退職フェチ

"お疲れ様でした。次の職場でも頑張ってください!"

男は今日、仕事を辞めた。
31歳、社会人になってから4回目の退職だ。
一年半という短期間。

19時の定時になると、
ご丁寧に用意された同僚からのプレゼントをもらい、
当たり障りのない最後の挨拶をして彼は帰路につく。

帰りの電車を待つ彼の顔は、
日々鬱憤が溜まっていた仕事を離れ、明日から新たな一歩を踏み出すということもあり、清々しく嬉しそうだ。

しかし、彼が喜んでいる理由はもう一つある。

"別れを惜しまれることの快感"

そう、彼は別れを惜しまれるその行為に酔ってしまうのだ。
それを一番手っ取り早く行える退職、
それこそが彼のフェチである。

きっかけは最初の転職の時。
信頼している上司から引き止められ、
可愛い同僚から惜しまれ、
彼の承認欲求を満たしたのがはじまりだ。
普段特段必要とされないと尚更その時が堪らなく興奮する。

"よし、早く次の仕事を決めよう。そしてまたこの快感を…"

そう思っていたものの、数日後ある問題に直面する。

職が決まらないのだ。
彼は31歳。当然若手とは言えず、管理職経験などがない限り中途採用が厳しくなる年齢だ。
さらに短い期間での転職は、企業からしたら明らかなマイナス。
しかも、専門職ではない彼は、数年しか勤めてない仕事での中途半端なスキルしかない。

"どうしたものか…これじゃあ退職ができないじゃないか!"

少ない貯金を切り崩して生活しているが、
それもあと数ヶ月で底を尽きるだろう。
そんな切羽詰まった状況の中、彼は一つ名案を思いつく。

"そうか!退職じゃなくても惜しまれることができるぞ!"

思い立ったら吉日。
彼は翌日ホームセンターへ。

"丈夫そうなロープは…あ、あった"

彼は嬉しそうに帰宅して、準備をした。
いつもより少し怖さもあったけど、
いつもより清々しくて、いい気分だ。


"お疲れ様でした。また会う日まで"


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