ブログ記事(vol.16)道ありき

道ありき (Vol.16) ー 最終話
2016年02月18日


前回のブログから、早くも数ヶ月が過ぎ、
ブログを更新しないうちに新年を迎えてしまいました。

読者の皆様には「少なくても月に一度は更新する」という、
結局達成できなかった約束をしてしまいましたが、
相変わらず私は元気に生活しています。
ご心配なさっているかたもいるかもしれませんので、
ここにご報告しておきます。

ブログを更新しないでいた理由は、たいしたことではなく、
「ずっと自分の中で、書き留めておきたかったことが、
これまでのブログの記事である程度書けたこと」と、
「しばらく病気について考えるのをやめて、ゆっくり
自分の時間を楽しむことに重点を置いて生活したい」
という思いがあったからです。

このブログを読んでくださっている方の大半は、
その後の私の健康状態を気にしていらっしゃると
思いますので、今回は、11月以降の私について
お話ししたいと思います。

・・・・ ・・・・ ・・・・


結果から書きます。
去年3月に双極性障害だと診断を受けて、約1年。
今、私は普通の生活ができています。

この「普通」というのは定義がとても難しいですし、
人によって 「普通の生活」は十人十色で違うと思います。
私の「普通」は、単純に「生きることが楽になった」
ということでご理解いただけるのではないかと思います。


双極性障害だと診断されてからもそうですが、
それ以前から、私は「生きるのが苦しい」と正直、
常に感じていたのだと思います。
気が付きませんでしたが、私にとって「人生」というのは、
本当に「生きにくい」 ものでした。

大学時代にとても印象に残っているのは、
自分が人よりも随分と「疲れやすい」と
感じるようになったことです。
他の人よりも体力がないのか、調子のいい日が続くと、
その後必ずダウンする日が来ていました。
よく風邪も引いたりして、少しでも忙しくなると
体調を崩しているのが自分でもわかっていました。

そのことを母に相談したことがありますが、
「鉄分が足りないんだ」とか「サプリメントを
薬局で買って飲め」だとかで薬をすすめられ、
「他の人もそんなもんだ」と「疲れて寝込むのは普通」
という意見でした。

でも、私の親しい友人などが、例え疲れたりしても、
私ほど寝込んだり、約束をキャンセルしたりして
いないのを見て、
「すごいな〜。どうやったら、あんなに頑張れるんだろう…。
私も、もうちょっと自分に厳しくして、がんばらなきゃ!」
と常に思って生活していました。

今考えると、双極性障害が原因で身体が思うように
動かなかくて当然だったこと、
本当はがんばらないで、疲れている時は心配したり、
焦ったりしないで、何も考えずにただただ
ゆっくり休養することが必要だったと痛感しています。

「人より遅れをとっている」という変な焦りがあり、
なんとかがんばれるように、身体を動かして鍛えよう
としたり、身体にいいものを食べるようにしたりと、
それなりに気を使って生活していました。


その無駄な「焦り」が、自分を苦しめている
根本的な原因とも知らずに、ただただ「がんばれ」と
自分を励ましながら、喝を入れていく日々が何年も
続いた結果、(今考えれば、その頃すでに)持病で
あったであろう双極性障害が悪化して、
落ちるところまで落ちたのだと、
過去の自分にある程度整理がついた今、そう感じています。

少し話はずれてしまいますが、双極性障害が発覚して
からのこの1年、私は混乱の中にあっても、
希望を捨てず、様々な書籍や人々に出会ってきて、
本当に多くのことを学ばせていただいてきました。

その中には、私の人生の宝になった言葉や
人との出会いもありましたし、
逆に「反面教師」だった場合もあります。

その「反面教師」のうちの一人に、
双極性障害の治療を何年も受けず、結果として
病気が悪化し、幻覚や幻聴という症状がでる
「統合失調症」になったという方がいらっしゃいました。

彼は現在でも、自分が双極性障害だと受け入れられず、
病気と向き合わずに、その現実から逃げ続けています。
家族や親戚、親身になってくれている友人の話には
一切耳を傾けず、挙げ句の果てに相談相手を罵倒し、
最後には大切な人を人殺し呼ばわりするようになって
しまいました。

結果、彼の側からは、ひとり、ふたり、と人が去っていき、
これまで何年にも亘り彼を支え続け、
深い愛情を持って側についていた奥様に、
感情に任せて何度も離婚状を叩きつけ、
今、とうとう離婚まで辿り着いてしまいました。


私の叔父は医療関係に携わっているのですが、
私がこの話をした時に、
「精神病にかかわらず、病気は何でもそうだけれど、
『病人が自分が病気であると認めたら、病気の半分は
治ったようなものだ』というのが、僕らの世界では通説だ」
と、話してくれました。

