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山登り人生vol65冬山上高地西穂高岳

25歳。娘9ケ月。山岳会入会5年目。
5度目にして初めて冬の上高地に入りました。
タイトル写真はこの3年前、昭和46年春山での上高地からのものです。
記録を読んで写真がないのが判りました。
この頃は8ミリカメラに凝っていたようです。
フィルムはありますが・・・。

No170冬山合宿(西穂高岳・霞沢岳) 

昭和49年12月28日~1月4日
M、Yと私
28日佐世保16:26⇒さくら
29日名古屋乗換しなの⇒松本⇒タクシー沢渡→15:40上高地入りBC設置
30日BC→西穂高岳山荘前に幕営
31日西穂高岳往復
1日西穂高岳山荘前→BC
2日BC→霞沢岳(雪洞)
3日霞沢岳(雪洞)→BC→沢渡⇒タクシー松本
4日⇒大阪⇒かもめ18:50佐世保

28日佐世保出発

出発の日はいつもながらバタバタである。
仕事が終わり食糧の買出し、家に着いたのが12時を過ぎていた。
奥様もまだマドレーヌを2回程作り残しがあり自分の整理が終わった後、タマゴ混ぜを手伝う。
また実家に帰るのでその準備も大変で全部済んだのが14時半頃である。
実家ではゆっくりできず30分ほど佐世保駅に向かう。
駅には16時を少し回っていたので、二人共来ていた。
Y会長とO先生、奥様と娘の見送りを受けてさくらで出発する。
汽車が動き出すとやっと落ち着く。
これからだなとの気持ちになる。

29日上高地入り

ウィスキーのせいで良く眠れたが、4時には目が覚めた。
名古屋駅乗換では、同席の女性達の見送りを受け、ホームに出る。
乗換列車は殆どがスキーヤー、登山者で、気分も盛り上がる。
松本はさすがに寒かった。
漬物の買出しを終わり、直ぐタクシーに乗り込む。
この運チャンは慣れていないのか、色々尋ねても曖昧な返事で運転もあまり上手ではない。
沢渡の入口までは、殆ど雪はなかった。
いままではここで左岸に渡るのだが、新道が出来ていたので真っ直ぐ通り抜け2∼3分程で車止めまでやって来た。
他のタクシーは先まで走っているが、我々が乗ったタクシーは普通タイヤだったので、ここで降ろされ何となく損をした気持ちになる。
11:15より歩き出す。道は立派なコンクリート舗装の車道でアイスバーンとなり、吹き溜まりを他パーティー同様に歩く。
もう多くのパーティーが入山したとのことだが、周りには1パーティーしか見えない。
20分程で昔の道に出た。
荷も重く30~40分ピッチで進む。
中の湯温泉まで早く着いた。
この分だと、上高地には早く着くかと安心する。
釜トンネル上部は、入山前から注意を受けていたが雪崩の心配はなかった。
とは言え、上を見ながら注意して抜ける。
トンネル内は、所々クラストしいていた。Mはここまで3回スリップした。 

ネットより借用

大正池は一面凍って雪の世界だと思っていたが、堰付近のみ凍っている。
冬はまだこれからだなと思いながら、木村小屋に向かう。
途中より降っていた雪もミゾレに変わり、我々を驚かせる。
小屋には16時少し前に到着。
入山届を出して、小屋で天気図を作る。
テント場は、小屋と梓川の中間にあり小屋からは直ぐである。
穂高連峰は、この日はとうとう姿を見せなかった。
雪を踏み固めるがなかなか固まらない。
どうせ一日と思い適当に切り上げ、テントを張る。
これで計画より一日短縮したことになる。
天気がはっきりしなかったので、22時の天気図も作成する。
停滞までしなくていいようだ。

