眠れない夜に①

午前二時になろうとしている。
眠剤を飲んでも眠れなかった。

こういう時は、考えてもどうしようもないことを、どうしても考えてしまう。
昔受けたひどい暴言や嫌がらせの数々とか。
誰にも受け止めてもらえない自分の存在の無力さとか。
今向き合っている精神疾患の苦痛とか。

明るく楽観主義的に生きてこれたらよかったのにと思う。
でも、暗く落ち込んでる気持ちに寄り添ってくれる音楽に心を預けたりするのに昔から時間を費やしてしまう習慣がついたくらい、そんな人生を送ってきてしまった。
虐めとか、差別的な発言とか、偏見とか。
そういうことを受けたときに楽観的にいられるほど自分は強くはなかった。
許せる自分にはなれなかった。

何も知らずに普通の人生を送ってこれたらよかったのにとたまに思う。
でも、それで傷つけられるマイノリティの気持ちを分かっただけでも、そういう人生を送れて、ある意味よかったのかもしれない。
人の痛みがわかるから、いつかは誰かの役に立てるかもしれない。
でも、自分が寄り添えるような人に出会えるのだろうか。
そもそも、自分だけのエゴにとらわれるくらい弱い自分にそんなことができるのだろうか。

コーヒーを飲みながら、今日もYouTubeで自分が心から落ち着ける音楽を探す。
気づいたら時間が立てるほど、集中できないくらい病気の症状は悪いので、たまにそれに絶望して、あてもなく考え込んでしまう。
暗い過去や、暗い未来や、暗い今を。

自分は、一人ではないのだということはわかっている。
気づいたら誰かを求めている。
人間ってこんなもんなんだ。
誰も信用できないとたまに愚痴ってしまうが、気づいたら寂しくなって、誰かの声を求めてしまうものだ。
自分が誰かに守られていることへの感謝を忘れてはいけないことはわかっている。
でも、どうしても、途方もなく自分が孤独な存在であるような妄想に沈んで、苦しくなる時がある。
特に、こういった、眠れない夜には。

明日になったら、よくなるって信じていたい。
絶望的な翌日に頭が痛くなる時が多いけど。
最悪なことが起こったら、きっと素晴らしいことが待っていると、よく聞く。
それを忘れて、絶望的な毎日に身を預けて、散々死にたい思いに繰られる時が多いけど。
ただ、忘れないでいたい。
忘れない自分になりたい。
きっとよくなるはずだから。

自分は誰にも信用されないと思ってしまうことが多い。
「信用してるよ」って言葉よりも、その真逆な言葉を受けることの方があまりにも多いからだ。
誰かが親密につながっているのを見ると、自分がいかにも信用されていない人間なのか知らしめられているような気になって、苦しくなる。
でも、人って、そんなに誰かのことを本気で考えたりするのだろうか。
自分のことで精いっぱいな人が圧倒的に多い世の中だと思っている。
そんなに他人の視線を気にしなくてもいいんじゃないかと、他人の視線に苦しんできた人生を振り返りながらも、思う。
ただ、誰かを信用したいって気持ちは、忘れたくはない。

「いつか誰かが君を心から待ってるときが来るから」って言葉がある。
そんな偽善みたいな言葉を、無慈悲でエゴイズムに満ちた世の中を見ながら、よく考えてみる。
そんなに人って良い存在だと思えなかったりする。
でも、この人っていい人だなって思える瞬間もある。
その瞬間を、もっと忘れないで生きていきたい。

コーヒーを飲みながら、眠れない夜を何とか乗り越えようとしている。
昔から文章を書くことで救われたことがよくあった。
文章で人を傷つけてしまうこともよくあったけど。
日記を書いたり、歌詞を書いたり。
こうやってみると、自分はそんなに否定的な考え方に埋もれすぎては、まだいないのだなと思う。
自己啓発本みたいに、理屈で人をだますようなことはしたくはないけど。
でも、死にたい気持ちは、少しは和らいだ。

明日もきっと生きていける。
そう思えた。

今夜も素敵に乗り越えていこう。

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