「あなたがここまで回復できたのは、腕のいい先生に
出会えたこと、よい薬が効いたことだけではなく、
あなたが自分自身で病気であることを受け入れたことだ」
という叔父の言葉に、とても励まされました。

それと同時に、どんなに状況が悪化しても、
病気を受け入れないで、現実逃避を続けていけば
恐ろしい結果を招くことを見て、
素直であることの大切さを学びました。


自分が所謂「普通」の生活ができるようになってきて、
今実感していることがあります。

それは、病気の諸悪の根源が
「ありのままの自分を愛さないこと」
だったということでした。

自分を愛するというのは、実はとても難しいことです。
日本社会では特にそうですが、下手をすると、
「自分を愛すること」=「エゴイスト」(我儘)
と理解されがちです。
このふたつは、一見すると同じ意味のように見える
かもしれませんが、実は「真逆」だと私は思っています。

「自分を愛する」というのは、どういうことでしょうか。


それは、一言でいうなら「自分が弱い存在である」
ということを受け入れることです。

自分の弱さを受け入れることが、
「人生を幸せに生き切るための鍵」であり、
そして、双極性障害から立ち直ることができる
「人生の土台」を作る作業であると私は思っています。


私はこのことに気がついてから、
目に見えるように回復していきました。

担当医が
「絶対に良くなると確信はしていたけれど、
ここまでとは思わなかった。」
と大変喜んでくださったくらい、
そして、何よりも誰よりも、自分自身が
自分の回復を手に取るように感じています。


「自分の弱さを受け入れる」というのは、
私たちが考えているよりもずっと難しいことです。

皆、誰もが自分のよいところだけを見て、
悪いところや弱点には目を向けたくないのが普通だと思います。

世間はいつも「ポジティブ」 にいること、
いつも「笑顔」 で、「前向き」な人間像を求めます。

今年に入ってすぐ、国民に愛されて人気のあった
タレントのベッキーが不倫をしたというスキャンダルを
ニュースで知り、その世間とメデイアの対応に、
血の気が引く思いでした。

あんなに周囲から信頼され、活躍していた彼女が、
イメージに沿わない行動をしたというだけで、
まるで犯罪者のように報道され、
道化師のように馬鹿にされ、
人格まで否定されているように見受けられました。

勝手に世間が抱いてきた「良いイメージ」が、
本当の彼女の姿と一致していなかった。

だから、これまで努力して手に入れてきた仕事が、
水の泡のように消え去っていったわけです。
このような日本社会のあり方、そしてメディアや
芸能界の冷酷さを遠くから見ていて、
私はとても悲しくなりました。


本来、人は迷い、悩みながら人生を歩んでいく生き物です。
そういう人間という存在に「完璧性」を求め、
「純粋で無垢であること」「頭が良く、容姿もよく」
「控えめでありながら、強い心と正義感を持つ」ような、
「非のつくところのない人間性」を要求するのが、
私たちが雑誌やテレビなどを通して、
無意識に日々植えつけられてきている「人間像」です。


「人間であって人間でない、神のような完璧な存在」になること
が、好ましいとされる、これが世の中に流れている風潮です。


日本社会ほどではありませんが、
個人を尊重することがしっかりと根ずいている
ここ欧州でも、「前向きに一生懸命生きること」は美化され、
知らず知らずのうちに、
「お金があって、健康で、給料のいい仕事があって、
平穏な家族がいて、安定した生活ができる」ことが
まるで人生の幸せを保証するかのように、
各メディアが「幸せ」 のイメージを作り出しています。

これは、元を正せば「近代化」が作り出した、
お金中心の世の中の「虚像」でしかないと、
私は思っています。

メディアが目的としているのは「あなたの幸せ」ではなく、
大抵が「あなたのお金」であるからです。
いくら美しく取り繕っても、
結局はお金儲けがこの世を動かしているからです。

この世間の「幸せのイメージ」にできるだけ合わせるように、
「がんばって」「まじめに」「前向きに」生きていったら、
ひとは最終的にどうなるでしょうか。


世間の「要望」や「期待」に合わせて生き続けて、
最終的に行き着く先は「幸せ」ではなく、
「孤独」だというのが、病気という困難と向き合って、
考え抜いて辿り着いた私の答えです。


「幸せ」を保証することは、人生においては
不可能であることを私たち人間は知っておくべきです。
お金も、地位も、名誉も、家族も、友人も、仕事も、
世の中のもの全てにおいて、
あなたの「幸せ」を保証し続けることはできません。


