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初心者なのにプロ?大事なのはきっと、経験だけじゃない。

私はフリーのライターだ。

なんのツテもアテもなく、目を引くような経歴や資格なんかを持っているわけでもない。それでもライターになると決めた。そして今、ありがたいことに、それなりにお仕事をいただけている。

そもそも、ライターの定義とはなんだろうか?

ただ文章を書くだけなら、小学生でもできる。
こうしてただ文章を書くだけでライターを名乗れるのなら、こうした媒体で何かしら書いていくだけで誰でもライターになれる、ということになるであろう。

言うなれば、誰でも自身がライターであると名乗るのはたやすいことだ。


何か明確な区別はないものか。



これはどうだろう。
私は文章を書いて、その対価として報酬をいただいている。

報酬の有無で、ライターであるかどうかの線引きをしてみる。

確かに、単なる職業としてそれを評価するのであれば、「文章を書くことによって報酬を得ている人」がライターと認定されるのかもしれない。


ではプロのライターか、そうではないライターかというのは、報酬で決まるのだろうか?

例えばの話、文字単価5円のライターがプロで、1円はアマチュアというような考え方だ。(例示の価格設定が低レベルかどうかはさておき)


私は、このような考え方は好きではない。

プロかどうかの線引きは、その人が「プロ意識を持って仕事に専念しているかどうか」といったところを原点にしてできるのではないかと思っている。

たとえ文字単価1円であっても報酬をいただいていることに変わりはないし、仕事として成り立っているはずだ。
1円だからといって責任を投げ捨て、適当に仕事をしてもいいというわけではない。



プロとしての意識を持って仕事をすること。
プロとしての志を抱いた人こそが成長し続けるし、プロの名にふさわしい。

これはライターに限らず、どんな職種の人にも同じことが言えるであろう。


私は高校生のアルバイトの頃から、これまでに飲食店やコンビニなど数々の接客業に携わってきた。

当たり前のことだが、どんなお店においても、入店したてのころ、その業務に慣れるまで自分は「初心者」の身となる。

しかしお客さま目線で見たら、私が初心者だろうが業務に慣れてなかろうが、まったく関係のないこと。

初心者として仕事をしている間も時給は発生している。時給が発生している以上は、たとえ初心者であってもプロ意識をもって仕事に臨まなければならない。そんな教えを受けたことがある。



これを今の仕事に置き換えてみよう。


私たちのお客さまは、ざっくりといえばクライアントと読み手、ということになるだろうか。

クライアントの要望に応えつつ、さらにその先にある「記事を読んだ人がとる行動について」を意識した記事を書けることが好ましい。

場合によってはクライアントの要望だけでなく、さらにコンテンツを良くするための提案をしていくとなお良いのだろう。

言われたことだけを淡々とこなすだけの人は、たとえ文字単価が5円であってもプロと呼ぶには至らない。こんな風に私は思う。

プロというのは自分の考えをもっていて、先方の要望にも応えつつ、ここはこうした方が良いのではというような意見を出せる人。いろんな意味で、先を見据えた仕事ができる人。何事も臨機応変に対応できる人。

責任感、アイデア力、提案力、現場力……。こんな力を持ち合わせた人のことを指すのではないかと思う。

ここまで万能にこなせるまでになるには相当の努力を要すると思うが、意識改革だけなら今日からでもできる。

もちろん、プロ意識を持っていれば誰でもプロになれるのかと言われれば、そういうわけではないかもしれない。
プロと呼ぶにふさわしい人はそれ相応の努力を長い間し続け、プロと呼ばれてもなお、さらに向上し続ける。

プロ意識を持って仕事に取り組むことは、プロになるための大前提にすぎない。


とはいえ常にプロ意識を持ち続けるのは案外難しい。
時には肩の力を抜きたくなるし、忙しすぎてそれどころではなくなるなんてこともある。

そんなときは立ち止まって、考えてみよう。自分が何のためにライターをしているのか。

誰に、何を届けたいのか。

そもそもなぜ、文章を書いたら報酬がもらえるのか。記事を書いた、その先に見えるものは何か……。





今はまだ、低単価でも。
たとえプロと言われる日は来なくとも。

誰のために私がいるのか
なんのために私が書くのか

そんなふうにプロ意識を持ち、常に向上し続けていきたい。

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