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親の望みと子の思い 2023/4/24

 しばらくしたら子供を持ちたい。具体的には、2024年中に産まれるといいなと思っている。2024という数字はキリがよくていい。転職やらでちょっと立ち止まる時間ができたので、もう一度妻と将来についてすり合わせる必要があるけども。

 すべての子供は親のエゴを背負って生まれてくる。遺伝的な繋がりや直接母体を経由するかという観点は捨て置いて、子供が生まれて育つためには特定の人間の意思が必要である。特定の人間とは、おそらくは有意に高い確率で、その子供の親である。

 親は生まれてくる子供にどこまで望むのだろう。「この職業に就いてほしい」? 自分が著名なスポーツ選手でもあれば、同じスポーツをやってほしいと望むかもしれない。多くの親はそこまで高望みせず、「健康であれば」「五体満足であれば」あたりが多いように思える。だが、結局は親のエゴで子供を産む以上、どのような望みを持ったとしても過大であるとは言えないだろう。「偉大な支配者になってほしい」? 実際、そのように望まれて生まれてくる子供はいる。北朝鮮とかに。

 一方で、子供はどこまで親の望みに付き合ってやるべきか。親に深い恩を感じているというなら、生涯のどこかで恩を返していくのもいいだろう。もしも親がさまざまなことを望んでいるなら、望むようにするのも恩返しにはなるはずだ。
 この「親に恩を返す」という概念は、小さな子供には理解が難しい。父の日や母の日にプレゼントを贈る程度の気持ちはあっても、親の庇護がどれほど偉大で膨大なものであるかを実感することはない。いや、大人でも本当に恩を感じている人はそれほど多くないように思う。自身で子を持って初めてその境地に達する人もいるだろうし、親と対立して一生を過ごす人もいる。いずれかが正しいということはない。恩を感じる必要もないほど酷い親というのも存在する。人それぞれだ。

 子供に何かを望むなら。そしてそれが親のエゴだと理解しているなら、せいぜい親にやれるのは、子供が自分の人生を楽しいと思ってもらえるようにすることくらいではないか。楽しく生きていなければ、自分の人生に価値を感じることは難しい。自分の人生を無価値だと信じていたならば、それをもたらした親に恩を感じることもないだろう。
 子供が楽しく生きられるように努める。望みが叶おうと叶うまいと、親子の双方にとってそれが最良なのではないか。


 僕は一般的な家庭に生まれ、親に多くを望まれた記憶はない。中学校では校内トップ5に入るくらい学業の成績が良かった(県内1位を取ったこともある)が、県トップの進学校に入ってからは急速におちぶれた。親は結構がっかりしたかもしれない。少なくとも「もっと頑張れよ」と叱られはした。だが、成績が良かった頃から、「この学校に行ってほしい」というような望みを言われたことは一度もない。進路については好きなようにさせてくれた。期待していたのかしていなかったのか、今でもよくわからない。
 結果的に、現時点で僕は悪くない人生を歩んでいると思っているし、普通の家庭に生まれたことを感謝している。そして、できる限り親には恩を返したいとも思っている。だからきっと、親の子育ては成功したと言っていいはずだ。本人たちがどう思っているかはわからないが。

 僕が生まれたとき何を望んでいたか、そしてそれは叶えられているのか、機会があれば親に聞いてみたい。そして、親自身も祖父母の望みに応えられたのかということも。


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