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#29 オンラインでお隣さんと学ぶ価値 〜拝啓2年前のわたしへ

今日はひとと一緒に知見を積み上げることに対して懐疑的だった
2年前のわたしへ

このシリーズは、わたしが過去の自分に対して、手紙を書くように、自分の気づきや大切にしたいことをしたためていく、100日note投稿チャレンジです

今日は午前中、mosabaカレッジのさちえるIT研究会を実施した。
ばたちとmorikoが参加してくれて、わたしにとっても気づきの多い時間になった!

morikoのナイスアクションポーズが決まりすぎていて、花火出る現象、誰か解明してほしい。笑


今日は、メインテーマがChatGPT!わたしもシェアするのはもちろん、それぞれ使って試した内容ややり方をシェアしあう!

こんなやり方もあるのか〜!これとこれを使ってこれできるんだよね〜!
すご〜!!

と、終始学びがある時間だった。


一般的な場では、わたしはお伝えすることが多いから、わたしが先生的にやらなきゃいけないんじゃないかなと思ってしまうことも多いのだけれど、
実際は場の流れや内容はみんなが一緒に作ってくれている。

ChatGPTの情報は、世の中に一気に増えているけれど、実際に自分が使うとなった時に使える情報は実は限られていて、やっぱり触っていないとわからないコミュニケーションスキルみたいなのがだんだんついていくのを実感した。
ばたちもmorikoもそれぞれとても上手な使い方をしていて、とっても勉強になった!

改めて今日思ったのは、
「遠くの誰かのスキルより、お隣さんのスキルの方が意味がある」ということだ。
「隣のこの人がやっているのだから、できる気がしてくる」のだ。

これがかなり大きい気がする。


実際に、「知っている」と「できる」の距離が開いている気がする。そして、「できる」のハードルはかなり上がっていると思う。
わたしはNFTを買ったことがある人間だけれど、とっても大変だった。NFTってのがあるらしい、ブロッkチェーンがうんちゃら・・・と言える人がいても、買えるか・作れるかと、広めの階段が存在している。

でも、誰かがやっていると、その広めの階段はスロープみたいになっている。だって1、2、3すればできる!を見えてもらえるのだから。
YouTubeでは必要な情報のほとんどがわかるのだけれど、実際にはちょっとしたエラーが出る。そのエラーが出た瞬間にみんな挫折する。
お隣で転んだら、助けることができるのだ。「そこに手すりあるから捕まって!」みたいなテンションで、「このボタン押せば大丈夫よ!」とガイドできる。

このお隣感、めちゃすごい。

一方で、わたしが登る階段も毎回ある。
例えば、一回やってみてできたから、と置いておいた、noteの文章をstand.fmに読み込ませると音声読み上げができ、ラジオ投稿ができる。これもシェアした側ではあったけれど、活用していなかった。途中からお金がかかると勘違いしていたのだ。それをばたちがやってくれていて、ああそっか!それはやったらいいわ!となった。

他にも、「instagramの投稿はこんなふうにすべきだ、と誰かが言ってたから、こういう風にするのは今はイマイチだ」なんて思っていたのだけれど、近くの仲間がそれでうまくいっていたり、新しい雰囲気の表現ができていて、なんだ!これめっちゃいいじゃん!やりたい!となる。など。

実は、いろんな情報の中で、自分の既存の価値観や、誰かが言った一言で、却下しているアイデアはたくさんある。5年前の情報だったのに、まるで今でもそうかのように感じていたりする。

これも、お隣さんが柵を飛び越えていく姿を見て、ハッとするんだ。
あ、あの柵ってジャンプで越えられるんだ・・・と。笑

これが、私たちmosabaカレッジでやっている、「自分を育てる」をお隣さんでできるメリットだと思う。

2年前のわたしは、自分が知っているスキル・うまくいったことについて、シェアすると若干損をする感覚さえ持っていた。が、みんなでシェアすることで情報が集まることもあるし、自分だけでは越えられなかった壁をさらりと越えることにつながったりする。これはすごいことだ。

まもなくフリーランス基礎講座がスタートする。mosabaカレッジを全部受講できて、わたしも定期的にセッションをできるこのコースでは。どんなお隣さん活動ができるのかとっても楽しみだ。

気になる人はmosabaカレッジやフリーランス基礎講座をチェックしてほしい。
月毎のカウントなので、月初がなんせお得だから。


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