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因果関係の誤解

お互いに関係し合うものを相関関係。混同しやすい言葉に因果関係がありますが、因果関係は片方がもう一方に影響するものです。
混同することで誤解を招き、ミスリードにつながるため、そこの見極めが大切になるのですが、正しく判断するのは難しいケースもあります。

広告費と売上が相関関係にあれば、広告費をかけたことが売上に繋がることになります。
ただ、クリスマスのようなイベント時期に広告費をかけた時、広告費によって売上が増えたのか、ただイベントによって増えたのかは判断が難しく、相関関係ではなくクリスマス→売上の因果関係による売上アップの可能性があり、広告費は相関関係も因果関係はないことも(クリスマス→広告費の因果関係は成立するのかもしれませんが)。

娘が勝ち負けにこだわる年齢になり、なんでも勝ちたいというようになりました。これも成長とともに芽生えたものなので、今はそこまで気にすることはないのかもしれませんが、多少心配になることもあります。

なんでも張り合うので、私が着替えるよりも先に着替えたいらしく、私に着替えるのを待ってと騒ぎます。
それでいいのか?笑

私より早く着替えたいから、朝起きたらすぐにお着替えをする。
これなら、
父親より早く着替えたい→起きたらすぐ着替える。
といった因果関係が成立する気がします。
これは、朝起きたらだらだらせずに着替える習慣化、朝に余裕ができるとか、なんなら娘からしたら遊ぶ時間が増える。親としてもテレビ見てないで着替えてという必要もなくなる。
といったメリットが出てくるので良いのですが、

父親より早く着替えたい→父親に着替えるのを待てという

これは良い因果ではないですよね。
考えようによっては、勝てる手を思いついたので実行しているというので、アリといえばアリなのでしょうか?

ただ、いろいろ問題になっているネットへの投稿でただの批判を書くことも、
他人を批判することで偉くなった気になっても、一時的に気分良くなっているだけで何も変わりません。
時に批判的なものが良い因果を生み出すこともありますが、それは批判された側が成長しているだけであり、批判した方は何もプラスにならなりません。生産性を下げ、あまり意味をなさない因果関係。

自分のやっていることが果たして良い方向に進むためのものなのか、判断は難しいケースもありますが因果関係を誤解しないように、時に自分の行動を疑って考えてみるのが良いのかもしれません。

とはいえ、心配ばかりするのもどうかと。

昨晩、娘がお着替えを枕元に準備していました。
このほうがすぐ着替えられると自分で気がついたようです。
どうやら、早く着替えたいという対抗心も、娘にとっては良い因果になっているように感じて、そこは素直に安心することにしました。

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