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小ささの大きさ日誌〜生後4ヶ月目〜

お子が生後5ヶ月目に入った。数字が持つイメージだと思うが、4と5のあいだには大きな壁がある気がする。お子を抱っこしていると、「かわいいねぇ、いまどれくらい?」と聞かれることが多いけれど、「4ヶ月目です」と「5ヶ月目です」という返答では感覚がだいぶ違う。遠くまできたな…と感じるくらいの月日が流れたのか。既に振り返らないと見えなくなった思い出たちを眺めつつ、これからもお子の“いま”の横に居続けよう。

夫婦でやっている間借り喫茶にて
当店の店主がお客さんに挨拶中

寝返りをした

4ヶ月目の最大ニュース。先月も身体をねじってはいたので、もうちょっとやろうなぁとは思っていたけれど、はじめて寝返りしたときは妻と変な声をあげてしまった。(本当のはじめては、僕らが目を離していた隙にすましていたのだけれど。仰向けに転がっていたのに、いつの間にかうつ伏せになっていたときの衝撃たるや…)

いわゆる“動き”としてなにかを習得したのは、はじめてかもしれない。想像していたより、心が動いた。首を上げるとかはあったけれど、ゼロヒャクというよりは、グラデーションの動作。寝返りは「できた/まだできない」がわかりやすい。

「なにかをできるようになること」がすべてではないと思っているが、それと「なにかをできるようになったこと」を喜ばないとは違う話。寝返りおめでとう。もう得意気にころころころころ。

笑い方が変わった

毎月のように書いている気がするけれど。楽しいときの笑い声が長続きするようになった。なんだろう、お子にとっての世界が点から短い線になったのかも。いままでは、どれだけ楽しくても「それぞれの刺激に対して反応する」といった感じだったのが、いまは「一連の流れに反応する」みたいな。知覚が変わったのだろうか。

とにもかくにも、破壊力がすごい。全力で楽しんでいる小さな身体から、大きすぎるエネルギーを感じる。この子は生きてるんやなぁ、と強く思う。

泣き方も変わった

もちろんこちらも。つい数日前に予防接種に行ったとき。前までは、その瞬間にギャン泣きするものの、数秒後にはケロッとしていた。でも、今回は数十秒泣いていた。やっぱり、点が線になったのかも?

はむはむしていたおもちゃを落として見失い、号泣していることも。これも今まではなかった。自分の意志が出てきたのに、思い通りにいかずに泣いている。「楽しくやってたのに、なんでなくなったんや!」と泣いている。たまに「おもちゃとったでしょ!」といわれもない非難の目でこっちを見て泣いている。とってないんよ。

ちなみに、はいどうぞと落としたおもちゃを渡したら、目と口をまんまるにして手を伸ばしてくる。かわいすぎる。

手を伸ばす

そう、手を伸ばすようになった。お気に入りのおもちゃを目の前に持っていくと、「ちょうだい!」と両手を伸ばす。僕や妻の手を持っていっても、「つかまえた!」とするみたいに、両手で掴んでくる。たまらん。

あとは、顔にも手を伸ばしてくるようになった。興味の範囲が広がったのだろうか。顔を近づけて遊んでいると、僕の鼻や顎や口に手を伸ばす。お気に入りは、口のなかに手を突っ込むことと、僕の喉仏を的確に掴むこと。急所狙いすぎでは。

人見知りがはじまったかも

お子を抱えていろんな場に顔を出しているので、「抱っこさせて」と言ってもらうことが多く。いままでは、ぽやぁっとした顔で抱かれていた。あんまり人見知りしないんかね、と思っていた…のだけれど。

このあいだ僕の友達が抱っこしてくれたとき、いつもどおり抱っこされてるなぁ、と見守ろうとしていたら、ふいに顔を上げ、友達の顔を認識した瞬間にとんでもない鬼の形相をして号泣してしまった。「抱っこや!わーいわーい!………って、え、誰?これ誰?ちょっと待って、こわいこわいこわい」みたいな流れを表情から感じる。僕の腕のなかに戻ってきたら、安心して泣き止んでいた。正直、嬉しくなりますね、これ。

こうやって、少しずつ誰かとの距離感をはかりはじめるのだろうか。どんどん人間になっていくねぇ。

寝返りはおてのもの

最近考えていること

少し前から、お子のお布団を真ん中に置いて、いわゆる川の字のような形で寝ている。寝かしつけ中や、ふと目を覚ましたときなど、お子の寝顔の向こうに妻が見える。この景色に、心が揺さぶられる。日頃いろんなことを考えているけれど、そんなのは放りだすように、ここにすべてがあるんじゃないかとまで思う。

実際、その瞬間にすべてがあるのだろう。この“すべて”の正体を考えていくのが、僕の道なのだと最近は思っている。

仕事から帰宅して玄関を開けたとき、ふと「ちょっと前までは、この家にふたりきりやったのか」と思ったことがあった。ふたりきりの空間から、お腹にいるお子と3人の時間があり、無事に家族3人で過ごすいまがある。

ちょうど1年前のいまごろ、お子が来てくれたことがわかった。その前には、お子という存在は影も形もなかった。無だった存在。それがいま、目の前で転がりながら、僕の顔をまっすぐ見て笑い声をあげている。

この世界って、とんでもないんだなと感じる。この子のいない世界とこの子がいる世界は地続きで。そんな事実を考えるだけで、胸のうちがぐぅっと奥に広がっていく。

日本史や世界史を学んできたけれど、それらの世界もいまと地続きなんだよな、と思うようになった。歴史と称される世界も、たしかに存在した人間たちが織り成したもので。137億年前に宇宙がはじまったらしいけれど、そこから世界は続いている。

やっぱり、“すべて”なんだなと思う。うまく言えていないのは自分でもわかっているけれど。

お子はたくさんのことを教えてくれる。本当にありがとう。また来月、新しいあなたを振り返ることを楽しみにしています。

妻目線の4ヶ月振り返りはこちら

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