LUSH'er

思った事を忘れないうちに記録してます。

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異色の職歴

「運動は得意ではない。」 だからこそ、運動ができない人の気持ちがわかる。 私が体育教師になった理由です。 小学校6年生まで、運動系のクラブには所属しておらず、父親の転勤で学校が変わったことをきっかけに、当時流行っていた〝スラムダンク〟の影響をモロに受けて、バスケットを始める。 中学3年まで公式戦出場経験なし 高校入学を機にひょんな事からラグビーの道へ。 6月にベンチ入り。 北信越大会の準決勝がデビュー戦に。 この時に〝スポーツは出会いも大きな要素がある〟と感じ

    • シゴト・カネ・時間

      新卒で定時制高校の〝常勤講師〟になった。 生徒の学力だけでなく内面の多様性に大きな衝撃を受けた。 絶対に早く正採用の〝教諭〟になって、多くの生徒に寄り添える先生になりたい! そう意気込み空き時間や帰宅してから教員採用試験の勉強に打ち込んだ。 ある日いつものように空き時間に勉強をしていると1人の通信制の〝体育教諭〟に声をかけられた。 「おい、お茶。」 このご時世に命令口調でエラそうに。 そんな不満を抱いたままお茶を差し上げた。 「氷くらい入れろよ。気がきがねぇな。」

      • 優先

        大切な人が病気になったら 大切な人が亡くなったら たぶん、生活は変わると思う。 生きる気力すら危うい。 病気になったら 余命を宣告されたら 寝たきりになったら ずっと最期までそばにいたいと思う どんな努力も厭わない。 自分を犠牲にし 寝る間を惜しんで 仕事もどうするか。。。 そして、お別れしたら ずっとその人との思い出を思い返すに違いない。 部屋を綺麗にして 思い出を飾って 写真を眺めて 思い出の動画を見て ‥‥ ‥‥ ‥‥ それ、なぜ相手が元気な時に出来

        • 身体能力の重要性

          ジュニア期のあるスポーツで 〝徹底した競技指導〟として有名な〝Aスクール〟 競技に対して真摯に取り組む姿勢 徹底された基本プレー 習慣化されたセオリー そこから生み出される連携 大人顔負け。非の打ち所がない子どもたち。 ところが、、、 そんなチームが『あっさり打ち負かされる。』 よくある話だ。 さらに、 そのチームが〝競技ほぼシロートの新興チーム〟である〝Bスクール〟だった。 ジュニア期には特にあり得る話だ。 では、なぜそんな事件ともいえる波乱が起こるのか。

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        異色の職歴

          昔と今の指導者

          と、いってもスポーツ少年団とかのパパさんコーチの話。 昔は〝経験則に基づく〟あまり根拠の実証されていない根性論にも似た指導者 今は〝根拠を重視した〟理論理屈の無駄を省いた指導者 極端に言うとこんな感じだと思う。 何が言いたいかと言うと、、、 自分は、 この中間の存在になりたい。 根拠のない根性論はプレーヤーを壊しかねない 理論理屈は頭でっかちになりがち 理論理屈に基づいた〝大雑把な指導〟でプレーヤーが興味を持ち自身で根拠に辿り着く。そうすれ ば運動量を増やして

          昔と今の指導者

          自分の行動

          自分の行動は「自分で決めている」 当たり前だけど、その当たり前という〝現実〟を見失う瞬間は1日に何度も訪れる。 車で右折車を対向車を譲ったのに、会釈もハザードのリアクションがなく「イラっ」 コンビニのレジ待ちが長く「イラっ」 器の小さい人間だと思われたくないから、平静を装うが内心モヤモヤ。 これ、全て他人が影響してモヤモヤしているようで自分の選択が引き起こした結果でしかない。 車での出来事はただ〝譲らなければいい〟だけ。 あらゆる結果に紐付けされた行動の中で〝譲る

          自分の行動

          子に向ける顔

          笑顔のつもりだった。 子どもがお年玉でドローンを買った。 ドローンのカメラで家中撮影している中に、笑顔で手を振る自分の姿があった。 その顔が、苦笑いだったのだ。 どこかめんどくさそうな 心ここに在らずな 写真の笑顔と違った。 誰しも写真用の笑顔は作れるだろう。 しかし、その笑顔はあくまでも写真用に作った笑顔であり、多分自分の笑顔の理想のカタチだと思う。 不意に写った子に向ける自分の笑顔があまりにも〝苦笑い〟で、、、、 そんな中嬉しそうにドローンで撮影している

          子に向ける顔

          視点を変えれば

          会社でたまにドリップコーヒーを淹れて飲む。 缶コーヒーも美味しいと思うが、〝ひと手間を入れて香りから楽しんでいる様〟が「特別な時間」に思えるからだ。 そんな特別な時間の最中に、「お!高級なコーヒー飲んでるじゃない。贅沢だねぇ!オレなんか缶コーヒーしか飲めませんよ。」と言ってくる上司がいた。 10袋入り300円ほどのドリップコーヒー‥ 一杯30円なのだが。。。。 一手間とこの優雅な香りが30円のコーヒーにこうも高級感を演出していようとは。 印象って大事だな。

          視点を変えれば

          今大切なのは

          見えないものをみようとするより 見えているものをちゃんと見ることかもしれない

          今大切なのは

          家事は仕事ではない

          誤解のないように〝自分が家事をしている〟ことを前提として言う。 「家事は仕事ではない」 というより〝仕事〟〝やるべきこと〟としてとらえない考え方。と言う方が近いかも知れない。 昨日のことだ。 仕事から帰宅をして、妻が食事を作ってくれている間、洗い物、洗濯、風呂掃除(すべて逆の時もある)を済ませた。 食後に片付け、洗い物をしている際息子が 「ねーねー遊ぼう」と言ってきた。 仕事の疲れもあり少し苛立ちながらも、、、 「待っててね!今洗い物しているからね」 そう伝え

          家事は仕事ではない

          いつのまにか

          人並みでいいから。 社会や学校で困らないようにイジメられたりしないように。 最低限でいいから。 読み書き、かけ算。少なくともこれだけは‥‥ 〝これだけは〟〝これだけでいいから〟 いつのまにか子どもに向けていた親の〝期待〟 この期待が過度になり子どもを苦しめ、この過度な期待が親のエゴに変わっていく。 〝期待〟が叶わないと不満や不安、裏切られた気分や憎しみが生まれる。その負の感情が怒りに変わりいつのまにか子どもを〝教育〟という名目で叱りつける いつのまにか。 あ

          いつのまにか

          使命とは

          昔からこう思う時がある。 「自分にはきっとすごい力がある」 ‥と。 〝きっとこのスポーツでとんでもない選手になって脚光を浴びることになる。〟 そして、ある時気づく。ただの妄想だったと。 〝きっとこの仕事ですごいことを成し遂げることになる。〟 ある時気づく。自分はそんなにすごくないと。 何かを始めるときに必ず〝自分自身に過度な期待をしてしまう〟 それは、自分が生まれた意味を追求しているからなのだと思っていた。 自分が生きているのは、きっと何か意味があるはずだ。こ

          使命とは

          「○○の続編です。」と前書きで書かれている本をよく買ってしまう。

          「○○の続編です。」と前書きで書かれている本をよく買ってしまう。