道の中で生きる。

オリンピックや、ワールドカップ。
スポーツの世界では、毎年のようにチャンピオンが生まれ、また、新たな歴史が繋がれます。

そして、また新しい人や物が生まれます。

その流れの中で、トップの人間や時代の勝者のような人々も現れる事は確かです。

これは、「成長主義」に基づいた考え方の具現化だと思っています。

日本という国では、この主義の圧力を受けたまま、人々は各々の仕事や業務、または、趣味までも形付けられています。

けれども、それは果たして人間の幸せなのか?

もちろん、勝って相手を負かす。
ということは、快楽でもあり、支配的にもなれます。
そこには、敗者と勝者がいる世界です。

この世の多くの人々は、「敗者」です。
圧倒的な金持ちでもなければ、圧倒的に力を持った人間でもありません。

ですが、それは、「成長主義」に枠組まれた一種の幻でしかありません。

他人が自分を評価し、その評価によって自分を定義する。
だから、苦しくて、がんじがらめな毎日なのでないのでしょうか?

私は雀荘で働いていますが、このような「成長主義」を生身で感じられる日々を送っています。

ただ、本当に強いお客さんは、
そんな事を感じさせません。

ふつ〜のメタボリックで糖尿病の人が結局、強かったりする。

これはどういう事なのでしょうか?

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