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Vol.1 『ONE PIECE』 と キリスト教のリンクのおもしろさ

はじめに

*わたしは、なぜ『ONE PIECE』が好きなのか。ストーリー全体に、わたしが信じるキリスト教の要素が強く感じられ、重ね合わせて考えられることが多いからかもしれない。『ONE PIECE』の作者の尾田栄一郎氏はそう意図して描いているわけではないだろうが、読者のわたしはこの作品にキリスト教の真髄が表されていると感じる。キリスト教の一般教養や知識とのつながりやオマージュの発見ではなく、作者の意図とは別にもっとキリスト教信仰の内面的な思想観・価値観・世界観・人生・死生観のような観点で、わたしが勝手に感じとったメッセージを書きます。考察とはまた違うものとなります。作品の文章を引用したり、それを元にした考えが書いてありますので、まだ『ONE PIECE』を読んでない方はご注意を。


第1話 ROMANCE DAWN -冒険の夜明け-

✝️「死」からの始まり

富・名声・力
かつて この世の全てを手に入れた男
”海賊王” ゴールド・ロジャー

『ONE PIECE』コミックス【第1巻】「第1話 ROMANCE DAWN -冒険の夜明け-」

 海賊王ロジャーが処刑された。

*イエスは、”富・名声・力、そして、この世の全てを手に入れた”どころではない、ユダヤ人の王メシア、キリスト、ひとり子なる神である。もともと世界を手中している存在である。その神であるイエスが十字架で処刑された。

「おれの財宝か?
 欲しけりゃくれてやるぜ・・・
 探してみろ
 この世の全てをそこに置いてきた」

世は
大海賊時代を迎える

『ONE PIECE』コミックス【第1巻】「第1話 ROMANCE DAWN -冒険の夜明け-」

 海賊王ロジャーの一言と「死」から、「大海賊時代」が始まった。

*同じように、「死」から始まる時代がある。「主(キリスト)の時代(Anno Domini)」である(映画『FILM RED』の主題歌『新時代』@Ado と響きが微妙に似ているような似ていないような…)。イエスの「死」を起源として、AD(主の時代)が歴史的に始まった。それだけでなく、人間の罪からの救いという信仰の面でもキリスト教が始まった。

 『ONE PIECE』の正体、「財宝」、「この世の全て」とは何なのか?

*「財宝」「この世の全て」:使ってなくなってしまうようなただの莫大な金品などの宝では、「この世の全て」と言えるだろうか?無くなりもしないほどの莫大さなのか?キリスト教の天国や天での報いもこの「ワンピース」と何か似ている気がする。愛情・仲間の存在・平和・自由と言う目に見えない思想的なものだけではないと思うし、お金・宝石・地位・最強兵器などのこの世界で行使できる物質的なものだけでもないとも思う。ワンピースが最終的に何なのか明らかになるのが楽しみであると同時に、キリスト教の天国や天での報いも明らかにされる時が楽しみである。それくらいに、いやそれ以上に、天国も天での報いも奥深く、簡単に示せるような内容でも、安っぽさもないのだろう。

✝️「海賊」への憧れ〜罪からの自由〜

連れてってくれよ 次の航海!!
おれだって海賊になりたいんだよ!!!!

『ONE PIECE』コミックス【第1巻】「第1話 ROMANCE DAWN -冒険の夜明け-」

 ルフィにとって「海賊」は憧れであった。

あんなの かっこ悪いじゃないか!!!
何で戦わないんだよ
いくらあいつらが大勢で強そうでも!!
あんな事されて笑ってるなんて男じゃないぞ!!!
海賊じゃない!!!

