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2024/01/10(水)日記。半径5メートル。ボケ防止を理由に。「書く」ということは。

半径5メートルが大事な生活。
他人にいちいち晒すことでもないことばかり。

ネットに日記を書く人は何を考えてやっているのだろうか。
(自分もやっているくせに。)
誰が君に興味があるというのか。

僕の場合は基本「ボケ防止」を理由に書いているが、ボケてきたと分かるのは、
おそらく「抑制が効いてない」ような書き方をしたときではないかと思う。
つまり今。
起きた出来事を書けばいいのに、よくわからない内面の描写や、
あるいはメタ視点それも何か自分が偉い人のような視点が出てきたら要注意。

お前誰やねん、と言われそうなことを書き出したら、要注意。
つまり今かもしれない。
だが主観的におもしろがっているので、記録としてもうちょっと続けてみる。

とはいえ半径5メートル「外」のこととなると、共通の話題か。
それも結局広すぎて、天気のことか、大谷翔平とか、大事件とかになるのだけど、

まあ、あまり知らない人と雑談するようなことを書いてもたいしておもしろくない。
 
なので、好みで見たテレビの事とか、ネットの動画とか音楽のこととかになるかな。

家族のことはあまり書かない方がいいというのは、
昔、「積木くずし」という本が流行って、映画にもなったが、
あれは有名俳優が、実の娘の非行に悩んだ顛末を詳細に書いたドキュメントで、
当時、経済とか文化とか時代の変化に伴って、校内暴力とか家庭内暴力とか、家庭崩壊とか、そういう個人的な大変なことに悩む人や家庭が増加しているような時代背景もあり、
一般大衆の関心を大いに集めたものだったが、それになってはいけないと、自分を戒めるために、それを思い出してのことだ。

別に自分の身の回りは「積木くずし」のような状況では全くないのだが、
やはりあまりにも身近なことは、書かないほうがいい、と思っている。
なぜなら自分は、それで飯を食っているわけではないからだ。
つまり、何かを書いてそれを売ることを生活の糧としていないからだ。
そんな生き方をするということは、自分の恥もさらし、さらには他人の恥も言いふらして
それを収入源とするということだ。
若い頃はそういうものに私はなりたい、とあこがれたこともあったが、無理だとわかった。

だが、それが「書く」ということの本質のひとつでもあるのだ。
それが「書く」プロのあり方のひとつであることも確かだ。
僕もそうやって書かれたことを、読むこともあるというか、よく読む。
「積木くずし」も読んだし、ネットの記事もコメントも読む。
おもしろいものもあるし、どうしょうもなくくだらないものもある。

だがそうやって、誰かが自分を晒して書いたものを読んで基にして、ぼくらは日常の会話をしたりもする。
主語が「ぼくら」と大きくなってしまったが、
僕も社会の一員で、やはり気にするのは「ぼくら」の今と行く末なのだ。
ぼくらは何を読むべきか。

「書く」ということは、「ぼくら」のひとりひとりの「視点」という小窓から見える世界なのだろう。
だから半径5メートルが大事なのだ。
だから本物の日記は歴史的価値があるのだ。
やはり価値あるものを読みたい。

このような、ネットに垂れ流された日記もどきに何ほどの価値があるというのか。
おい君、だまされて読んでしまったね。ありがとう。ご苦労さん。ごめんね。
と、自虐的にもなりながら、
はからずも早起きしてしまったので、このようなものを書いてしまった。
すまぬ。ほんとうにすまぬ。酔っ払っているわけではないが、支離滅裂。

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