夢や目標を持つなら行動にフォーカスしたほうが楽しい

子供の頃にどんな夢を持っていましたか?
と質問をされると私は少し困ります。
小学生の頃に私は毎日夢が変わる気分で生きている子供でした。一通りの夢といわれる職業は一度は考えて取り組んで数時間で飽きるという、恐ろしい気分屋だったと思います。

それ以上にある程度方向性を決めた目標や夢も、だいたい最大で一年で挫折してきました。
建築士になりたいと思って工業高校に行って一年でつまらなくなり挫折。高校卒業して理系の大学に進み研究職を目指そうと思って一年で挫折。言ってて情けなくなるようなそんなクズ野郎でした。

ただ、ある研究によると(数年前に聞いた話なのでもう古い情報になりますが)、人はこれになりたい、こういった職業につきたい、といった目標や夢を持つと数年でその夢を挫折する人がほとんど(私は年単位でももちませんでしたが)らしいです。ただ、明確ななりたいものではなく、そういったことを続けながら生活していきたいという行動目標の場合だと、多くの人がその夢や目標を継続してもち続けることができるそうです。
例えばプロ野球選手になりたい!と夢を持った子供の大半が中学にはその夢を失い、高校では更に減り、大学では一部の人間になるでしょうが、逆に野球を生活の中で続けたいとなるなら、とんでもない忙しさの仕事につかない限り、続けることは才能に限らずできるかもしれないと思えます。
人は子供であっても、自分がそれになりたいと思った時に、それにふさわしいか?才能があったり努力が続けられるか?と思った時に、それが相応しなくと感じるとモチベーションが続かずに挫折するようです。私に限った話ではなく良かったと少し安心しました。

目指すものよりも、自分がどう行動していきたいかに焦点を当てるほうがモチベーションが継続し続けられます。

言われてみると私自身でも、思い当たることはあります。
今の仕事でも目標はありますが、目標はコロコロ変わります。目指す方向性だけ決まっていて、そこにたどり着く方法は日々の中で常に変化して、いろいろ試しては失敗したり、うまくいくの繰り返し。ただ、逆にあきません。変化していくやり方、時にベクトルすら変わっても良いと思っています。
今の自分の生活と向き合って、今の自分の行動を含めて、目指す指針があるのは、どうやら習慣化されていくようです。それを繰り返していくと、たまに気づくことがあります。
あ、ここに繋がっていたのか。
目標や夢というものを持つのはベクトルの向き、指針にはなり、その実現に向けて頑張れるのかもしれません。
それに対して、どうしてそれを実現させたいかを明確にし、そのためにどう行動するかを今から行なっていく。
その行動は目的とは違う場所に行き着くかもしれませんが、どこかに繋がっています。
そのどこかが、案外、良かったりする場所だったりすると、自分のしてきた行動が繋がります。

私は見切りが早かったのだと思います。つまらないなら辞めちまえ!って自分の中で声がすると放り出してきました。ただ、結果そんな行動すらも今に繋がっていたのだと思うと、非常に面白く、無駄では無かったのかもしれないと思えます。

夢は?目標は?という話題をしたときに、その目的や夢に向かって、何をするか、その行動にフォーカスすることが案外、一番その目標に近づける近道なのかもしれません。
とりあえず、夢や目標を掲げるなら、楽しまないと勿体ないと今になって思います。

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