最近考えてること。

こんにちは、さばくんです。
 また春が来ましたね。場所によっては桜が咲いて散っていることでしょうか。私の住んでいる東北では散った桜を見て少し淋しくなり、それもまた趣があり良いと感じているところであります。
 最近、高校で部活動見学というものがあり、新たに4月になって入ってきた1年生の相手をしておりました。予算申請から部活動MG、今年度予定などを1人で立てていたため疲れてしまいました。やることが多いことは楽しく嬉しいのですが、その分責任と本当は1人でやるべきでない仕事をしなければならないので鬱憤もあり忙しい日々が続きました。
そんなこんなあり、新入部員が2名ほど入部していただき部活にも活気がついたのではないかと喜ばしい一面も見られます。(仕事の押し付け合いを眺めているのも楽しいことです。)

本題に入りましょう。
 私自身過去にも色々な出来事があり、現在としては多くの人に支えられてここまでやってこれました。その分、また活動を再開したゲートキーパーについて少し私情を含めながら語りたいと思います。
 最近多くの人を見る機会があり、自分の腕も上がっているなと慢心しているところでありますが、それと同時に自分の力不足もまた感じてしまいました。私の一つの決まりである、「相手と同じ立場、視点になる」という点もまた難題になってきております。山で例えると、私が登ってきた山を登らせることを意味します。それの逆パターンが私の言う同じ視点、立場に繋がるのだと思っています。
これが個人的に辛いことに最近はなりつつあります。山を自分で登ることは、根性論、自己完結、気合、etc…と様々な学問や知識を駆使することで事故の完結に繋げ成長することが出来ます。(それなりにしんどいですし、それなりの副作用、一番しんどい道ではあります。)
相手と同じ立場になるにはこれの逆、つまり登った山を降らなければなりません。一見、下るほうが楽と思いがちですがこれがかなりしんどいところであります。相手が言ってくれる全てが真実とは限りませんし、自分が想像している状況よりも酷い環境の場合が多くなっています。自分が登ってきた苦しかった道をまた登って、同じ道ではない可能性がある道を2人分支えて登らなければなりません。途中踏み外して滑落、だなんてことは絶対にさせないように慎重に一歩ずつ行かなければなりません。ようやく登りきっても目の前には新たな山がある場合があります。僕の場合はこれですね。

 他にも、人の話を聞くにあたって何がbestで何がbetterなのかを多くの選択肢が慣れてくると出てきます。これは出来てないカウンセラーも多くいて本当に救う気があるのかキレそうになるときがあります。頭に出てくるいくつもの選択肢の中から一番その状況に合わせられた言葉が必要です。優しい言葉をかけてあげるだけじゃありません。道を間違えてしまったときは戻してあげることも必要です。そのときにもどう言うべきか、AとBの二択の考え方に絞られたときにどちらを選択すればよいか、また言うことが全てではなくあえて言わずに自らを考えさせるという場合も必要になってきます。
その場合を含め考えなければ自分の技術力だけではなく、一番は相手のためにもならないことが多いです。そこをしっかり見極めることにもそれなりの場数や知識が必要になってきます。
この場合一番悪い例は理由を伝えずに怒る、意図や目的がしっかりしていない発言かと思います。
近年、OD(Overdose)やリスカ、依存、等々が悪という象徴になりつつあります。確かに一面見れば体に害を及ぼしますが多面的に見るとどうなのかと僕は思います。
一つずつ解説していきます。ODは医学的に見ると成分が麻薬と近しいものであり、一時的な多幸感や、幸福感を覚えます。他の面で見ると自殺したい、薬を飲むことで気持ちよくなりたい、簡単に言えばこんな感じでしょうか?
ここで私には疑問があります。
なんで怒るんですかね。
もちろん、飲むことを勧めている訳ではありませんし、個人的に経験があるためこうなってしまうこともあります。ですが、その飲んでしまった子を怒るのは違いますよね。
その状況にさせた親族や友達、バカな世の中に対して怒らないのはなぜでしょうか?悪いのは誰なんですかね。

依存について
 世間一般の人たちはなかなか理解を示してくれないことも多いです。依存、簡単に言えることではないですが、今回は人間関係に関する依存について少しだけ書こうと思います。
一般の人たちは依存はよくない、自立出来ないバカガキと思っている場合が多く見られます。
良い依存の面だけ解説します。
依存は互いに高め合うことについても言うと個人的には考えています。お互いがお互いを尊重し合うことで出来ること、それを共依存と言っても良いのではないかと思っています。
それが崩れ片方が支えられなくなり、お互いにとっても不利益な状況なることもあり得るので気をつけましょうね。

 長くなってしまいましたが、個人的には自分の力不足が痛手です。その瞬間パッと出てこないことがあり後々あれってこうゆうことか、と気づくことが最近多くなり申し訳無さと知識の無さを実感します。申し訳ない限りです。
理論でわかっていても状況的に考えたり、相手の気持ちを考えると理論ではどうにもならない場合を理解出来てきたことが成長と共に何も出来ないことが相手をまた苦しませてしまうのかと考えています。

そして、何も出来ないカウンセラーが多いこともまた事実であります。
鬱病の人には、頑張ってね、気にしないで、その他多くの言葉を禁句として業界では扱われています。
個人的にはこれらの励ましワードを上手に使うことの出来ないバカがいることを問題視しています。当然使っていい場合や、励まして欲しいと感じてる人もいると思います。それをわからずに使ってはだめ、と素人がTwitterやyoutubeなどで見るとう〜むと考えてしまうときがあります。裏を返せば、そのお陰で傷つく人が減るならそれもそれでアリなのかなって思います。(いてくれないと僕まで届くレベルの人が届かない場合もあるしね、)
物事何もかもが循環です。
みんなに合わせるのは辛いこともありますが、それでも頑張ってる人は偉いです。僕も負けじと頑張ります。もちろん、応援もしてますからね。
何かあった際は、Twitterのdmにきてくれたら話も聞きますので遠慮せず、いつでもご利用ください。
雑談でもいいよん。

では、ここまで見てくださった方ありがとうございます。汚い言葉や、簡潔にまとめられなくてすみません。
また、次回。

※特定の個人を指しているわけではありません。考えも個人的な意見として考えください。

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