「ノアの箱舟」へのラブレター

「いつかは僕ら 忘れるだろう」と彼らは歌う彼らの歌を、いつかちゃんと思い出せるように、言葉にしておこう、と思った。


熱しやすく冷めにくい性格をしているので、好きなものが多い。それこそ、「好きな人やものなら 在り過ぎる程あるわ」を地で行っている。音楽に関してもそうで、「好きな曲」となると数え切れないくらい思いつくのだけれど、中でも「世界で一番好きな曲は?」という問いに対する答えとして浮かぶ曲が2曲ある。

そのうちの1曲はRADWIMPSの「トレモロ」という曲。初めて聴いた時に「なんて素敵な曲だろう」と驚いたのを覚えている。

そしてもう1曲が、限りなく透明な果実というバンドの「ノアの箱舟」という曲だ。初めて聴いたのは2012年の6月。当時の自分による、以下のような雑な記録が残っている。

この曲やばい

この曲とどんな風に出会ったのか、残念ながらわたしは覚えていない。当時のわたしはYouTubeで音楽を探すことが多かったが、当時の果実はYouTubeに音源は上げていなかった。MySpaceか何かに上がってたのを聴いたんだと思うけど、「やばい」じゃなくてそういうことをメモに残しておいてほしかった、2012年の自分。

ただ、初めて聴いた時の衝撃は鮮烈に覚えている。それまで聴いたことのない音楽だった。美しくて、切なくて。とても、綺麗な色をした曲だと思った。自分に共感覚がないことを、これほど残念だと思ったことはない。もし音楽の色が見えたら、この曲は何色をしてるんだろう。

「やばい」くらいしか語彙がなかった自分だけど、今にして思えばこの曲を「眩しい」と感じたんだと思う。その光に魅せられて、『サナトリウム』を買った。毎晩すべての曲を繰り返し繰り返し聴いていたけれど、やっぱり一番好きなのは「ノアの箱舟」だった。

これだけの衝撃を受けた割には、わたしが初めて果実のライブに足を運んだのは2013年になってからだった(一つ言い訳をすると、そもそも、わたしがライブハウスに足繁く通うようになったのが20歳になってから。なんだったんだろう、母親との門限抗争)。2013年、初めて見た果実のライブについて、20歳の自分はこんなふうに書いていた。

ずっと音源聴いてたから勿論、滅茶苦茶かっこいいっていうのは知ってた。でも何というかな、観てはいけないものを観たような。ただひたすらに圧巻でした。一つの世界でした。ライブ観てる間ずーっとどきどきしてて。文字通り魂持っていかれた。

「殴られたような衝撃」と言う言葉が、まさにうってつけ。初めてライブを見て、改めてこのバンドのことを好きになった。

それから2年、足繁く果実のライブに通った。彼らのライブはいつも爆発的なパワーを持っていたし、新しく出会う曲も素敵な曲ばかりだった。最近だと、「カムパネルラ」や「ウッドペッカー」がめちゃくちゃ好き。特に「カムパネルラ」はYouTubeにMVが上がっているので、人に勧めやすい。助かる。

ただ、彼らを知ったきっかけである「ノアの箱舟」はこの2年間、一度も聴くことができなかった。すべてのライブに行っていたわけではないので、わたしのタイミングが合わなかっただけの話なのかもしれない。「いつかライブで聴けたらいいな」と思っていたその曲はいつの間にか、わたしの中で「大好きだけど、きっともうライブで聴くことはできない曲」という位置付けになっていた。


なのに。

6月13日。渋谷乙というライブハウスで、果実も出演するかなり長めの企画。 

諦めていた願いが、唐突に叶った。

この日の果実は、何だかいつもと違っていた。

サウンドチェックで、よく知っているフレーズが流れる(果実の曲も散々聴いてるのでよく知っているんだけど、それとは少し違う意味で)。彼らが演奏していたのは、BUMPの「天体観測」。ボーカルのサトルさんは藤くんにちょっと似ているなぁとずっと思ってたけど、まさか果実がサウンドチェックでBUMPのカバーをするなんて…!

「天体観測」に胸がざわついたまま、ライブが始まった。

新しくなったばかりのオープニング曲、それから「十字衛生兵」ときて。「神様どうか覚えていて 私が歌うこと」という、何百回も何千回も聴いたフレーズが耳に飛び込んできた。


驚きすぎて、一瞬何の曲だか分からなかった。

初めてライブで聴いた大好きな曲は、初めて聴いた時と同じように眩しかった。時間にしたら5分かそこらの本当に短い間のことだったけれど、周りの人もライブハウスという場所も、何なら演奏している果実のメンバーさえもよく見えないくらい、強い強い光を放っていた。

音の一つひとつ、歌詞の一言一言が、ものすごい熱を持っているような気がした。聴いているだけで胸が苦しくて、何度も涙が流れそうになった。だけど、一度涙が流れるのを許したらそのまま声を上げて泣いてしまうような気がしたからぐっと堪えた。

夢見心地のまま、乙を後にした。ライブが終わっても動機が止まらなくて、耳の奥の方に3人の鳴らす音が貼りついて離れなくて。まるで、恋をしてるみたいな。ずーっと誰にも言わないでいた片想いが、唐突に報われてしまったような。

当然、この日果実がこの曲を演奏したのは別にわたしのためではない。別に誰に話すわけでもなく、わたしが勝手にこの曲をずっと聴きたいと思っていて、たまたまこの日聴くことができたという、それだけの話。わたしの中だけで完結している話だ。だからこそ、こんなに嬉しかったんだと思う。ずっと聴きたいと思い続けていて良かったな、って。報われてしまった、という思いが、余計にこの曲を好きにさせた。


先日、RUSH MUSIC NEWSという媒体で果実のことを紹介させていただいた。「やばい」くらいしか語彙を持っていなかった19歳は22歳になり、彼らのライブをこんな風に表現した。

彼らのライヴは時に、神々しさすらも感じられる。何かが降臨したんじゃないかって思うくらいに激しく、3人は楽器をかき鳴らし、歌を歌う。曲にぎゅっと込められた物語を爆発させるかのようなそのエネルギーに、聴き手は強く引き込まれてしまうのだ。

  (http://www.entamesuki.com/?p=1561

確実に、語彙は増えている。増えてはいるのだがそれでも、果実のライブは、言葉で正確に表現することはできない。だけど、だからこそ、なんとかして言葉にしたいと思ってしまう。素晴らしい音楽を鳴らしているから、後には引けないくらいに惹きこまれてしまってしまっているから、それを誰かに伝えたいと思うのだ。


「ノアの箱舟」でも「いつかは僕ら忘れるだろう 勇者であったこと」歌われるように、いつかは、わたしもこの日の感動を忘れてしまうのかもしれない。忘れたくなかった。だから、思うがままに書き殴った。いわば、「ノアの箱舟」という曲へのラブレター。

音楽との、そして私が大好きなこの曲との距離感は、これくらいでちょうどいい。

いつかまた、この曲を聴けたらいいな。でも、聴けなくてもいいな。他にも、良い曲はたくさんあるから。そのくらいの期待感を胸に、まずは7月の企画を楽しみに待っている。




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