デジタルにいま必要なたった一つの要素#95

デジタルにおいていま何が足りないか。

結論からいうと、それは「人情」である。

人情とは何か。英語で訳すことがなかなか難しい。humanityとかhuman natureとかkindnessとか、色々な訳し方はあるが、おそらく日本人が使う「人情」はもう少し「わび・さび」という要素が含まれていて、英語で表すのは難しいだろう。

そこに含まれるのは単なる優しさではない。人間のあるがままの感情を、「人の情け」や「思いやり」「義理」といった要素を複雑に混ざり合わせて出来た「優しさ」である。相手を慮ることが前提としてあり、その上で、厳しいことも、優しい言葉もかける。これが人情だ。単なる「親切心」とかではない。

デジタル上で、こうした「人情」という風情があるかというと、残念ながらそれはない。デジタルに限らず、いまのご時世、人情というものが社会全体において、少し色あせてきた感さえある。

価値観が多様化したことで、「その人なりの考え」を尊重することが求められるため、なかなか相手を慮るということがしづらくなってきたのだと思われる。また、良くも悪くも欧米的な考え方が少しずつ根付いてきているため、イエスかノーではっきりしようとしていることも、その一因だろう。

特にデジタル上では思いっきりそれが顕著である。SNSでは意見をぶつけ合ったりすることがあるが、そこに人情が入る余地はない。承認欲求を満たす行為にそもそも相手が介入すること自体が人情とは程遠い。ネットショッピングでもそうだ。人と人の接客という考え方が薄いため、どうしても「ただ買い物をする場所」として定義されてしまう。そこに、ワクワクやドキドキ感というものはなかなか生まれにくい。

人情がそこにもしあれば、「相手を慮る」ことで尊重しあえるネットワークをデジタル上でも築くことができる。そして、いまその風潮が徐々に生まれてくるのではないか、という気がするのは僕だけだろうか。

というのも、最近は芸能人への誹謗中傷、SNSでの炎上がかなり騒がれている。この要因には、「相手を慮る」配慮がないことがあげられる。誰かの感情が文字となった瞬間、そこに人情という存在は失われるのだ。

デジタルにおいて、この「人情」をインストールしなければ、このままの風潮がずっと続くだろう。そして、規制が強化され、デジタルはがんじがらめになって、つまらないものになってしまう。

何かしらの「ルール」を作るのは僕も反対だ。ルールを作れば作るほど、凝り固まったものになってしまい、成長が阻害されるからである。

しかし、このまま放置しておくのも危険である。

「人情」のあるデジタルコマース、SNS、メディアがある世界を想像してみよう。非常に日本的で、温かみがあり、誰もが安心できる場所ではないか。僕ら日本人ができることは、僕らのアイディンティティをどうユニークな性質として生かし、世界と対峙するか、ということだ。GAFAや中国のIT技術で網羅された世の中、これから日本がそれに匹敵するものを作れるとは残念ながら思えない。そうであれば、日本はガラパゴスという特徴をうまく生かした、斬新なアウトプットが求められるはずだ。

ばかばかしいアイデアに聞こえるかもしれないが、何かしら変化球を投げ続けないと、日本は良くならないし、デジタルはいつまでも冷たいままである。もちろん世の中も変わっていくべきだと思うが、まずは僕はこれを提唱したい。

「温かいデジタル」を。




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