見出し画像

【書評】何かを語るなら、まず「全体の見晴らし」を捉えるべし――『読んでいない本について堂々と語る方法』

『読んでいない本について堂々と語る方法』から学べること

ピエール・バイヤールは『読んでいない本について堂々と語る方法』において、本の「全体の見晴らし」を掴むことの重要性を語っている。これは、言うなれば、図書館のどこにその本があるのかを知っていること、または、その本の目次に何が書かれているのかを知っていることに対応する。著者は、この「全体の見晴らし」を掴んでいることが、本を創造的に語る上で重要であると言うのだ。

まず初めに、『読んでいない本について堂々と語る方法』の全体像を紹介する。この本は題名の通り「本を読まずにコメントする」ための本である。もう少し詳しく言うと、「本の読み込み具合、また、コメントする状況に応じて、どのような心構えでコメントするのがいいのか」が書かれている。これは我々がよく出くわす状況、つまり、大して読んでいない本についての何かしら言及しなくてはいけないという状況を想定して書かれている。私の方から一言付け加えるならば、これは別に怠慢に対する処方箋という訳でなく、つねにすでにそうならざるを得ない我々の読書の内実に沿った話なのである。色んな本を同時進行的に読みながら、すでに色んな読みの段階の本が積まれている状況で、我々は、ある本について一体どのような態度でコメントすればいいのだろうか。読書をするものならば誰もが思い悩むことについて書かれているのだ。

本noteでは、同書の「Ⅰ 未読の諸段階」(pp.21-102)を扱う。この章は、本の読み込み具合とコメントの関係について分析されている。その中でも本の「全体の見晴らし」は掴んでいることが、本を語る上で重要であると書かれている。また、全体を捉えていることは、細部を読み込めていることよりはるかに重要であることも説いているのだ。

1文1文に埋没せず、「全体の見晴らし」を掴む。

バイヤールが言うには「全体の見晴らし」を掴むこととは、「関係を見ること」である。それはつまり個別の書物の内容ではなく、書物同士の関係に注目することである。もう少しコンセプチュアルにまとめれば、バイヤールは「個と全体」、「内容と関係」といった図式を用いて思考を展開していると言える。

この全体の探究は、さらに別の側面も持っている。それは、個々の書物に新たな眼差しを投げかけ、その個別性を超えて、個々の書物が他の書物と取り結ぶ関係に関心を払う方向へとわれわれを導くのである。(p.31)

この文は、司書の仕事の本質を語っている部分である。司書の仕事とは、個々の書物の内容を集積し、それを編集し体系立てているのではなく、全体の関係性を見るような「目録」を読んでいるというのである。そして筆者は、そのような書物に対する「司書的な」掌握の仕方の必要性を語っているのだ。つまり、個々の書物の内容を一から読もうとする方向ではなく、まずは全体に対する個々の書物の位置付けをおさえるべし、ということだ。

これは、「鳥の目、虫の目」と呼応する。「虫の目」、つまり1文1文を精読する事にそれは対応するが、それによって1文に埋没してしまい、いったいこの本全体は何を語っているのか分からなくなってしまう危険がある。そこで、その目線と同時に司書的な「鳥の目」を持つことで、この本の全体像も見失うことなく、本に接することができるのである。

読み手に文脈を共有することに苦戦している方へ

この「全体の見晴らし」を掴む意識は、文章を書くにあたっても役にたつ。ここで、文章相談でよく見る光景を例に挙げてみよう。それは、文芸作品等を扱った文章の中で、何の説明なく、ある話題・登場人物が出てくることである。確かに書き手は、その話題や登場人物が何であるか、誰であるかは知っていると思うが、読み手/チューターは基本何も知らない状態でその文章を読むことになる。つまり前提知識が書かれていなければ、そこで読み手は「置いてきぼり」になってしまうのだ。そのとき書き手には、その話題や登場人物が、ある小説や作品の中でどのような存在かを短く説明することが求められる。これはまさに「全体の見晴らし」を掴むことである。個々の事象・シーンに埋没することなく、全体の中の関係性、位置付けで見ることは、他の人と何かを共有するときには必須の条件となるだろう。その精神性を養うためにも、バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』をお勧めしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?