人生は「幸せの連続」で成り立っているのではなく、
「困難の連続」であることを教えられてこなかった私は、
病気になって初めて、その現実に気がつきました。

けれども、それでも生きることには価値があると、
私は声を大にしてお伝えしたいです。

なぜなら、その「困難」は、必ず乗り越えることができると思うからです。


聖書には
「神はあなたに乗り越えられない試練は与えない」
という言葉があります。
私はこの言葉を一心に信じて、病気の自分と向き合ってきました。

現実を受け入れることは、たいへん勇気のいることです。
自分自身の「弱さ」や「現実の冷酷さ」を受け入れることに
つながるからです。


けれども、私はそんな困難ばかりが待ち受けているように
見える「人生」を「幸せに生き切る」鍵は、
その「顔を背けたくなるような嫌な部分や出来事」と
正面から向き合っていくことです。

それが、きっと私たちひとりひとりに与えられている
それぞれの神様から与えられた「人生の宿題」なのではないか
と、勝手に思ったりしています。


今、苦しみの中で、困難に押しつぶされそうになっている人が、
世の中には本当は大勢いるんだと思います。

皆、まるで何の問題もなく、幸せ「そう」に生きているように
しています。でも、そのひとりひとりを深く知っていくと、
どんなに完璧な人生を生きているような偉大な人物であっても、
ひとりの「完璧でないのが自然体」という人間として、
苦しんでいます。それぞれに、問題は異なっていても、
皆に平等に困難が与えられていると思います。
なぜなら、神様は平等に皆を愛しているからだと、
私はそう信じています。

今、困難の中にいる方、いつになったら問題が解決するのか、
その糸口さえも見つからなくて、どうしてよいのか
わからないという方へ。

同じ困難の中に生き続けている私から、そんな方へ
メッセージを贈りたいと思います。


大切なあなたへ

どうか手を離してください。
重荷を降ろして、ただそこに生きている自分を、
そのまま受け入れて、自分を存分に愛してあげてください。

何よりも、自分を一番大切にしてください。
どんなに周りに嫌われようと、呆れられようと、
そんな人たちは放っておいてください。

眠いですか?寝てください。
美味しいものが食べたいですか?食べてください。
仕事に行きたくないですか?行かないでください。

なぜなら、それがあなたを幸せに導く、
大切な『心と身体の声』だからです。

何よりも自分を愛することが、
例えどんなに時間がかかっても、
結果的にあなたを癒してくれるはずです。

私がそうだったように、あなたも必ず元気になって、
必ず前を向いて人生を歩み続けることができます。

自分を諦めないでください。
今は、休息の時なんですから。
そんな自分を許して、労ってあげれば、
今まで、いくらもがき苦しんでも、がんばっても、
努力しても見えてこなかった新たな扉を見つけて、
新たな道が見つかります。

私がそうだったように、あなたにも必ず、
「あなたの道」が用意されていますから、
今は焦らず、何も考えずに、
ただひたすら与えられた休息の時間を宿題だと思って、
その時を過ごしてください。

道が見えるまで、静かに待ちましょう。

大丈夫、あなたにも未来は用意されていますよ!

自分を愛してください。

さーちゃんより

・・・・ ・・・・ ・・・・

長文になってしまいましたが、
私の大好きな映画「魔女の宅急便」の中で
宮崎駿が画家のウルスラに言わせたセリフを
一言書いて、今回は終わりしたいと思います。


これは、主人公のキキが空を飛ぶという、
ただ唯一の能力を失ってしまい、
やる気満々だった仕事ができなくなって、
心底落ち込んでいる時に、
山奥の小屋から、買い物ついでにキキに会いに来た
姉御肌のウルスラとキキの会話です。

小屋に入ってすぐ、ウルスラが自分をモデルに描いている
という絵を前に、悩みを打ち明けたキキが、
彼女に、自分のようなスランプの時期が彼女にもあったか
どうか、そして、それをどうやって乗り越えたのか、を訊ねます。

ウルスラ 「描いて描いて、描きまくる。」

キキ 「でも、やっぱり飛べなかったら?」

ウルスラ 「描くのを、やめる。
      散歩したり、景色を見たり、
      昼寝したり、何もしない。
      そのうちに急に描きたくなるんだよ。」

キキ   「なるかしら?」
ウルスラ 「なるさ!」

このウルスラの答えを初めて耳にした時、
私はまだ小さな子供でした。

この言葉の意味は、当時はまだよくわかりませんでしたが、
この映画を何年もくり返し観つづけながら、
最終的には会話を暗記してしまうほど、
私の心に強く響きました。

このウルスラを通して子供の私に伝わった
宮崎駿のメッセージは、今でも私の人生の土台となり、
大事な私の人生の支えになっています。

それでは、また気が向いたら、書きますね。
いつ投稿するか約束はできないので、もうしませんよ(笑)。

自分を責めずに、愛を忘れないで過ごしてくださいね 。


・・・・・・・・・

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