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灯台のような|メイキングとその後



この小説を書きたかった理由。


この子のことを記憶してほしかった
こんな子がいたことを知ってほしかった


この子はわたしの娘ではない。

娘ではないけれど
この子が産まれ、生きて
空に旅立ったのは本当のこと。



5歳で逝ってしまったけれど

そんな小さな子が
いなくなってもなお

生きている者たちを灯台のように
照らしていることを知ってほしかった。



かわいそうな子。
生きていた意味があったの?

なんてことを
考えないでほしい。



冬ピリカグランプリに応募した理由


たくさんの人に
この子のことを読んでもらいたいと思ったから。

小説でもいい。

こんな小さな子でも
こんなにすぐにいなくなってしまっても
灯りになれることを伝えたかった。



灯りは
生の中にだけ存在しているわけじゃない。
死の向こう側からだって照らせる灯がある。


ポッと心に灯る内容じゃないのはわかっていた。
望まれている趣旨から外れていることもわかっていた。



でも、わたしのnoteの中では
(自己紹介記事をのぞいて)
一番スキをもらえた記事になった。

読んでもらえたこと
スキをもらえたこと

そのことがとてもとても嬉しかった。



同時に
小説としてどうなのか?
そのことがとても気になっていた。

趣旨にそぐわないことは承知で出品して
でも、もしかしたら誰か…
誰かの心に響いて
認めてもらえないだろうか。



ドキドキしながら発表を待ったが
受賞はならなかった。

受賞することと
作品が誰かの心に響くことは
また違うことだと思いながら
とても落胆した。

その気持ちに
自分でも驚いたけど
小説としても
認めてほしかったんだと思った。



わたしはふだん
エッセイと言われる心の中の様々なこと
事実をnoteに書いている。

エッセイは
自分の気持ちを自由に書くから
エッセイなのであって

小説のような決まった形は
おそらくないのではないかと思っている。


エッセイが好きだから
ふだんnoteも小説はほとんど読まない。

そのせいか
小説というものがよくわからない。
受賞する作品としない作品の違いがわからない。


講評をもらいたい。

よかったところと
足りなかったところが知りたい。


小説の良さがよくわからないまま
書き続けることは
わたしにはできないと思い
小説を書くのはもう止めようと思った。



そんな時に
小説にコメントをいただいていたことを
思い出した。

コメントをくれた人が
わたしの小説の良いところを
伝えてくれている。

書いてあったことを思い出した。


そうだ。
これが講評と同じじゃないか。


受賞したかったんじゃない。
誰かの感想が聞きたかったんだ。

どう思ったか。
わたしの小説を読んで。

その言葉が欲しかったんだ。



コメントをくれた人の小説は
その時すぐに読みにいっていた。

そのうちの一つ。


ああ。
これが心に灯りがともる小説だ。


そう思った。



そして
その小説が
個人審査員賞を受賞された。


わたしは
自分のことのように嬉しくて

受賞のお祝いの言葉と
コメントをもらって本当に嬉しかったことを
伝えたくて
勇気を出してコメントを書いた。


そうしたら
お返事にこんな言葉をもらった。

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涙が溢れてきてしまった。


小説はもう止めようと思っていたら
こんな言葉をいただいてしまった。



ああ。
人生とはこうやってつながっていくんだ。



たった一つのコメントで
たった数行の言葉で
消えそうな心の灯りを灯してもらえるんだ。



また書いてみよう。

誰かの心に響く文であるのなら
また読みたいと思ってもらえるのなら


そう思った。



そして
めろさんのように
わたしもみなさんの小説のコメント欄に
感想を書いていこう。

もしかしたらわたしのように
次の小説を書く勇気を
その人の背中を押せるかもしれないから。



めろさん 本当にどうもありがとう。

夏ピリカでまた!







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