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読書歴について深掘り②

自己紹介記事で、音楽と読書についての情報量があまりに多くて笑ってしまったことから、深掘りを始めた読書歴。
昨日の記事はこちら。

当時の蔵書はほとんど残っていない(嫁に出た後、母が大方処分してしまった)ため、記憶を頼りにあちこちのサイトで検索しては思い出し、芋づる式に出てきたあいまいな記憶をまた掘り起こし…としていたら、昨夜は中学まででギブアップしてしまった。
ざっくり思い出そうとすると出てこなくて、何かの思い出や出来事に関連して、紐づいて出てくるのも面白い。それだけ私にとって読書という行為は日常だったのだろう。

さて、続きだ。

■高校時代
私の出身校は『図書室』ではなく独立した建物の『図書館』を備えていて、公立高校としてはとても恵まれていた。文化財にしてもいいくらいの古い建物で、2階の書庫は大勢で上がってしまうと危ない(床がもろくなっているという意味だったのだろうか)と言われるくらいだった。でも、その歴史を感じる、少し暗い図書館の雰囲気がとても好きで、図書委員に立候補して入り浸っていた。
同じく本好きの乱読派の友人と、片っ端から読んでみよう、とチャレンジし始めたが、さすがに全分野というのは私には厳しく、興味を持って読めそうな分類の書架を端からつぶしていった記憶がある(友人は本当に片っ端から読んでいた、恐ろしい・笑)。そのチャレンジをしていた時期は、1日1冊は読んでいただろうか。何を読んだのかあまり記憶にないので、内容というより『読む』ことが目的になっていたことが分かる。
そんな中でも、中学時代から引き続き、松本清張、原田康子、阿部公房、小松左京、眉村卓、筒井康隆、星新一などを、それこそ片っ端から読んだ記憶がある。そして村上春樹、村上龍、田中康夫、吉本ばななと、当時話題だった作家の作品ももちろん。合間に小学校時代から好んでいたファンタジーや童話のような作品も引き続き愛読していて、赤毛のアンシリーズを繰り返し読み始めたのも高校時代だった。
外国文学もずいぶん読んだはずだけれど、思い出せるのは『コンタクト』、ブラッドベリの『夏への扉』『華氏451度』『火星年代記』など、SFが多かったのかもしれない。こう書いてみると、のちに映画化されている良質なものを読んでいたようだ。
そして忘れられない1冊が、高野悦子『二十歳の原点』だ。

■大学時代
厳選した何度も読み返したい本たちとともに、大学進学で上京。その中に『二十歳の原点』も入っていた。作者の高野悦子さんは高校の先輩にあたるため、共感しやすかったのだと思う。ひとり暮らしを始め、環境も変わり、自由になり、価値観が揺れ動いていた時期に読むには、少々影響力がありすぎたのかもしれない。環境の変化もあって体調を崩しがちだった時期に、生きることについて考え込んでしまったことがあって、そんな私を心配した友人に『二十歳の原点』は取り上げられてしまった。そのまま手元には戻ってこず、それ以来1度も読み返していない。今読んだら何を感じるだろうかと、少し読んでみたい気もするが、あの頃に引き戻されるのではという不安も感じなくもないのだ。
それ以外では、高校時代の項に挙げたような作家陣の作品を引き続き読んでいたと思う。流行が次から次へと生まれていたはずだけれど、既に親しんでいた作家の旧作も新作も読みたい作品がたくさんあった。

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うーん、終わらない(笑)
明日も続きを!

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