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Apple スティーブ·ジョブス 7ヶ月間のインド旅を経て東洋の瞑想と禅宗への神秘なる目覚めと生涯

スティーブ・ジョブズは1955年2月24日にこの世に誕生し、2011年10月5日に56歳という若さでこの世を旅だった。

ジョブスはアップル社の創業者で彼のビジネスセンスは他に類を見ない。彼はイノベーターであっただけでなく、チームをやる気にさせ、卓越性に向かわせる術を心得ていた先見性のある偉大なリーダーで、人生の本質を探求する多くの人々の道しるべでもあった。

スティーブ・ジョブズは、シリア人の父アブドゥルファター・ジャンダーリ とドイツとスイス系アメリカ人の母ジョアン・キャロル・シーブル との間に、アメリカのサンフランシスコで生まれたが、生後まもなくして、ポール・ジョブズとクララ・ジョブズの養子として迎えられた。スティーブジョブスは繊細な性格で、16歳の時、自分が実の親に捨てられ、養子に出されたことを知った後、自分のアイデンティティについて悩んだと言われており、自分が養子であることを認識した後、迷いを感じ、それがその後、彼の精神性と悟りをより深く求めるようになった原因とも言われている。ジョブズの実母は、彼を養子にした両親にジョブズを大学に行かせるようお願いしたと言われている。その後、ジョブズはリード・カレッジに進学している。大学に進学した1972年、彼はスピリチュアリティや悟りに関する本をたくさん読み始め、インドの宗教色の強い宗教的な絵画やお香などを用いサイケデリックに飾られた部屋で友人たちと瞑想を行っていた。



彼が青春時代を過ごした1960年代のサンフランシスコは、ヒッピーと禅文化の中心地だった。禅宗は進歩的なエリートや若者の間で人気を博していた。ジョブズは常に自分の本当の姿を探し求めており、自然とヒッピーの精神と文化にのめり込んでいった。ジョブズの大学時代の友人であり、初期のアップル社員でもあったダニエル・コトケは、ラム・ダスによって書かれた瞑想とサイケデリックそして意識における探求書『Be Here Now』を共に読んだことがきっかけで、友人になったと言われており、彼らは精神性と方向性を見つける道を歩み始めた。ラム・ダスは、アメリカのスピリチュアル教師で現代ヨガの第一人者で東洋の精神性とヨガを西洋に広めるのに貢献した人物として多くの人に知られている。

1972年9月、ジョブズはオレゴン州のリード大学に入学した。リード大学は学費が高額な私立大学であり、労働者階級層の両親にとって金銭的な負担はとても大きく貯蓄の大半が彼の大学の学費に使われていた。大学入学後もジョブスは自分の人生で何をしたいのか見当もつかず、大学で人生の目的を見つける事が難しいと感じていた彼は葛藤を抱えており、このまま大学に通い続ける事が、自分や家族にとって最良の方策ではないと感じたジョブスは1974年大学を中退した。


◾️ インドへの7ヶ月間の旅が人生観に変化を及ぼす

その後すぐに大学時代の友人であるダニエル・コットケとともに、スピリチュアルな悟り求めてインドに向かい、約7カ月間旅をしながら暮らした。インドに初めて降り立ち最初に出会った多くの物乞の群衆は2人に大きなカルチャーショックを与えたと言われている。
彼の旅は表面的なものではなく、真の自己を知り、それに適応するために悟りを開きたいという思いにかられ、インド滞在中は民俗衣装のルンギを好んで着用し、インドの街を裸足で歩くことを好んだと言われている。

ニューデリーからヒマラヤを目指し旅したジョブズとコトケは、現地の食べ物を食べ、旅する先々の廃墟で暮らし、やがてインドの文化や人々、そしてインド料理も好きになって行ったという。

当時、ヒッピー文化に慣れ親しんでいたジョブスは、インドの貧困の厳しい現実に直面し、多くの寺院や修行僧を訪ねる中で、内なる自己を見つけようとし、自分の内面と向き合う深い旅に出ることになった。ジョブズは旅をする中で禅宗の修行に夢中になり、一時はジョブズ自身も僧侶になるかどうか悩んでいた時期があったと話しているが、ある修道士から修道生活は彼の道ではないと忠告された、と語っている。

大学時代の友人であるコトケは、インドで過ごした当時を回想し、彼は「心の穴を埋めようとしたんだ」と ジョブズが人生における答えを求め続けた理由をこう説明している。スティーブ・ジョブズは、日常生活を超えた超自然的な何かがあるに違いないと信じ、その何かを見つけようとしていた。また悟りを開くことで、自分が何者であるかを知りたい」とも語っていた。

