見出し画像

山登り人生vol81ガイアンの岩場

27歳。奥様25歳、長女2歳、長男8ケ月。
初めての海外遠征でした。

No196ヨーロッパアルプス遠征36日間

昭和51年7月15日~8月19日 M、Iと私
登った山は、6座です。
ランデックス針峰、
モアヌ針峰、
モンブラン一般ルート、
コスミック山稜(ミディ針峰南南西稜)
ツールロンド北壁、
マッターホルンヘルンリ稜

この遠征記録は、
令和4年1月1日から5月7日にかけ
マガジン「1976年ヨーロッパ山旅日記㏌よっちゃん」で
27本投稿しています。

今回の「山登り人生」では

山日記のスタートから投稿しています。
昭和44年9月の登山からです。
遂に昭和51年のヨーロッパアルプス遠征まで来ました。
前述のとおり既に投稿していますが、
改めて山登りの記録のみを添削しながら投稿したいと思います。
先ずは出鼻をくじかれた岩場からの転落です。

ガイアンの岩場へ

7月16日大阪空港から出国し、格安ツアー南回りで18日シャモニ入り
少しづつ動き出します。

7月20日(火)雨のち晴れ ガイアンの岩場へ
今日は最悪の日となった。
私は風邪気味、薬服用
Iは相変わらず蕁麻疹
Mは時差ボケも解消、良好。

13時 BC出発、スネルスポーツに寄った後、ガイアンの岩場に向かう。
13時40分 岩場到着
15時 私岩場で滑落、顎にエンピツ大の穴開ける。傷大きい。
16時 近くにいた日本人大竹、盛谷さんが済むハウスで治療を受ける。
20時 IとMは車で送ってもらいBCに戻る。私はベットでダウン。

ガイアンの岩場

こんな体調が悪い中で岩場に取付き、ちょっとした不注意により事故に繋がったことを深く反省する。
この日は朝から雨が降っていた。
昼頃までテントで休んでいたが気分も良くなり動くことになった。
スネルスポーツに立ち寄ってシャモニの街を過ぎて岩場に向かう。
途中、冷や汗をかき体調は回復していないのが分かった。
2∼3回道を尋ねてBCより40分程で岩場に着きました。
岩場は、道路の直ぐ右側にありモンブランに対峙する場所にあり、
一般見学客も多く4~5段のベンチまで設置してありました。

私はMとIが登るのをベンチから眺める。
BCで一緒の東京からの2人もやって来た。
私もなんとなく登ろうという気になった。
これが誤りだった。
左側を登った後、右手に廻り込んだ。
岩場の一番右側にクラックが走っていた。
こんなクラックがシャモニ周辺には多いとMが取付いた。
ダメだったので私が取付いた。
ホールド、スタンスは全くなく、手足をこねて登らなければならない。
2m程登って身体が軽くなり、
次の瞬間ハンマーで蹴上げられたような強いショックを受けた。

自然療法

「薬草がないか」「大丈夫か」「傷口が大きい」とかの言葉は分かった。
病院に行こうと言っているところに
岩登りを見学に来ていた日本人男女の二人が私の傷を見て、
この程度なら自分達が研究している自然療法で治せると言ったので
彼らに任せることになった。

ボソン先で彼女の家に入りテーブルの前に座った。
解熱剤としてごま塩を舐めさせられた。
2口目を舐めた途端、貧血を起こして倒れてしまった。

うす暗いベットの部屋に彼女が食事を運んできてくれた。
玄米で作ったものに薬草スープを混ぜたお粥だった。
最初は抵抗なく食べられたが、2回目からはすんなり喉を通らなかった。

傷口にはサトイモ、ショウガなどを煎じたものに先ほどのスープで混ぜ合わせたものを貼付してあった。
これが乾く頃、彼女が付替えに来てくれた。
MとIは味噌汁等日本料理を16FFでご馳走になりBCまで送ってもらい帰って行った。

自然療法とは、身体の回復力を助長するために玄米や野草などの自然食を食事に取り入れる。傷等の治療にもそれを活用して治す方法である。
人間の体は全体的にアルカリ性であり酸性に変えることで回復力が増すらしい。アルコールは元論、水類まで厳禁される。これには参ってしまった。

7月21日(水)晴れのち雨 BCに戻る。
9時まで寝ていたと思う。部屋が暗いので見当がつかない。
左足太ももがまだ痛い。
朝食も昨夜と同じものである。
ここ彼女の部屋にはトイレからバスまで備えてあり病人には都合が良い。
顎の薬は4時間毎に彼女が付替えに来てくれる。
私はただベットに横たわるのみである。
二人は昼から迎えに来る予定であったが、シャモニのバス停が判らず郵便局で待つことになったようだ。
二人が来ないので送ってもらうことになった。
例の薬と玄米を分けていただき色々注意をしていただいた。

彼女は明日ジュネーブの友達とツェルマットに遊びに行くようで、
私の容態について23日夜に電話するようにと頼まれた。
結局、BCまで送ってもらい挨拶して別れた。

テント生活

別れた後は、ぐったりなって直ぐシュラフに潜り込んだ。
二人から玄米をお粥状に炊いてもらうが固いところがあり旨くない。
少し食べ残してしまう。
私の上歯一本はこの墜落で真っ二つに壊れていたらしく、
一年経った52年10月に痛みを覚え歯医者に行って分かった。

次回は9日目ランデックス針峰登攀を投稿予定です。
傷はまだ治っていません、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?