30日西穂山荘横に幕営

5時起床したが、出発は7時半を過ぎた。
天気の心配はないようだ。今日のピッチも30~40分程である。
梓川沿からの焼岳が印象的である。

焼岳。ネットより借用。

八ミリカメラを撮るチャンスがない。
川を渡り樹林帯に入る。ルートは夏道らしい。左へ左へと進む。
途中、玄文沢を左手に見下ろしながらトラバース、
この頃より傾斜が急になる。
暫くすると平坦となり、もう着いたかと思ったがまだであった。
水場を過ぎ、また直登となり支尾根の上に出た。
ここが中間点との標識を見てやれやれである。
樹林の間から鋭いピークの連なりが、前穂から明神の峰々であった。
これからが本番で急登の連続で、
下る連中がトレースを壊しているので一段と登り辛い。
Yはキックステップが出来なく注意、トップを変わる。
真っ直ぐ伸びた100mばかりの直登が終わると、
ようやく稜線に出てルートは右に変わった。
ここは夏ルートではないようであった。
危険のため左谷ルートを取るよう標識がある。
10m程の急登が終わると色々なテントが目に入り、
その先に西穂山荘があった。
我々は小屋の南側に他パーティー幕営跡地を整理してテントを張った。

西穂山荘付近。ネットより借用

ブロックを北と南側に作る。
また雪がチラつき出し、14時頃にはテントに入った。
早々に夕食を済ませて18時にはシュラフに入る。雪はまだ降っている。

31日西穂高岳に立つ

今日は大晦日。
天気は風が強いがまあまあ。
一応独標まで、調子良ければピークを狙う予定とした。
4時半起床だがYの登山靴が凍っており手間取り出発は7時を過ぎる。
小屋を過ぎてピークに差し掛かると、急に風が強くなりオーバー手袋と目出帽を着ける。
かなりのパーティーが先行しているようだ。
時々吹き飛ばされそうになる。
私の目出帽は目だけ出るのであるが、これでは息苦しく歯に咥えて息が楽にできるようにする。だが、唾液で濡れた部分が凍りつく。
独標までは大した起伏も無く、技術的にも問題はなかった。
独標寸前の岩場も問題はなかった。

独標へ。ネットより借用。

素晴らしい展望、南の乗鞍岳、手前の山々を層雲が乗り越え梓ダムに流れ落ちている。滝雲だ。
独標で暫く休んだ後、風はまだ強いが西穂をアタックすることに。
他パーティーがザイルを着けていたので我々も着ける。
独標の下りは、確保して下ったがその必要はなかった。
独標から西穂間は13程度のピークがあると聞いていた。
数えるまでしなかったが、ルートの大部分は蒲田側を巻いて稜線通しではなく困難は感じなかった。
大きなピークは二つほど越えた。
西穂手前の岩は露出していなかった。
山頂には10名程の先行パーティーが居た。
今まで見せなかった槍ヶ岳が、奥穂の左手、南岳の上に現れる。
西穂に来たとの実感が湧いてきた。

ネットより借用

天気快晴、素晴らしい展望である。
頂上のパーティーのうち何名かは奥穂への縦走に向かう。
この天気だったら大丈夫だろう。
私とM二人だったら行けそうな感じである。
次の機会に。……これが何時になるか分からないが。
奥穂縦走へ後髪を引かれながら、もと来た道を引き返す。
ザイルは外す。下りは早かった。
千石尾根のロープウェイ小屋が見える。
ロープウェイは動いていないようである。

独標で小休止し腹ごしらえ、もう小屋は直ぐである。
まだ西穂に向かっているパーティーに会う。
もう午後になるのだが、まあ天気は持てると思われる。
西穂からテントまで1時間半程度で戻った。
時間も早く小屋に遊びに行く。
大したこともなくビールとバッチを買ってテントに戻った。
余った食糧を点検、次の行動に備え小屋から買ってきたビールを飲む。
Yにも勧めるが乗ってこない。
一番の年長者であるが、年下リーダーが気に食わないのだろうか。
今夜は日本レコード大賞発表を聞いたりで
シュラフに入ったのは21時であった。
今年もこれで終わりである。
家はどうしているだろうか。
小屋から電話しようと思ったが、行動の疲れか直ぐ寝てしまった。
 
次回(霞沢岳)に続きます。


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