インドへの旅を通して、ジョブズは内なるインスピレーションを得てそれを元に現実世界へのビジョンを描き始めた。同時にスティーブ・ジョブズが本格的に座禅や瞑想を始めたのは、インドでの7ヶ月の旅の後だった。




彼は毎日の瞑想を行う中で、自分自身をただ座って観察していると、自分の心がいかに落ち着かないかがわかる。心を落ち着かせようとしても、かえって悪化させるだけだ。しかし、時が経つにつれて心は落ち着き、そうなると、より繊細なことを聞き取る余裕が生まれ、直感が開花し始める。全てを取り巻く物事がよりはっきりと見え始め、そして現在に集中できるようになってゆく。そうなると、直感が開花し、物事がよりクリアに見えるようになり、より今に集中できるようになる。それまで見えていたものよりも、はるかに多くのものが見えるようになる。これは訓練なんだと語っており、これが私たちが継続的に実践しなければならない心の修養であるとも言えるだろう。


スティーブ・ジョブズが行った瞑想は東洋の禅定である。禅は仏教の演目の一つで、心をコントロールし、集中することによって究極の精神的悟りを得ることができる。禅宗は禅をそのパフォーマンス方法としており、座禅を組むことで涅槃に入ることができ、苦痛の心から逃れて歪みのない純粋な心の状態に戻ることであり、それを実践することが瞑想である。


そしてジョブスは、瞑想や禅を通じて、ビジョンを実現するために彼が何者になるべきかを明確にし、そして、その事が次に集中すべき行動につながったと言われいる。ジョブスがインドでの過酷な体験を通して得た収穫のひとつは、デザインセンスが「禅宗の単純さ」と「直感」に大きな影響を受けたということだ。インドでの経験を経てジョブズの思考は、テクノロジーと哲学的な禅のマインドフルネスの融合を元に思考されており、流れ行く人生の諸行無常とのつながりに対する彼の理解が、完璧主義を求める彼のあくなき意欲に火をつけたとも言われおり、その根源となる思想とインスピレーションやマインドがその後のアップル社の基盤を築き、今日のアップル社に引き継がれている。


この事から分かるようにインドでの滞在はスティーブ・ジョブズにとって、自己世界の認識を一変させることに成功した。

彼は世界の厳しい真実に直面し、またインドでの7ヶ月間の旅を経て、これまでの以上にスピリチュアル的な物に興味を持ったと言われている。彼はインドを訪れてからマハトマ・ガンジーを尊敬するようになった。これは1997年アップルの「Think Different」の広告にも、マハトマ・ガンジーが登場している。



「インドから帰ってきて、西洋世界の合理的思考の限界を悟ったジョブスは、じっと座って自分の内面を見つめれば、自分の心が不安で散乱していることがわかる。それを抑えようとすればするほど、ますます騒がしくなる。しかし、時間が経つにつれて、心の不安な波は静かになっていき、何かを認識できるスペースができる。その瞬間に直感が働き、世界をよりクリアに見ることができ、その瞬間に忠実でいられる。心の平穏が得られ、現在の無限の広がりを感じることができる。また、私たちは以前よりも多くのものを見ることができる明るい目を持つことができると言っていた。

アップル社の創業期、多忙な日々の中でも、彼は毎朝出勤前に必ず1時間瞑想をしていた。

彼は禅の瞑想に深くのめり込み、瞑想は彼の人生の一部となった。東洋文化、禅宗、そして悟りへの興味は、若い頃の表面的な行動とは異なり、情熱的にそれを受け入れ、生涯を通じてそれらの東洋思想の原理を実行しようとし、それを自分の精神に深く根付かせた。長い年月を経て、彼はインドの旅が彼の人生にとってどれほど効果的であったかを思い出した。

ジョブズの人生と仕事への取り組みにおいて、瞑想と禅宗への関心は重要な役割を果たし、修行のおかげで、思考を明晰に保ち、本当に重要なことに集中し続けることができたと語っている。「禅は私の人生に深く影響を及ぼしている」と言っており、彼は内なる限りない旅を通して、外的な成果を手にすることに成功したとも言って良いだろう。

悟りを開いた後、利益を上げることが人生最大の目的ではなくなったと語っており、自身の情熱のすべては、人々がやる気に満ち溢れ、素晴らしい製品を作るような永続的な会社を発展させることだと言っている。また私たちは才能を使って深い感動を表現し、過去からのすべての貢献に対して感謝の気持ちを示す。それが私のモチベーションだとも語っている。

