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宙に浮く言葉

たしか小学六年生のときだったと思う。昼休みと地続きになった総合の時間かなにかで、フルーツバスケットをするため、僕たちは椅子を丸く並べていた。先に並べ終わった僕と友人は、いつも通り窓際でふざけあっていた。「なんでやねん!うっさいわ、死んどけ!」と強めのツッコミを入れる。友人がウッヒッヒと笑う。何十回も繰り返したやり取り。

ふと「どうしたの?」という声が、僕の横を通り過ぎる。顔を動かすと、同級生の女の子が泣いていた。「大丈夫?」「具合わるい?」正義感が強そうな人たちが投げかける心配をよそに、その子は声を発さない。

教室全体がずっしりと重くなっていく。空気をその子が支配していく。その子から零れ出るであろう一言を、全員で待つ。じっと待つ。そして零れる。

「あくつくんに、ヒドいこと言われたから…」


言葉というものは、なんて面倒くさいのだろう。何かを伝えようとするとスルリと逃げ、思考をまとめようとすると散り散りになる。頭のなかは言葉が荒れ狂っている。いまこの文章を書いている瞬間も、画面に現れる文字とは違う言葉が、脳内をビュンビュンと飛び交っている。そして、それらは捕まえられないまま遠くへと消えていく。

それでも言葉に頼る。不完全だと知っているけれど、頼り続ける。いつの間にか、完璧だと錯覚する。期待を押し付け、膨れ上がったところで裏切られる。勝手に押し付けたのだから、言葉に対して失礼だけれど。

言葉の不完全さを眺めていると、X(Twitter)の黎明期にあった、“エアリプ”と呼ばれるやり取りを思い出す。(いまでもあるのだろうか)

特定の相手への返信だと明記せず、それでいて誰かへの返答だと匂わせる…という高次元のコミュニケーション。 ツイ廃と呼ばれていた友人たちは、エアリプを使いこなしていた。誰宛てかわからない言葉たちが、次から次へと呼び込まれ、ひとつの会話に編み込まれていく。

よくエアリプで会話できるな、と友人に言ったら、たまに違うヤツが反応してくるけどな、と返ってきた。あの滑らかな会話には、想定と違う相手が編まれていることもあるのだ。いびつさを覆いつくすほどの、ツルンとした滑らかさ。美しささえ感じる。

基本的に、言葉たちは宙に浮いている。誰かに向けて放った言葉も、各々の手で引っ張り込めば、その人に向けられた言葉に変貌する。だからこそ、ときに「言葉を受け取ってもらえて嬉しい」と人は言うのかもしれない。

きっと、受け取ってもらえるのは稀で。宙に浮いたまま消えていく言葉なんて、宛先違いが気付かれないまま届いた言葉なんて、たくさんある。勘違いされた愛の唄、胸に飛び込まない叱咤激励、意図せず傷つけた強いツッコミ。発された言葉は、自分の思惑なんてヒラリと飛び越えていく。ドブに嵌ることもあれば、遠くまで届くこともある。


瓶に手紙を入れ、海に流すボトルメールが好きだ。切なさがギュゥッと漏れ出てくる。

とある大好きなゲームに、ボトルメールを送るシーンがある。ヒロインの女の子が、主人公を想って書いた手紙。けれど、その子は主人公の名前が思い出せない。大切な記憶はあるはずなのに、そこに手が届かない。それでも、面影を追って、言葉を尽くす。手紙は、この一文で始まる。

この世界のどこかにいるあなたへ──

ゲーム内では、主人公へと届いた手紙。そこから道は開けていく。けれど、これが違う誰かの手に渡っていたら。そこには、全く別の愛すべき物語が生まれるのではないか。

僕たちが日常で使っている言葉たちも、ボトルメールのようなものな気がしてくる。宛て先はあるようでないし、ないようである。宙ぶらりんのままかと思えば、誰かの胸に届くし、受け取ってもらえたと思えば、見当違いの解釈をされる。

その不完全さを塗りつぶそうとすると、鈍い動悸とともに、僕の身体は熱くなってしまう。

会議中でも雑談中でも、自分の言葉が届いているのだろうか、と不安になると、途端に舌が高速で回り始める。誤解されないように、ちゃんと受け取ってもらえるように、言葉の不完全さを不完全な言葉で上塗りしていく。できあがるのは、でこぼこの塊。元の形なんて、そこにはない。

どうしてこうも恐れてしまうんだろう。言葉に期待を押し付けてしまうんだろう。言葉の不完全さを、すぐに忘れてしまう。何度も何度も出会っているのに、また懲りずに期待してしまう。

切なさをボトルメールに感じるのは、言葉が届かない可能性が多分に含まれているからだろう。その切なさは、紅い夕焼けをボゥと眺めるときの胸の内と似ている。

届いて欲しいけど、届かなくてもいい。それは、祈りとも呼べる。

祈るように言葉を紡ぐ。そうすれば、あの日の教室のようなことは起きないのだろうか。いや、あの出来事も、誤配から生まれた愛すべき物語なのかもしれない。

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