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失恋がなんだ。ハートブレイクがなんだ。それより、大事なのは、

恋愛の裏切りって大した事なくてもどうして好きが強ければ強いほど、相手の事嫌いになるんですかね。
あれさ、あの感じってさ、殊恋愛において裏切られる(フラれる)のほど手のひら返しの気持ちが熱量多い物、他にない気がするのですよ。
それまで「すきすきすき愛してる地の果てまでついていく!」って思ってたのに、ふられた途端に「大嫌い!顔も見たくない!死んでしまえ!」になるのは、
その人にフラれるという事実より大きかったはずの「すきすきすき」がどうしてそんなに覆ってしまうのか。もっと自分の今までの感情とか気持ちを、信じてやってもいいんじゃないか、
それって、高等生物に生まれて感受性を豊かに生きてきた人間にしては、とても下等な反応・思考なんじゃないかなって思ってしまうのです。

でもわかってしまう私もいて。

心を明け透けにして、開いて、どこまででも無垢な自分で信じ続けたその人にフラれるということは、とても、とてつもなくつらいことで、
悲しみのどん底に突き落とされるというか、落下、落下に次ぐ落下で着地点が見出せない。
だから、ぱたっと「嫌い!」になってしまったほうが楽。
…というか過去、私も恋愛に於いてそういう感情で蓋をしてしまった事がありまして。

それでもやっぱり、恋してた頃の自分の熱量を「ばかばかしかった」とは思いたくなくて、
でも相手が嫌いになってしまった以上、もう思わざるを得なくて、
あの時の自分の中の気持ちの熱量や、質量、重み、って、今どこにいるのかなって。
ふわふわと、空へ飛んでいって、宇宙を旅しているのかな。
消えないと思うのですよ。人をすきだった時のあの強い力。でも、もう私の中には確実にいない。

私は失恋した時、恋していたころの私に、コイツはこんなにクズだ、目を覚ませ、と言ってあげたかった、と思っていました。
空白の恋愛だと思いました、あの人に恋していた20年間。なんだったのかなって。時間が無駄だったねって。
でも、無駄だと思ったのは、所詮あの頃の未来の今の私で。
あの頃の、恋していたころの私に、無駄な想いなんて一切なかった。無駄なんてなくて、無駄な涙なんてなくて、無駄な想いなんて1ミリもなかった。
なのにあの頃からしてみたら未来の今の私が、勝手に「無駄」の烙印を押してしまったのです。
そうなると、もう、一切が滑稽に思えてきて、あの頃の私を私が全否定してしまうのです。
それは、ちょっと、あまりにも、過去の私に失礼。
確かにあの男はクズで人間的にしょうもない男ということがわかりました。今となっては。
でも、私の気持ちは、あの頃の気持ちは青く煌めいていて。
青春全部をあの人を思う気持ちに費やした私は、きっと馬鹿なんじゃなくって、それを自分で選びとって、
悲しい涙ばかりだったけれど、恋していた気持ちは綺麗だった。自分で汚い想い、と思っていたそれは、青春の輝きだった。

だから私よ、胸を張れ! 無駄など一切なかった!

落としてきた涙や時間はもう拾えないんだ。後ろを向いても歩いてきた道しかないでしょう?

私さん、今まで歩いてきた道を誇れ。おまえが一生懸命歩いてきたから、今私はここに立てている。
どんなに曲がりくねって、稚拙な道でも、私の軌跡は私が描いた、宝物の絵画だから。

さあ胸を張れ! 泣いている暇などない。後ろを振り返ってもいい。もう、間違えないように、振り返ることは大切だ。私はそれをよく知っている。

一度の失恋がなんだ。あんなの、大したことじゃない。そんな事より、あの頃の私を否定しないでやってくれ。可愛い私の思い出だ。大事にしていこう。抱きしめよう。そう、ぎゅっと。
宇宙へ飛ばした想いは、もしかしたらいつか手元に戻ってくるかもしれないし、もう二度と、会う事もないかもしれない。
そう、後ろの道はわかっても、先は見えないのだ。でも、作れるのだ。いつからだって。今からだって。
私には私がいる。友達も、家族もいる。
心強いじゃないか。だから、世界をもう一度愛そう。いとしい世界。だいすきな、君の世界だよ。
お日様が笑いかけるから、風が、私の背を押すから、自分を信じて、もう一歩、行きましょうか。可愛い想いを、空に見上げながら。



#失恋

#エッセイ

#再スタート

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