『ONE PIECE』コミックス【第1巻】「第1話 ROMANCE DAWN -冒険の夜明け-」

 山賊のヒグマに腰ヌケ共とバカにされた後、笑っているシャンクスたちに対して、「海賊」を語るルフィ。ルフィの「海賊」に対するイメージは、「航海」・「冒険」・「戦い好き」・「強い」・「勇気がある」と読み取れる。これらのイメージは、割と良いイメージである。しかし、「海賊」とは、良いイメージだけではなく、「略奪」・「破壊」・「無法者」・「恐ろしさ」という悪いイメージも持ち合わせている。ルフィは、なぜ「海賊」でなければならないのか。祖父のガープと同じように「海軍」でも戦い、勇気、強さが必要で、海に出ることもできるのに。

*『ONE PIECE』の世界の登場人物は「海賊」・「海軍」・「山賊」の他にも「政府」・「天竜人」・「市民」・「奴隷」・「さまざまな種族」と色々な立場が出てくる。『ONE PIECE』の世界は、「海賊 VS 海軍」=「悪 VS 正義」という単純な図式ではない。「海賊」でもイイ人物、「海軍」でもイヤな人物が出てくる。それぞれの立場でそれぞれの過去と死生観が描かれている。それが、わたしたちの世界の人間と同じで共感できるところがある。みんなそれぞれの正義があり、それぞれの過去に痛みがあり、それぞれの罪がある。それぞれが良いと思うように生きる時代に、ある意味それぞれの自由がある時代にわたしたちも生きている。そんな時代や社会が良いか悪いかは別として。その中で、ルフィが「海賊」になり、目指すものは何なのか?ルフィも好き勝手に生きることを願っているのか?そうしたセルフィッシュな自由ではなく、責任のある自由を目指しているように思う。世界のしがらみや出来上がってしまっている秩序を壊し、解放するためなのか?わたしは、ルフィがしたいことが少しずつ罪からの解放に向かって行っているのだと思う。


✝️シャンクス と イエス の振る舞い

これは悪い事をしたなァ
おれ達が店の酒 飲み尽くしちまったみたいで
すまん
これでよかったらやるよ
まだ栓をあけてない
(酒瓶を割る)
あーあー  床がびしょびしょだ
(手配書を見せられる)
悪かったなァ  マキノさん  ぞうきんあるか?
(店を荒らす)

『ONE PIECE』コミックス【第1巻】「第1話 ROMANCE DAWN -冒険の夜明け-」

 シャンクスは、山賊ヒグマに対して、全く敵意を持たなかった。ヒグマの嘲けりや脅しの言動も眼中になかった。やられてもやり返さず、笑っていた。ヒグマがお尋ね者で800万ベリーだったが、シャンクスは10億を超えていたからということもあるのかもしれない。

*わたしは、このシャンクスの姿を通して、イエスが自分に敵対する者たちへの態度と似ているように感じた。神に喧嘩を売るような者たちへ、神を十字架につけて殺そうとする者たちへ、やられてもやり返さず、ただ黙って仕打ちを受けて耐える姿である。

 ルフィはそんなシャンクスに失望して怒っていた。シャンクスという海賊への憧れや希望を持っていたルフィだからこそ、自分も一緒に航海に連れて行ってほしいという願いと、その反動からくる失望と怒りがあったのだろう。

*先ほど、イエスに敵対する者たちも同じだったのかもしれない。神なら神らしい威厳を持ち、絶対的な強さを持ち、悪を成敗し、義人を認めてほしい!という願いや期待があったのだろう。しかし、それは、自分たちが思い描いているような神でなければならなかったし、自分たちに利がある神でなければならなかった。それは、イエスの12弟子と言われる側近の者たちも同じ理解であった。ローマの圧政からユダヤ人を解放してほしいというメシア(救世主)である。


✝️カナヅチ と 悪魔の実 〜いのち と 罪〜

おまえなんかが海賊になれるか!!
カナヅチは海賊にとって致命的だぜ!!

ゴムゴムの実はな!!
悪魔の実とも呼ばれる海の秘宝なんだ!!!
食えば全身ゴム人間!!!
そして一生泳げない体になっちまうんだ!!!!

