2015年上半期最高のキラー・チューン「シュガーソングとビターステップ」

わたしにとっての2015年上半期は、泣きながら卒論を完成させ、大学を卒業して社会人になるという激動の半年間であった。それを言い訳にはしたくないのだけれど、大学生だった4年間とは比べ物にならないくらい、新譜を聴かない半年間であったと思う。この半年で発売になったアルバムって多分2枚とか3枚とかしか買ってないし、シングルにしたっておそらく新譜は5枚も買っていない(キスマイにはまったせいで、シングルもアルバルも旧譜は結構買っているんだけど)。「音楽好き」まして「音楽ライター」になりたいと思う者としてはあるまじき状態のような気がする。下半期はもう少し、新譜に敏感になりたい。

そんな体たらくな上半期だが、マイ・ベストな楽曲を決めるのには一切の迷いがなかった。初めて聴いてからずっと脳内から離れず、気付けば口ずさんでいる楽曲。恐ろしいまでの中毒性を持つその曲は、UNISON SQUARE GARDENの「シュガーソングとビターステップ」だ。

ユニゾンには、定期的に吃驚させられている。

初めて聴いたのは「センチメンタルピリオド」だったかなぁ。今思うとなんだかズレたツボだったような気がするけれど、高校1年生だった自分にとって、普段の会話で使う「~みたいな」が決め台詞のようにサビ前で使用されているこの曲は衝撃的だった。自分が当時書いていたブログでも、「~みたいな★」「~みたいな笑」「センチメンタルピリオド聴いてるから語尾ごめんね★」みたいなよく分からないことを宣っている。

この曲でユニゾンに嵌ってからは、本当に定期的に衝撃を受けている。いちいち書いていくとキリがないので割愛するけれど、最近で言えば『Catcher In The Spy』は昨年のマイ・ベスト・アルバムと言っても過言ではない。声(ただ、好みは分かれるんだろうなぁ)も演奏もすごくいいけど、ユニゾンの何がいいって、曲が本当にいい。楽しい。ユニゾンのソングライターである田淵智也は、ただの”日本一見きれるベーシスト”ではないのだ。わたしは敬意を表して彼のことを「田淵先生」と呼んでいる。

ただし、こうなってくるとこちらとしてもそろそろ耳が肥えて来ているわけである。いいかげん、並大抵のものでは驚くまい。…そう思っていた矢先にやってきたとんでもない楽曲が、「シュガーソングとビターステップ」だった。

この嵌りようである。本当に、放って置かれればそれこそ一日中、飽きずにずっと歌い続けている。

最初に耳に飛び込んでくるのは、気だるげなギター・フレーズ。「てーれーれーてれってーてーれーれっ」という、やる気があるんだかないんだかよく分からない寝起きのようなフレーズに目をこすっていると、そのままイントロへと突入。小洒落たギターが気持ちのよいドラムとベースのサウンドに乗り、軽快に進んでいく。まさに、ステップを踏んでいるかのようだ。そのままなだれこんだAメロに出てくるのは、一度聴いただけでは聞き取れないし”ユニゾン語”。「平等性原理主義の概念に飲まれて 心までがまるでエトセトラ」って、何を言ってるんだかよくわからない。そもそも、「平等性原理主義」だの「蓋然性合理主義」だの、普通に考えたら歌詞に出てくる言葉ではない(「蓋然性合理主義」なんて言葉、この22年間一度も使ったことないぞ)。それが、田淵先生の手にかかれば「五線譜を飛び回り 歌とリズムになる」のだ。

そして、サビ部分。なんて可愛らしい歌詞なんだろう!それを歌う斎藤の声も軽やかで、耳に心地いい。何より、リズムが良い。”喋る”ことと”歌う”ことが、違和感なく続いている。だから「ママレード&シュガーソング♪ ピーナツ&ビターステップ♪」と、ふとした瞬間に口ずさんでいる自分に気付く。想像だけど、田淵先生はこの歌詞とメロディを同時に思いついて「してやったり」と思ったんじゃないかなぁ。この歌詞にはこのメロディ以外あり得ないし、このメロディにはこの歌詞以外あり得ない(2番の歌詞は別として)。別段具体的な情景が描かれているわけでもないのに、音とリズムだけでなんだか甘酸っぱくて、それでいてほろ苦い。まさに「甘くて苦くて溶けちゃいそう」なのである。