彼は最高の製品を作りたかったし、それによってすべての人々がさらに向上することを望んでいた。彼は自分自身を芸術家であり、優れた芸術家と優れた技術者は同じものだと信じていた。どちらの職業も自分を表現したいという欲求を持っており、彼はエンジニアたちに、単に技術を見せるだけでなく、製品に魂を込めることを強く望んでいた。



アップル創業初期「Lisa」プロジェクトを見ても分かるように、プロジェクト開始当時、ジョブスは常に「宇宙にインパクトを与えよう!宇宙を震撼させる傑作を作ろう!”と語っており私は超越を製品にできることを願っている」とも語っている。

Lisaは、1983年1月19日にApple Computerが製造・販売したオフィス向け16ビットパーソナルコンピュータで、1980年での当時としては先進的なGUI機能と操作性を持っていた画期的なコンピュータであった。


そしてLisaが発売された後にジョブスはは宇宙についても語っており、”我々は宇宙に痕跡を残すためにここにいる”  、宇宙と私が二つに分かれているのではなく、一体としてつながっていることを体験すること。つまり、2つの異なるものを見るのではなく、一体であることを見ることが禅なのだ。自分と他の存在の悟りはつながっている。自分だけでなく、他者を含むより大きな自分の創造は、この悟りから始まる。と話している。彼は常に「シンプルであることは複雑であることよりも難しい。思考を明快でシンプルなものにするには、大変な努力が必要だ、とも語っている。

また常日頃より”自分の時間は限られているのだから、他人の人生を生きて無駄にするな” と語っており、ジョブズが残した数々のスピーチや言葉は、世界中の人々の心に響きインスピレーションを与え続け、多くの人達をインスパイアした。既成概念にとらわれず物事を考えるだけでなく、その考えに基づいて行動する象徴だったとも言える。

彼は現代のテクノロジーを形作る上で欠かせない存在であり、自身の言葉の一つに、

“世界を変えられると思うほどクレイジーな人こそ、世界を変えることができる” という言葉通りの人生を生きた。彼の名言は、革新、勇気、真正性を軸とするジョブズの哲学のエッセンスをよく表している。

その後の功績は深く語るまでもないだろう。スマートかつ親しみやすいデザインによって、スティーブジョブズは一時代を作り、コンピューター技術をメインストリームに押し上げ、2014年当時、180億ドルという歴史的な利益を上げ、世界で最も価値のあるブランドを築き上げたのだった。


2011年ジョブズが最期に書いたとされるエッセイである。

このエッセイは、物質や成功よりも命や家族を大切にすることの大切さを語ってている。「このエッセイにはこうある。「私が持ってくることができるのは、愛によってもたらされた思い出だけである。

「私はビジネスの世界で成功の頂点を極めた。他人の目から見れば、私の人生は成功の典型だ。しかし、仕事以外の喜びはほとんどない。結局、私の富は慣れ親しんだ人生の事実でしかない。病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。今この瞬間、ベッドに横たわり、自分の人生を思い起こすと、あれほど誇りに思っていた評価や富が、自分の死を前にして淡くなり、無意味なものになっていることに気づく。私がずっとプライドを持っていたこと、認められてきたことや富は、迫る死を目の前にして色あせていき、何も意味をなさなくなっている。人生において富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めた方が良い。若い頃からの夢やもっと大切な何か他のことを。

自分の代わりに車を運転し、お金を稼いでくれる人を雇うことはできても、自分の代わりに病気に耐えてくれる人を雇うことはできない。失った物質的なものは見つけたり、取り替えたりすることができる。しかし、失ったときに決して見つけることができないものがある。人生のどの段階にいるにせよ、時が経てば幕が下りる日を迎える。

家族への愛、配偶者への愛、友人への愛を大切に。自分を大切にし、人を大切にする。


終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね。


神は、誰もの心の中に、富みによってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。私が勝ち得た富は、私が死ぬ時に一緒に持っていけるものではない。私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。
 

あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる。あなたの家族のために愛情を大切にしてください。
あなたのパートーナーのために、あなたの友人のために。

そして自分を丁寧に扱ってあげてください。他の人を大切にしてください。

そしてジョブズは2011年10月5日に56歳という若さでこの世を旅だった。

彼の死後多くも国の人々が現地のAppleストアなどに集い、リンゴや花束などを手向けて祈りをささげる様子は、彼の生前の功績がいかに大きなものだったのかを示している光景であった。



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