます。これまで大変お世話になりました。
大変失礼な文面となり、申し訳ありません。心中、お察しください。墓所の場所は、、、、、」
季節の挨拶も、結びの敬具も無い文面。関わりたくない、しかし一応知らせておく。そんな書簡。
沙羅、いや工藤静香の本当の顔はどんなだったんだろう。
家族、お父さんは生きていた。沙羅ちゃんが話してくれた事は、何を伝えたかった物語だったんだろう。
沙羅、、、はかない命だったのか、それとも真っ白で可憐な愛らしい、精一杯咲いた命だったのだろうか。
それを知ることはもう出来ない。
知らなくても良いのだと思う。
沙羅と過ごした、「客と泡姫」の歳月は、確かに俺の心を癒してくれていた。
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