2番の歌詞ではこの部分が、「最高だってシュガーソング 幸せってビターステップ」となる。幸せは決して甘いだけじゃない、「ビターステップ」なのだ。毎日がシュガーソングじゃ面白くないでしょ、とでも言うような言葉のチョイス。ほろ苦く感じるような出来事だって、いつか振り返ってみれば「幸せ」って思える日が来る。そんなことを教えてくれるかのように、斎藤さんは軽やかに歌う。

さらに、2番以降は一気にメッセージ性が強くなる。田淵先生は斎藤さんに、「死ねない理由をそこに映し出せ」と歌わせる。その理由を探すかのような「僕達を僕達たらしめる証明」を経て、次に田淵先生が使った言葉は「生きてく理由をそこに映し出せ」。「死ぬな、生きろ」なんてメッセージを、ユニゾンは決して発さない。そんなふうに、我々ファンに声を掛けてくれたり、手を掴んでくれたりするバンドではない。

死にたくても良いよ、人生だし。
ただ死ななかったらそれもそれで良い人生になるかもしれない。


これは、田淵先生が自身のブログで「シュガーソングとビターステップ」について書いた文章からの抜粋だ。「生きてく理由をそこに映し出せ」なんて強い言葉を歌っているの一方で、田淵先生は「死にたくても良いよ」と言う。「良い人生になるよ」って断言はせずに、「なるかもしれない」と言う。生きてくための理由は、誰かから与えられるものではない。田淵先生やユニゾンが「生きろ」って言ったから生きるなんて他力本願じゃ、それは「生きてく理由」にはならない。「君の人生は君だけのものだろ」と言わんばかりのこの姿勢は、ユニゾンがずっと貫いているものだ。そういえば、過去にはもっと分かりやすく、こんな歌も歌っている。

もしも僕が君の前まで来て
何かできることがあるとしても
この手は差し出さない きっかけは与えたいけれど
それでも君が手を伸ばすのなら
何度でも伸ばし続けるのなら
その答え that is true, that is true
誰にも邪魔できないよ きっとね
 「さわれない歌」 - UNISON SQUARE GARDEN


もう一つこの曲に込められた明確なメッセージとして、「世界中を、驚かせ続けよう。」という歌詞が出てくる。ユニゾンの歌詞には基本的に句読点が出てこないんだけれど、ここだけ、この部分だけは「世界中を、驚かせ続けよう。」という表記になっている。分かりやすくて、そしてめちゃくちゃ不敵な宣戦布告。

でもね、そろそろユニゾンファンは並大抵のことでは驚かないよ。今度こそ、「良い曲だなぁ」だけじゃ満足しない。それなのに「驚かせ続けよう」だなんて。本当に、大言壮語も大概にしとけよ、などと思う。

一方で、ユニゾンファンであるわたしは、彼らが覚悟も自信もなしにそんなことを口にするバンドじゃないことをよく知っている。だから、その宣戦布告、受けて立つ。やれるもんなら、やってみろ。世界中を、驚かせ続けてみろ。

まずは24日の武道館公演。素晴らしい夜になることはまず間違いないと思う。そこに関しては、わたしはユニゾンに全幅の信頼を置いている。


田淵:そもそも僕、でっかい会場でライヴを見るのはあんまり好きじゃないんですけど、あそこは別ですね。“魔法”があると思って。(中略)その先にいつものライブハウスに戻ってくる武道館になればいいなと思っています。
ーーEMTGでのインタビューより


武道館は、節目でしかない。彼らは既に「その先」を見つめている。「心配ない 大丈夫さ(サンポサキマイライフ)」と進み続ける彼らを、今日もわたしは3歩後ろから追いかけ続ける。

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