『ONE PIECE』コミックス【第1巻】「第1話 ROMANCE DAWN -冒険の夜明け-」

 海賊や海の厳しさを海賊王と共に航海をして知っているシャンクスが、「海賊はカナヅチが致命的」というと、とても意味深いものに聞こえる。海賊になりたい、航海に連れて行ってもらたいと願うルフィに伝えたことばであるからだ。
 「カナヅチ」「ゴムゴムの実」「一生泳げない」にアクセントの点がついている。本当に大事なことなのだろう。これらが「命」に関係するという。「溺れる」とは、金に溺れる、能力に溺れる、罪に溺れるなど、その事柄ばかりに捉われて他のことができなくなることを指すことが多い。

*聖書にも「善悪の知識の木」から実をとって食べてはならないとある。食べると必ず「死ぬ」のである。「善悪の知識」であるから、善悪を知れるようになるので良い実であると思える。しかし、神=絶対的な最善であったため、その神を信頼せずに神から離れて自分で善悪を判断するようになってしまった。それが罪である。悪などなかったのに、悪という概念ができてしまったのかもしれない。神に頼るのではなく、自分の自由に生きて罪に溺れて、本来のいのちである神の元に行けないのである。


✝️ひとりでは何もできない

いいか 山賊・・・
おれは酒や食い物を頭からぶっかけられようが、
つばを吐きかけられようが
たいていの事は笑って
見過ごしてやる
・・・・・・・・・
だがな!!
どんな理由があろうと!!
おれは友達を傷つける奴は
許さない!!!!

恩にきるよ
ルフィ
マキノさんから全部聞いたぞ
おれ達のために
戦ってくれてたんだな


シャンクスが
航海に連れていってくれない理由
海の苛酷さ
己の非力さ
なにより
シャンクスという男の偉大さを
ルフィは知った。
こんな男に
いつかなりたいと
心から思った

『ONE PIECE』コミックス【第1巻】「第1話 ROMANCE DAWN -冒険の夜明け-」

 シャンクスの許す・許さないのポイントが友達を傷つけられる時だった。そして、友達のために怒って戦ってくれたルフィに感謝の意を伝えている。ほんの子どもにすぎないルフィでも友達として思い、その友達をいのちをかけて守るシャンクスであった。実際は、いのちではなく、利き腕の左腕だったが、それでも海賊のいのちも言える利き腕とも言える犠牲を払った。はじめは、シャンクスのバカにされている姿に失望したルフィだったが、自分の人生とも言える海の苛酷さと己の非力さを知ることによって、シャンクスの偉大さがわかり、憧れた。「海賊になりたい」から「シャンクスのような男になりたい」、そして、「海賊王になりたい」と変わっていくルフィの姿が成長に感じる。

*シャンクスが子どもでも友となり、いのちをかけるところが、イエスがわたしたちの友となり、十字架にかかってくださった姿に重ね合わされてならない。この上ない犠牲の愛を感じるところだと思った。自分が何になりたいのか、どう生きたいのかを問い直される出来事であろう。人も自分自身も救えない、敵も倒せない、人はひとりでは難しい、人は救われる存在であると感じ取ったのではないだろうか。それと共に、わたしたちが目指すべきイエスという存在、神の子となることへの願いが強まっていく成長なのだと思う。


✝️新時代に受け継がれる帽子

この帽子を
お前に預ける
おれの大切な帽子だ
いつかきっと返しに来い
立派な海賊になってな

『ONE PIECE』コミックス【第1巻】「第1話 ROMANCE DAWN -冒険の夜明け-」

 海賊王になると言うルフィにシャンクスは麦わら帽子を預ける。ロジャーから受け継がれた大事な帽子であったが、「新時代」にかけたシャンクスは麦わら帽子を預けて去る。ルフィの目指す先で待つと言う。

*シャンクスはイエスのようだと散々言ってきたが、ここでも新しい時代、聖書でいう新約の時代にかけて、イエスは十字架で死なれ、3日目によみがえり、また父なる神のおられる天に昇られ、わたしたちを待っている。子なる神イエスという存在の代わりに、聖霊なる神をわたしたちに送り、その聖霊なる神が肌身離さずわたしたちと共におられるのである。わたしたちは共にいてくださる聖霊を常に意識して生きる。シャンクスのようなイエスに愛と感謝を持って、帽子ではなく立派な神の子として奉仕をささげたい。

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